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場外馬券売場でラーメンを作っていた時の話をします

1998年頃のお話です。

今が2022年ですので、約24年前の話になります。私は当時19歳の大学1年生でした。そしてこの仕事(アルバイト)が、人生で初めてのアルバイトとなります。

高校生の頃は、校則でアルバイトは原則禁止でしたし、一応部活もありましたので、そもそもヒマがありませんでした。

大学に入学して数ヶ月が過ぎ、色々とお金も必要でしたので、ではそろそろアルバイトでもしようか、と友人に相談したところ、

「オレのやっているバイトを紹介しようか?」

ということだったので、まったく面識も情報も無い仕事よりも、友人がいるなら安心、と安易に考えて「じゃあお願い」となったのがきっかけです。


「結構クセはあるけど、仕事は土日だけで16時には終わるし、予定があって休みたい時は1週間前に言えば必ず休める。何よりその日に現金でもらえるから」

ほうほう。

「時給は1500円くらい(当時は大体850円~900円がほとんど)」
「場所は難波駅(大阪ですね)から徒歩1分」
「その現金を持って、アメ村に洋服を買いにいくも良し」

おお、なんて条件が良いんだ。と思いましたが、そこにはそれなりの理由がありました。

(※ 私は大阪生まれ大阪育ちです。なんば大好き。当時のアメ村大好き)


職場は、大阪府の難波駅の「場外馬券売場」のフードコートでした

現在は、なんばパークスというショッピングビルの中に、テナントとして場外馬券売場があるらしいのですが、当時はそんな建物もなく、いわゆる「屋外」に馬券売場があって、付随してフードコートがある。そんなイメージです。

(実はなんばパークスのとあるショップで働いたこともちょっとあります)

雰囲気としては、お祭りの屋台が並んでいるような感じです。さらに言うと、サービスエリアやショッピングモールのフードコートみたいな形で、「ラーメン・たこ焼き・焼きそば・お好み焼き・おでん・うどん」などが、軒を連ねています。一応屋根ありですが、屋外で外気がそのまま入ってくるので、夏は暑く、冬は寒い環境です。

そして、基本的に食事用のイスは無く、立ち食い用のテーブルが沢山あるので、それぞれのカウンターで購入して、お客様側が自分でテーブル運ぶ、というセルフシステムでした。

客層は完全に偏っていて「40代から60代くらいの男性客」が、90パーセント以上を占めます。若い女性は見たことがありませんでした。

もしかすると、本物の競馬場ならデートカップルもいるのかもしれませんし、現在だともう少し客層は違うのだと思いますが、ここはあの時代の「場外」馬券売場。レースもモニターでチェックするに留まります。ですので、ギャンブルが目的の方しかいないと言い切れます。

当時の立地状況や時代背景もあると思いますが、屋外なので、ほとんどのお客様はタバコを吸っていて、そして地面には吸い殻が散乱している。

タバコの煙がモクモクと上がり、酒類の提供もしていたので、アルコール臭さもあり、私たちとは別に清掃の方もいらっしゃいましたが、はっきり言って清潔な環境とは言えない感じでした。


仕事内容としては

基本的な材料の仕込みは、パートの方々が私たちよりも先に出勤して行っていました。私たち学生アルバイト組みは、どちらかというと、仕上げの調理や金銭と商品の受け渡しや、カウンター内に若い男性がいる事実そのもの、を作るために存在していたのだと思います。

先ほど沢山のジャンルの料理があることをご紹介しましたが、出勤したタイミングで「コジマくんは、今日はラーメンに入って!」と、どんなロジックだったかはわかりませんが、それぞれのパートさんはジャンル固定だったこともあり、その方々との相性や基本的な調理技術などで、配置されます。

私は、ラーメン・粉物系(たこ焼き・焼きそば・お好み焼き)に配置されることが多かったのですが、とにかく両方とも「熱い・暑い」系でした。夏は地獄です。


優しかったパートさんたち

パートの方々の年齢層は幅広いですが、60代の方もいらっしゃって、20歳前後の私たちからすると、母親を越えて、もはや祖母的な感じも場合によりありました。

やはり、この職場そのものが若干の特殊性があるのか、波乱万丈の人生を歩んだ方々が多くいらっしゃいました。早くに旦那さんを亡くした方、肩代わりをした借金がが500万ある方、二世帯で子供と同居していたが出ていけと言われた方、など、当時19歳そこらの若造には刺激的な話ばかりでした。

そんな方々の中で、ダラダラと働くのも何だか失礼だなと思い、とりあえず一生懸命やるしかないと思い、元気に愛想よく、だけを心掛けていましたが、自分で言うのも何ですが、可愛がっていただけたと思います。

中には、お小遣いをくれようとする方もいましたが、さすがにそれは…と思い、丁重にお断りしました。おそらく息子や孫的な感じなんだと思います。


さて、おおよその「場外馬券売場」の雰囲気は私の稚拙な文章で、頑張って表現してみましたが、ここからが本題です。


理不尽な状況

ここは場外「馬券売場」です。

ギャンブルに勝つ人もいれば、負ける人もいます。でも勝とうが負けようが、みんなお腹は減ります。

私が一番配置されるのが多かった、ラーメン担当の時の話なのですが、そもそも勝っている方々は、お酒も入って上機嫌です。

ラーメン担当は、夏汗だくです。タオルを頭に巻いてヒイヒイ言いながら麺を茹でつつ、会計をしていると、

「兄ちゃん暑いやろ?ビール飲みいや!」と、ビールは500円ちょうどだったので、500円玉を置いていくオッサン(感謝を込めて)がいたり、

「おおきにな!」と、声をかけてくれることも多かったです。

(※とはいえ、500円は受け取りません。何故なら次のレースで負けて、「やっぱり返して」となるから)


但し、やはりギャンブルは難しく、カウンターから見ているとはっきり解るのですが、勝つ人よりも負ける人の方が多いんですね。(そう見えていただけかもですが)

この負けた方々の虫の居所はそもそも最悪なので、場合によって「八つ当たり」されることがあります。

理不尽すぎて、笑えますよ。

「チャーシューがあいつのより小さい」「メンマがいつもより少ない」「ビールの泡の量がなんたら」「絶対に醤油ラーメンを頼んだのに、味噌頼んだとか言う(オペレーション上あり得ない)」「麺が固い(伸びてしまうことはあったとしても、基本的に起き得ない)」など。

もっとキツいのは「お釣りをもらってない」とか「もう払った(払ってない)」とか、直接的に金銭に関連することですね。

もはや平成の闇市です。

先ほど屋台的だと言ったのは、ココなのですが「レジスターが無い」「伝票も書かない」んですね。

当時の時代背景もあり、当然、現金決済のみなので「支払った」「支払ってない」の、水掛け論をしようと思えば、いくらでも出来ちゃうので、変なオッサン(皮肉を込めて)も、沢山いました。

まあ、こういうショボいことを言ってくるオッサン(憐れみを込めて)は、実は見た目にも迫力もないので、こちらとしては、正当に気丈に振る舞うのみです。


ただ、週によって同じ人でもキャラが変わったりもする

私はこの仕事を、一年半くらい続けたのですが、半年ほど継続的に勤務していると、毎週来る常連も多くいて、自然に顔を覚えました。

先週は、大勝ちして機嫌がめちゃくちゃに良かったのに、今週は大負けし八つ当たりしてくる、みたいなことは、かなり経験しました。

おそらく「賭け事」と「酒」によるかけ算インパクトが大きいだけで、普段は別に温厚なオッサン(妄想を込めて)なのだろうとは思います。

自分が裏で休憩している時に、女性パートの方々だけだと、変に強気にいちゃもんをつけるオッサン(蔑みを込めて)もいて、初めてその声が聞こえたときは、

「助けに行かなきゃ!」

と使命感を持って、あわててカウンター内に戻ったのですが、さすがに人生経験豊富な浪花の女達ですね。ガンガン言い返して、オッサンを言い負かしていました。強い。


楽しかったは楽しかったんですけど

良い方々に囲まれて働けて、人生経験という意味では十分刺激的であり、そもそも時給がかなり高めではあるので、大学卒業まで続けても良かったんですが、

21歳くらいからは、もうアパレル業界に行くという意識も強く、そろそろ服屋でアルバイトしたいと思い、場外馬券売場は卒業して、そこからはアパレル販売員としてのアルバイトが始まることになります。

(そういや、人生で一度も馬券買ったことないな。まあいいか)

時給は大きく下がりましたし、シフトの融通も利かなくなりましたが、あのタイミングでアパレル販売のバイトにシフトしておいて、大学生の間に実務を経験したのは、よかったと思っています。


多様性ってなんなんでしょうね

明らかに20代の学生のコミュニティとは違う世界を知ったのは、今となっては良かったと思います。

海外留学で、とかだとカッコいいのですが、実はすごく近いところに多様性に触れるチャンスはあるのだと思います。

自分の手と目に近い範囲だけで過ごしていたら、自分とは性質の異なる属性に触れるチャンスはありません。

自分の個性を認めてもらう思想として「多様性」という言葉で押し切るのは、私は違うのではないかと思っていますが、むしろ実体験として知らないコミュニティに触れ、理解出来ること、理解しがたいけど尊重しようとする気持ちそのものが、大事なのだと思います。

変なオッサン(愛を込めて)達が沢山いて、「ああ、そういう考え方もあるのね」とか「人間だから、山もあれば谷もあるよね」とか、

「有り金全部使って、電車賃もなく泣いてる」や「酒を飲み過ぎて、地面で寝てる」など、情けない姿も見かけました。

でも、この人たちも、何らかの形で仕事をしていて、世代的には日本の経済成長を支えた時期もあったのだと思うと、捉え方もまた変わってきます。

とはいえ、理不尽な行動をする方々へは、残念ながら憧れは無く、反面教師にしかなり得ないのですが、頭ごなしに「理解出来ない」で終わるのも、少しだけもったいないような気がします。

そんな私も40代になりましたので、立派にオッサン側になりましたが、上の世代にも下の世代にも、グループとして大きくは捉えつつ、「個」にも触れられるだけ触れて、理解する・しない、の前に「知る、知ろうとする気持ち」だけは持ち続けたいと思っています。

という感じで、今のコンサルタントとしての私だけを知る方からは、結構意外かもな、という20歳だった頃の昔話でした。


コジマサトシ/トナリコネクト

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