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わたしはみんなのように、大人になれるだろうか
燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』を読んでいる。二度目。
これをもとに書かれた嘉島唯さんのnoteには感激した。なんだかしっている話のようだ、とおもいながら読んでいたら、そういうことだったのだ。
わたしが『ボクたちはみんな大人になれなかった』を買ったのは夏のはじめ、上野毛のシェアハウスを退去する1週間くらい前で、その頃のわたしは得体のしれない焦燥感にやられていた。
二子玉川の蔦屋をふらふらして見つけたこの単行本の、表紙とタイトルと、著名家らのコメントをみて、中をひらいて、ああこれを買って読まねば、と確信した。
二度目であるのに、読み進めるごとに心がずたぼろにされる。暗闇のなかで、心臓を槍で突き刺されるみたいだ。
恋愛にかんするあれこれは、いつも突然にわたしたちをめちゃくちゃにする。
一歩踏み出した親友は、出鼻をくじかれた。先に進めそうな期待感にわたしまで嬉しくなっていたのに。
なんだか悔しくて、わたしもなにかしてやろう、とおもった。
きのう、初恋のひとが夢にでてきた。小学校4年生から卒業まで同じクラスだった男の子。足が速くてドッジボールが強くて、成績も優秀だった。いつも仲間に囲まれている人気者。
はじめて、バレンタインデーに手紙を渡した相手だ。同じく手紙を書いた友達と一緒に図書室へ行って渡そうとしたけれど、恥ずかしくて別の友達に代わりに渡してもらった。その友達はチョコレートを持ってその男の子の家へ行ったようだった。
懐かしくおもいだしたから、ちょっとしたいたずらごころで、ラインを送ってみた。それも、同じクラスだった女の子に送るラインを間違えて送信しちゃった、という体で。軽い気持ちで、勢いで、送信ボタンを押してみた。
「間違えちゃった、ごめん」とあやまったあとの返信は、大丈夫、の一言だった。がっかりする自分を嘲笑う。なにを期待していたわけでもないのに。
なんでこんなことしちゃったんだろう。ラインがつづくとでも思っていたのか。ばかだなあ。
きっとちょっとよそ見して、ほんとうに見たいものから逃げたかったんだ。
受け入れてもらえないことが怖い。近づきたいのに拒まれるのが怖い。傷つくのが怖い。
結局のところ、わたしはあの子にとってなんでもない、都合のいい存在でしかないんだろう。ほんとうは、ほんとうのところは、もっと近づきたくて、知ってほしくて、特別になりたいのに、わたしはまだなんにもできやしない。
おねがい傷つけないで、と、小説の文字を追いながらさけぶことしかできない。
22歳も残り半年。小説のなかで「ボク」が20歳のかおりに出会うのは、22歳だ。わたしは大人になれるだろうか。それとも、大人にはなりたくないと、思いつづけて生きていくのだろうか。