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「今日は幼稚園で何したの?」と聞くのをやめたら、息子が心を開いてくれた。

4歳の息子が幼稚園で何をしているのか、私はよくわからなかった。

幼稚園バスで通っているので、担任の先生とゆっくり話す時間は限りなく少ない。そしてなにより、息子が幼稚園のことを話したがらなかったからだ。


家に帰っておやつを食べながら「今日は幼稚園で何したの?」と聞くのが日課だった。

「なにもしてない。」 

だいたいその一言が返ってくる。


何かはしているはずなので、めげずに具体的に聞いてみる。


砂場であそべた?
今日はプールだったよね?
絵を描いた?
ねんどした?
歌の練習した?
体操した?


その一つ一つにYesかNoのどちらかで答える息子。猛烈につまらなさそうな顔で。

「母ちゃん、そんなことよりいっしょにあそばない?」

だいたいその一言で話題を変えられる。



そんなやりとりをめげずに続けていたある日、「今日は幼稚園で何したの?」といつも通り聞いた。


「ねんど。」


お決まりの「なにもしてない。」というセリフじゃなくて、具体的に「ねんど」と答えてくれた。成長してる成長してる。なんだかうれしかった。


そして次の日。

「今日は幼稚園で何したの?」
「ねんど」
「今日もねんどしたんやー!」

その次の日。

「今日は幼稚園で何したの?」
「ねんど」
「またねんどしたの?」

その次の次の日。

「今日は幼稚園で何したの?」
「ねんど」
「ねんど、めっちゃするやん!」

その次の次の次の日。

「今日は幼稚園で何したの?」
「ねんど」
「!?」


いくらなんでも、ねんどのしすぎだ。



そんなある日、担任の先生と会う機会があったので聞いてみた。「毎日ねんどしてます?」って。もちろん、してなかった。


きっと息子は、私に幼稚園のことを聞かれるのが面倒だったんだろう。自分が1番好きな「ねんど」と答えて、できるだけ幼稚園の会話が早く終わるようにしていたのかも。



息子は幼稚園が好きじゃないから、家に帰ってまで幼稚園の話をしたくないのかもしれない。


たしかに私だって、仕事で疲れて帰ってきたときに「今日は仕事どうだった?」「今日はどんな仕事したの?」「今日はどんなお客さんが来た?」なんて質問攻めされたら嫌だよな。めんどくさいよな。


ちょっぴり反省した。



3年間、1日中息子の隣で過ごす生活をしてきて、息子のことは何でも知っているのが当たり前だった。

でも息子は幼稚園に入ってから、私の知らない場所で、私の知らない人たちと、私の知らないことをして過ごしている。

息子と離れる時間ができて、自分の時間ができたことがうれしい反面、離れる時間ができるということは「息子のことを何でも知っている時期」が終わったということでもあるんだなと、当たり前のことに気づいた。



へその緒がまだ切れていないんじゃないかと思うくらいに近く近く感じていた息子が、ほんの少し遠くにいるような気がした。


息子が私のことを何もかも知らないように、
私も息子のことを何もかも知る必要はない。

そう自分に言い聞かせてみると、これからは自分の息子の知らない部分がどんどん増えていくんだろうな、とちょっぴりさみしい気持ちが湧き上がってきたけれど。



私は「今日は幼稚園で何したの?」と聞くのをやめた。


するとなぜか息子の方から、ポツリポツリと幼稚園のことを話してくれる回数が増えていった。


「今日○○したの。」
「今日○○くんとあそんだの。」

ということから、

「先生がアレしろコレしろっていうから、ぼく幼稚園がイヤなの。」
「先生にハート描けって言われたの。すきなようにかきたいのに。」

というような愚痴まで(笑)





幼稚園のことを根掘り葉掘り聞こうとする気持ちの裏には、きっと「興味」以上に「心配」があった。

バス亭がいっしょの子たちが楽しそうに幼稚園バスに乗り込む中で、トボトボと重たい足取りで暗い暗い顔をして幼稚園バスに乗り込む息子。友達たちがキャッキャとあそんでいる横で、じーっと虫を観察している息子。

幼稚園でたのしく過ごせてるかな?
幼稚園の子たちとうまくやれているのかな?

周りの子と比べてしまって、
ついつい湧いてくる「心配」。


「息子が大丈夫かどうか」を探るような雰囲気がなんとなく息子にも伝わってしまっていて、息子の口を固くしてしまっていたのかもしれないなと思った。



息子は何があっても絶対大丈夫。

息子には乗り越える力がある。

本当に大丈夫じゃないときは、息子の方から頼ってきてくれる。その信頼関係はこの数年間で築いてきたはず。


そんな根拠のない自信をもつことはなかなか勇気がいるけれど、子供にはそんなどしっとしたお母さんの安定感がきっと1番必要だから、勇気をもってどしっとしていよう。

「心配」の気持ちで息子の話を聞くんじゃなくて、できるだけ「興味」の気持ちで息子の話を聞こう。


そんなような気持ちを一生懸命意識するようにしてからは、息子がよりたくさん幼稚園の話をしてくれるようになった。

それはきっとたまたまじゃない。


心配ベースの会話と、興味ベースの会話では、質問の仕方や会話の広がり方が全然ちがう。会話をしている私たちの周りの空気も、きっと全然ちがう。

その全部をきっと息子は全身で感じて、楽しいかつまらないかを判断してるんだと思う。


幼稚園でがんばったあとは、できるだけ楽しい会話ができますように。できるだけリラックスして安心した空気を感じさせてあげられますように。



そんな決意を新たにしてしばらくたった。




ある日、家族3人で夜ごはんを食べていると旦那さんが息子にたずねた。


「最近○○くんとはあそんでるの?」

○○くんは、息子が年少さんのときに唯一(?)友達だと認めていた男の子だ。

息子は少し考えて答えた。

「仲はいいんだけどさ・・・○○くん、他の子となかよくなっちゃってさ・・・」

そのあとの言葉を待つ、私と旦那さん。
そのままだまる息子。
そのあとケロッとちがう話をしはじめる息子。


私と旦那さんは顔を見合わせた。おそらく「なにかあったのかな?」「どうしたんだろう・・・気になる気になる・・・」というようなことを、目だけで伝え合う。

あぁ、心配。




息子に興味津々の私たち。
息子が幸せであってほしいとだれよりも願う私たち。

それゆえに、どしっとできない日だってやっぱりあるけれど、心揺れては信じ、心揺れては信じ、心揺れては信じて。

そうやって揺れながらも、息子を「信じること」に戻ってこられればそれでいい。


この間よりも肩の力を抜いて、
そんな新たな決意をした。

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