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不思議な夢と見知らぬ女性(前編)

子どもの頃、毎日のように見る不思議な夢があった。

僕は踏切の前に立っている。僕の左手はとある女性と繋がれている。母親だろうか?
そのうち踏切の鐘が鳴って、バーが目の前に下りてくる。
と、突然左手が強く握られ、「え?どうしたの?」と驚いていると、その女性がバーを持ち上げ、僕の手を引っ張って踏みきりの中に入っていく。
右側からマルーン色の電車が迫ってくる。運転手が凄まじい顔で必死にブレーキをかけている。「あ、轢かれる」と思った瞬間に、僕は跳ね飛ばされ、数十メートル先にある川まで飛ばされる。川に落ちて目の前に広がる一面の水の泡…
気がついたら、僕はたくさんの人達に取り囲まれている。ひっきりなしに焚かれるフラッシュの光。その中を人の海をかき分けるように、必死に近づいてくる父親。そこでまた気を失って…
次に目を覚ましたらベッドの中だった。目の前には白い天井が見えていた。

夢はいつもここで終わった。目が醒めた時に別に悪い気分はない。冷や汗をかいたり、うなされたりということもなかった。ただただ毎晩のように見る夢が一体何なのか分からず、不思議な気持ちだった。
そういえば、他にも不思議なことがいくつかあった。
僕は何故か母親の結婚式に参加した記憶があった。そんなことはあり得ないことは子どもでも分かる。記憶中の僕は嬉しくて嬉しく、テーブルの下をあちこち這い回っては母親に「ちゃんと座っていなさい」と注意されていた。
僕は一人で本を読むのが好きなタイプだったので、父親の書斎でよく絵本などを読んでいた。その本棚には一冊の古ぼけたアルバムがあった。表紙には僕の名前が書いてある。しかし、表紙を開くと、そこに写っている母親らしき人は記憶にない女性だった。どんどんめくっていくと、記憶にない場所や人がたくさん写っているが、どう見ても抱っこされているのは僕である。
僕にはおばあちゃんが3人いた。今でこそ変だなと思うが、子どもの時はそれが当たり前で、特に疑問などなかった。その中の一人「明石のおばあちゃん」と小学校の中学年くらいまで、1年にⅠ回市民病院に脳波を測りにいっていた。その理由は当時全く知らなかった。頭にたくさんの電極を付けられ、睡眠薬を飲まされてそのまま眠り込む。目が醒めたら「明石のおばあちゃん」が頭に付いたたくさんの電極を暖かいタオルで丁寧に取り外してくれる。全てが終わった後に、おばあちゃんがくれる「タケダのプラッシー」がとても美味しかったのを覚えている。

妹が生まれるということで、まだ小学Ⅰ年生だった僕は母親の実家の「吹田のおばあちゃん」のところに預けられることになった。僕はこの家が大好きだった。「吹田のおばあちゃん」は寝る時にはいつもいろんな昔話をしてくれた。歌も聴かせてくれた。それが楽しみだった僕は「おならし(おはなし)して!」と言っては、たくさんの話をせがんだ。そして、おばあちゃんの温かくてやわらかい耳たぶを触りながら眠りについた。
「健兄ちゃん」という20代のお兄ちゃんは、いつも僕と体を使った遊びをしてくれた。僕は最後には負かされて泣いてしまうのだが、時間がたつとまた挑戦しにいく。「吹田のおばあちゃん」が「いい加減にしなさい」と「健兄ちゃん」をたしなめていたのを覚えている。
「良子お姉ちゃん」にはお風呂に入れてもらったり、一緒に寝てもらったりとても優しくしてもらった。たまにおねしょをして「もー、また響にやられたー!」と言われながらも、また一緒に寝てくれた。
ただ、お風呂で僕の頭を洗うのはいつも大騒ぎだった。シャンプーハットを被った僕は目を固く閉じ、耳の穴に指を突っ込み完全な防御態勢を取る。「じゃあ、いくよー」と「良子お姉ちゃん」が頭からお湯をかけるが、その瞬間僕は大声で叫んで立ち上がって逃げ惑う。お姉ちゃんとおばあちゃんで僕を取り押さえるのが大変だった。僕もどうしてだが分からなかったが、水が怖くて怖くて仕方がなかった。
*かなり後になってから「良子姉ちゃん」から聞いたのだが、電車に乗る時も僕は泣き叫んで大暴れして、必死に抱きかかえて乗ったそうである。

父親の実家は好きではなかった、うちでは何故か父親の実家のことを「本家」と呼んでいた。かなり古い家のせいだったかもしれないが、薄暗くて湿っぽくて、いるだけで気分が滅入る場所だった。「本家のおばあちゃん」はいつも煙草を吸っていて、ほとんど話をすることもなかったし、僕から話しかけることもなかった。
一番嫌だったのは正月で父方の親戚が集まっての新年会だった。最初は楽しく始まるのだが、父親の兄弟はみんな酒癖が悪く、そのうち「本家のおじいちゃん」も交えて大声で喧嘩が始まる。言い合っている中味は「兄貴が一台しかなかった自転車を独り占めして、俺は全然乗れなかった」というそんな類いのことである。大の大人がそんな子どもの頃のことで大喧嘩をするような新年会に参加して楽しいはずがない。僕達子ども達はみんなつまらないので古くて広い家をあちこち探検したり、一番下のお兄ちゃんがほとんど酒を飲まない人だったので、一緒にトランプで遊んだりして時間を潰していた。

子どもの頃の僕は、自分のことをあまり幸せだと感じていなかった。本が好きで、どちらかというと学校でも独りでいる、暗い感じの子どもだった。いじめられたことも何度もある。母親の話では、小学校の低学年の時はほとんど学校にも登校していなかったそうである。まだ「登校拒否」「不登校」という言葉もなかった時代だ。母親が無理をさせなかったおかげで、中学年からは登校するようになったそうである。

こんな小学生時代だったが、高学年になったある日、「不思議な夢」や「見知らぬ女性」のことが全て分かる日が来たのである。(「後編」に続く)

*「不思議な夢と見知らぬ女性」(後編)はこちら


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