どんどん「おばちゃんっぽく」なっていく自分に戸惑うママ33歳が、心の整理のために書くnote。
「おばちゃんね、逆上がりできへんねん。」
息子と公園であそんでいて、その場に居合わせた女の子に「逆上がりできる?」と聞かれた。
私はとっさにそう答えたのだけれど、ハッ!と我に返った。
(自分のこと、"おばちゃん"って言ってる・・・)
でも、"おばちゃん"って言わなかったら何て言えばいいんだろう。私は自分のことを"お姉さん"と言ってもいいのだろうか。まだ大丈夫なんだろうけれど、なぜか"お姉さん"には違和感を感じてしまう。
子供に対してじゃなかったら、
「うちさ、鉄棒できへんねん。」
って答えるだろう。
私は基本的に自分のことを「うち」って言う。でも子供に向かって「うち」っていうのもなんだか違和感を感じてしまう。
それ以降、同じ年くらいの友達と遊ぶとき、ふと思い出したらこの話をしては意見を聞いている。
「わかる〜!うちもいつのまにか自分のこと"おばちゃん"って言ってる言ってる!」
という、私と同じタイプの子が1人。
「悩むよなぁ〜。でもさ、自分のこと"お姉さん"って言って、"あの人めっちゃおばちゃんやのに自分のことお姉さんって言ってる"って思われるの、めっちゃ恥ずかしくない?まださすがに"おばちゃん"って感じの風貌ではないとは思ってるけど、老いは自分で気づきにくいやろ?"おばちゃん"って言っといたら間違いないかなって。」
という、ちゃんと持論を持っているタイプの子が1人。
「え!?まだおばちゃんちゃうし!自分のことおばちゃんって言うの、まだ嫌や〜!」
という、永遠に「女」として生きるのを楽しみたい感じのタイプの子が1人。
そのときは32歳だった。
私の中では、まちがいなく「おばちゃん」と名乗れるのは30歳後半くらいかな?というイメージだ。
30歳前半というのは、「お姉さん」と「おばちゃん」のハザマなのかもしれない。
でも、40歳になったとしても、「おばちゃん」っぽくない人もいる。年齢以上に、「その人のあり方」が大きく関係しているような気がするのだ。
「私はどうだろう?」
そう思い返してみると、なんだか最近自分のことを「おばちゃんっぽいな」って思うことが多々ある。
パッと思いつく出来事は3つ。
①上下カッパ&フルヘルメットで自転車をこぐ。
仕事場に原付きで行くようになったので、雨の日対策で、ワークマンの上下カッパを買った。
幼稚園への行き帰りだけなら、かわいいポンチョ風のカッパで十分だったけれど、激しい雨だと顔と足はズブ濡れになってしまう。通勤となると上下&防水機能のしっかりしたカッパが必要だと思ったのだ。
上下カッパに、フルヘルメット。
そして長靴。
顔も体もほぼ濡れず、かなり快適になった。
原付きを降りて、自転車に乗り換えて息子を迎えに行くとき、ヘルメットをぬごうとしたのだけれど、ふと思ってしまった。
「このまま迎えに行ったらよくない?顔ぬれないし。」
上下カッパにフルヘルメットのまま、自転車をこいだ。快適すぎた。
幼稚園に着いて、カッパやヘルメットをぬぐのも面倒だったので、そのまま幼稚園に入った。
「あれ?梅川さん、バイクで来たんですか?りんちゃん、バイクの後ろに乗れるんですか?」
「いえ、自転車です。」
「あ、そうですか・・・」
みたいな会話を先生と交わした。
知り合いとすれ違ってツッコまれるたびに、「快適やねん。もう元には戻られへんわ・・・」と返す。
道行く人の視線を感じたりするけれど、「どうとでも思ってくれ!快適なんだ〜!」と開き直る。
私、けっこう人の目を気にする人だったんだけれどな。なんか最近、あんまり気にならないぞ。
人からどう見られるかよりも、「自分の快適さ」を優先してしまう。
これは、おばちゃんの特徴の1つかもしれない。
②「ヨン様」を追いかける気持ちがめちゃくちゃわかる。
新しいバイト君が入って、いろいろ話していたとき。ちょっとだけモデルをやっている、という話をしてくれた。
「モデルかぁ〜!すごいねぇ!かっこいい顔してるもんねぇ。」
と言うと、「いえいえ!」とバイト君が照れた感じになってしまって、ハッ!とした。
大学生の頃、どんなにその人のことをかっこいいと思っていても、本人に直接「かっこいい」だなんて言えなかった。かっこいい=告白、とまではいかなくても、「好意を持っている」ということを伝える言葉のような気がしていたからだと思う。
逆に「かっこいい」と普通に言えるということは、「全く意識していない」ということなのだ。
ふと、ヨン様の顔が浮かんできた。(ちょっと古い?芸能界に疎い女なもので。)
自分と関係のない人ほど、遠い存在であればあるほど、無邪気に「かっこいい〜!」とキャーキャー言えるような気がする。
旦那さんには「安心感」や「居心地の良さ」を感じるけれど、キュンキュンはしない。「大切な子育てチームメイト」とか「気心の知れている友達」って感じで、それはそれでいい関係だと思っている。たまにドキドキキュンキュンしたい気持ちがふと湧いてくることがあるけれど、今に満足しているし、不倫なんてうまくできる自信はない。そんなとき、「ヨン様的な人」はちょうどいい。
遠くて、関係がなくて、傷つかなくて、姿を見ているだけでキュンキュン欲を満たしてくれる。
昔は「なんでおばちゃんはあんなに必死にヨン様を追いかけることができるの?」なんて思っていたけれど、その気持ちがなんだかわかるようになってきた。
リアルで恋愛をする、ということを遠く遠くに感じる感覚。
これも、おばちゃんっぽい。
③かわいさよりも、着心地を選ぶ。
私は「パンティ」が好きだった。
カラフルでフリフリなパンティは見ているだけで楽しいし、テンションがあがる。
「服」となると、自分のキャラやTPOや、似合っているかいないか、などなどいろんなことを考えてしまうけれど、パンティはそうじゃない。
勝負下着をのぞいては、誰からも見られないから、もうそこは自分だけの世界である。
でも妊娠してお腹が大きくなった頃、「綿100%」のパンティ、いやパンツを履いたときに思った。
「なんだ!この履き心地の良さは!」
フリルやテロテロやスケ感などなど、かわいいものや、女の子らしいものの素材は、ポリエステルが多い。慣れてしまったら平気だけれど、履き心地がいいかといったら「良い」とは言えない。
出産してお腹が元に戻っても、綿100%がポリエステルに戻ることはなかった。
綿100%の魅力にとりつかれた私は、パンツだけじゃなくて、服にもその「着心地の良さ」を求めるようになった。
テロテロでスケ感のあるブラウスなどはほとんど着なくなり、今1番着心地がよくてしっくり体に馴染む服は、無印の「洗いざらしオックススタンドカラーシャツ」だ。同じ商品の色違いを4枚買ってローテーションしている。
かわいさよりも、着心地を選ぶ。
これも、おばちゃんっぽい。
以上。私の日常生活の中にどんどん浸透していく「おばちゃんっぽさ」。その勢いはもう止まらない。そして、もう元には戻れなさそうだ。
でもそれは残念なことではないんだと思う。
本能の部分で、今必要な変化が起こっているだけなんだと私は思う。
子供を産むと、体が大きく変化するのと同時に、心も大きく変化する。
人間だって動物だからメスとして、自分らしさや女性らしさをオスにアピールする時期が必要だ。それは子孫を残すために、すべての動物に埋め込められている"本能"だから止めることはできない。
オスと結ばれて子供ができたなら、次は子供を守ることが1番になる。これも本能だから止めることはできない。
アピールする時期は、外へ外へ。
守る時期は、内へ内へ。
外へ外へと向かうときは、オスとどうやって出会うか、その出会ったオスたちにどう見られるかが1番大切だけれど
内へ内へと向かうときは、子供や家族や自分が健康で快適に過ごせるかということが1番大切になる。
外へ外へと向かう時期に内へ内へと向きすぎてしまったらオスと出会えないし、内へ内へと向かう時期に外へ外へと向きすぎてしまったら、自分と外の世界のことでいっぱいで子供をほったらかしにしてしまう。子供を守れない。
だから女性の変化は、動物の本能として当たり前だと思うのだ。体があんなに変化するのに、心がぜんぜん変化しないのは不自然だ。
逆に、男性は体が変化しないから、あまり変化を求めてしまいすぎたら可哀相なのかもしれない。子供と過ごす中で、ゆっくりじっくり「お父さん」とか「おじちゃん」になっていくのが自然な気がする。
女の子からお姉さんになって、お姉さんからお母さんになって、おばちゃんになって、おばあちゃんになって。
体が自然と変わっていく。
心も自然と変わっていく。
役割も自然と変わっていく。
その自分の変化に戸惑うことだってあるけれど、その変化をねじまげようとしなくてもいいんだと思う。もちろん、キレイでいる努力をする女性は素敵だと思うけれど。
私は今、
かわいいカッパを着て「あのお母さんのカッパかわいいね」って道行く人に思ってもらえるよりも、上下カッパ&フルヘルメットで息子をできるだけ快適に安全に送迎をすることの方が大事で、
キュンキュンを求めて不倫したりするよりも、ヨン様的な人でキュンキュン欲を満たしながら、家族との絆を深めることの方が大事で、
女性らしい服を着て「いつもオシャレね」って言われるよりも、息子と公園で遊ぶときに動きやすいか、汚れても洗濯機でザブザブ洗えるか、ということの方が大事で。
「おばちゃんっぽさ」の裏には、子供や家族への愛がたっぷりつまっているのかもしれない。
そう考えると、おばちゃんになるということが素敵なことのように思えてくる。
女の子
お姉さん
お母さん
おばちゃん
おばあちゃん
女としての、その時々でのステージを楽しんで。どのステージにもきっと、楽しさがあって、味わいがあって、苦しみがあって、課題がある。
これからも、「女」を楽しめたらいいなと思う。女の子を経験してきて、お姉さんを経験してきて、お母さんを経験してきて、そして子育てがちょっぴり落ち着いてきた今、ボチボチ「おばちゃん」を経験しはじめている。
そしてまだまだ「女」としての人生は続いていく。
というわけで、「おばちゃん」に片足をつっこんでいる33歳ママが、心を整理するための独り言。
心を整理してみると、
「おばちゃんになる」ということに対して
何も恐れることはないんだとわかったような気がする。
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