見出し画像

【福島ワーケーション#3 】南相馬編

◆12/21(水)スケジュール

9:00 いわき拠点出発
11:00 小高駅着
12:00 小高地区周辺見学&昼食
13:30 東日本大地震・原子力災害伝承館
16:00 請戸小学校見学(震災遺構)
17:00 道の駅なみえ
17:30 拠点到着
19:00 近くの居酒屋さん(更紗)

「#遊ぶ広報」という企画でコーディネーターさんに1日アテンドしていただきました!
大変貴重な機会をいただき感謝です。

◆12/22(木)スケジュール

8:00 仕事開始
18:00 仕事終了
18:30 近くのお寿司屋さん(浦島鮨)

◆12/23(金)スケジュール

8:00 仕事開始
12:00 ランチ&マルシェ訪問
19:00 仕事終了
19:30 近くの定食屋さん(ダイナーボンズ)

◆南相馬周辺のご紹介

▼いわき駅〜小高駅
いわき駅から1時間に1本あるかないかくらいの常磐線に乗り、1時間ちょっとで小高駅に到着。

常磐線で北上し、いわきから小高へ
小高駅は無人駅
駅構内には放射線量が表示されていました
小高駅の駅舎

▼フルハウス(柳美里さん)
移住されてきた柳美里さんという芥川賞作家の方が開業された「フルハウス」というカフェ。
(昨日バーのマスターにも勧めていただきました!)

著名な方々がそれぞれお勧めしている推薦本が並べられていて、1日中いられるようなほっこり安らげる雰囲気のカフェでした。

フルハウスの店内

▼小高工房(唐辛子工房)
唐辛子製品を作られているお店にお邪魔しました!
小高地区は震災後しばらく避難区域となっていたエリア。街の農作物は害虫被害で壊滅的でしたが、唯一被害がなかったのが唐辛子だったそう。
避難生活でスープのようなカレーを食べていた時に、「家で食べてた時のように具材がゴロゴロ入ったカレーを出したい」という思いもあり、具材たっぷりの唐辛子カレーを開発したそうです。
会話の中で不意に出るエピソードが印象的で、震災の影を感じずにはいられませんでした。

小高工房さん店内

▼東日本大震災・原子力災害伝承館
いわきで知り合った方にも、「双葉町は震災でも苦労した地区だから、ここの伝承館を見学してくるといいよ」と教えていただいていたので、気になっていた場所。
「真実を知る人の話を聞くことが大事」という心に残るお言葉をいただき、伝承館ではそれを意識して語り部さんの話にも耳を傾けました。


双葉町の震災伝承館へ

双葉町は今年の8月に避難解除がされたばかりのエリア。
元々は港町で海沿いには住宅も立ち並んでいたそうですが、今では荒野の中にポツンと伝承館の建物のみが建っていて、海岸線まで遮るものが何もないひらけたエリアでした。(今でも住居は建てることができないそうです)

伝承館の外観

伝承館では、実際に被災された語り部さんや施設職員の方から、ご自身が被災された当時のお話を伺いました。
福島は津波の被害で亡くなられた方より、被災後の避難所生活のストレスや衛生環境の悪さ、持病の悪化などで「震災関連死」されている方が一番多い県だそうです。

避難当初は詳しい情報も分からずとりあえず避難所に向かったという方が、10箇所以上も転々とされて、受け入れ先が決まるまで1ヶ月近く共同生活をされていたそう。
寒いし、水も十分にない、お風呂にも入れない、生きて帰れるかも分からない、という緊張から、ピリピリしてトラブルになることもあったとおっしゃっていました。
今でも避難所での記憶は思い出すとトラウマだと話されていて、当時の状況は想像を絶する生活だったんだと感じました。

双葉町の海岸線
元々は住宅が建ち並んでいた地域

そして原発事故の重大さについて、自分の中でどこか風化されていた部分があったなと痛感しました。

福島に原発が建設された当初は、街に雇用を生み出して経済も潤い、「未来を照らすもの」という位置付けだったそうです。
でも、今でも人が住めないエリアがあって、放射性廃棄物の処理場も限界寸前。汚水についてはついに海に排水することが決まっています。

6号機まである中で、唯一爆発しなかった2号機がもし水素爆発を起こしていたら…放射能の被害は東京にも及んでいただろうというお話に、人ごとではないと背筋がゾッとしました。

原発で作られていた電力の多くが東京に送電されていたそうですが、多くの東京都民の方はそこまで理解されている方は少ないのかと思います。
自分自身も、当事者として目を背けてはいけない課題だなと感じました。

▼請戸小学校(震災遺構)
請戸小学校は海から数百メートルの立地にありながら、教頭先生の機転で全校生徒・教員共に近くの山に逃げたことで全員無事だったという奇跡の学校で、津波の被害のままの状態が残されている場所でもあります。

震災遺構となっている浪江町立請戸小学校

津波の高さは2階にまで達して、天井に教科書が挟まったままの状態になっています。
被災者の方が、「10年以上経って時間は過ぎていくけど、自分の中ではまだ前を向けていないし何にも変わってないのよね…」というお話をされていたのを思い出しました。
被災時の状態のまま傷跡が残されている校舎の情景とどこか重なって見えて、心が痛くなりました。

天井に刺さる教科書もそのまま
大きなタンスや機械が積み上がってる様子

当時奇跡的に生き残った請戸小学校の生徒の子達が大きくなって、10年経って書いた作文が飾られていました。
両親を亡くした悲しみや寂しさを書いている子もいましたが、それぞれが「自分に何ができるのか」を問い続けている姿勢が印象的でした。

2011.3.11
卒業式の予行演習をしていた体育館

▼道の駅なみえ
福島で2番目に新しい道の駅。駅の方では買えなさそうだったので、お土産をたくさん買い占めました。
福島名産の桃のお菓子となみえ焼きそば、相馬野馬追チョコを買いました。

道の駅なみえ
甘酒&桃ジュースと
サービスでいただいた酒アイス

◆12/21(水)の感想

まず、1日アテンドしてくださった「#遊ぶ広報」の関係者の方に大感謝です。地元の方に会わせていただいたり、車で色んなところに連れて行っていただいて濃密な1日になりました。
(1人では到底まわれないし、人とも出会えなかったと思います)

震災を経験された方のお話や、被災した小学校のそのまま残された姿を見て、「生の声を聞くこと」「実際に現地に足を運ぶこと」の大切さを再認識しました。

  • 被災された方は、今も大切なものを失った心の傷を抱えていて、前を向こうと必死に戦っているんだということ。

  • 原発事故以降、風評被害や放射性廃棄物の処理の問題など、まだまだ私たちも無視できない、未解決の課題を抱えているということ。

そんなことを強く感じました。

こんな濃密な日を過ごして忘れかけていますが、ワーケーションなので、明日明後日は普通に会社の人と打ち合わせしたり商談をしたりする予定です。

日常だけど非日常な感覚を味わえるのがワーケーションの醍醐味。
南相馬の拠点も満喫したいと思います!

◆12/22(木)の感想

今日は1日仕事がバタバタでしたが、あっという間に終業時間になり、夜な夜な地元のお寿司屋さんに行きました!

浦島鮨さん
上にぎり2,200円!安すぎ!

震災後も真っ先にお店を再開されたお寿司屋さんで、魚にはうるさい家系で育った私(昔実家は魚屋さんをやっていた)も、全てのネタが感動する美味しさでした!!
ひらめのお刺身は朝〆たてとのことで、歯ごたえがしっかりあって甘くて美味しかったです!
マグロも大間のマグロを仕入れているとのことで、東京都で食べたら◯万円するようなネタを2,200円でいただきました。(流石に安すぎる…!)

マスターもお茶目な方で、たまたま私の地元に住んでいたことがあるとのことで話が盛り上がりました!

それにしてもお寿司美味しかった〜〜〜(浸ってる)
地元の良い食材を、こだわりを持って提供されているお店がまだまだたくさんあるんだと実感。最高のお店に出会えて大満足の1日になりました。

人影も車影もなく、ただ信号の色が静かにカチカチ変わっていく夜道を、ほろ酔い状態でふらふら歩いて帰りました。
小高はまだまだ、家はあっても人が住んでいないという特殊な街で、とにかく静かな街です。

都心にはないシーンとした静かな空間にいれるのもあと2日。
あいにく天気が悪かったので、明日は綺麗な星空が見たい!

◆12/23(金)の感想

今日は仕事もバタバタで気づいたら1日が終わっていました。
コワーキングスペースは仕事にめちゃくちゃ集中できるので、1日の走り切った感が凄いです!

昼間には地元のマルシェへ。
見たことない形の芋(こんにゃくと書いてある)が並んでいて思わず凝視してしまいました。

福島の芋たち

いわきでも南相馬でも、とにかくお米みずみずしくて甘くてが美味しかったので、マルシェでもお米を買って帰りました。

夜はひと気のない夜道で光る看板が目立つお店に入りました。

ダイナーボンズさんのサバの塩焼き定食

鯖が分厚くてほわほわで、脂が乗っていて美味しかった!
お米と魚とお味噌汁が最高の組み合わせで、ご飯も完食!

夜の飲食店は本当に人が少なくて、ガランとした雰囲気でした。
家はあっても空き家だらけの街なので、ひと気がない中でご飯屋さんを開けて下さっていることに感謝です。

この短期間で私が使ったお金は微々たるものかもしれないですが、こういった地域に足を運んでお金を使うことは重要なことだと思いました。
定住するまで行かなくても、ADDressのようなサービスで地方の拠点を回る若いリモートワーカーが増えればいいなと。人の流動性が高まることの価値を感じました。

最終日は、やっと綺麗な星空が拝めました。
高い建物がないので空が広く、四方全てで星が光っていました。

明日はクリスマス🎄
東京に帰ります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?