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5歳息子「You Tube中毒」事件の反省文。

やらかしてしまった。

何をやらかしてしまったのかというと、息子をYouTube中毒にさせてしまったということだ。

反省も込めて、自戒も込めて、今日はその事件について書こうと思う。




4月の中旬頃、家族3人でコロナになって、約2週間自宅に閉じこもった。

まずは息子、そして私、そして父ちゃんへと、2日おきのペースで移っていった。


息子は2日間でコロッと回復したけれど、私と父ちゃんは寝込んだりしていたので、その間息子は1日中YouTubeを見ていた。普段テレビの時間制限をしているわけではないけれど、一緒にあそんだり、外出したりして、「テレビばかり」にならないようには心がけていたのだけれど。


「こんなときはYouTubeに頼ってもいいよね。YouTubeさん、ありがたや、ありがたや・・・」

みたいな感じで、たいして罪悪感もなくYouTubeに息子を任せていた。おかげ様で、ゆっくり休めて回復した。


1週間もすれば、私も父ちゃんもほぼ回復する。



でも、私と父ちゃんは思ってしまったのだ。

「まだ本調子ではないし、外にも出れないし、家の中で一日中一緒に遊ぶのもしんどいし、自粛中くらいYouTube見放題でいいんじゃない?ストレスたまって、イライラするよりマシじゃない?」



ダラダラ癖がついてしまっていたんだと思う。

人間は一度楽をしてしまうと、なかなか元に戻すのが難しいらしい。体がしんどいのはもちろんあったけれど、仕事を休んで、YouTubeに息子を預けてダラダラしていた1週間は、なんだかんだ「楽」だったのだ。



YouTubeを見せていると、まずエンドレスおしゃべりが止まる。家の中が静かになる。よくわからない設定のゴッコ遊びに付き合わなくていい。


よく考えたら、あんなにおしゃべりな5歳の子供が一日中しゃべらなくなるなんて、動かなくなるなんて、手を動かして遊ばなくなるなんて、すごく怖いことだな、と思うけれど。


その時は「楽」を選んでしまったのだ。





自粛期間があけた1日目、息子を幼稚園へ迎えにいくと、担任の先生がパタパタと近づいてきた。


「りんりん、今日1日中ボーっとしていました。話しかけてもいまいち反応がうすくて、ちょっと心配だったので・・・」


私にそう伝えてから、「りんりん、今日は久しぶりの幼稚園で調子でなかったかな?」と息子にも話しかけていたけれど、その問いかけにも答えていなかった。


どうした、りんりん・・・


息子の異変にふんわりと気づいた瞬間だった。


でも数日後には「いつものりんりんに戻りました!」と担任の先生から伝えられていたので、たいして気にしていなかったのだけれど。





ある休日、朝ごはんを食べ終わったあと、私は息子にたずねた。


「今日は何して遊ぼうか?お家であそぶ?どこか行く?」


すると、びっくりする答えが返ってきた。


「お家でYou Tubeみる。」


そう言ったのだ。




「今日はレゴしたくないの?公園行きたくないの?」

いつもは「母ちゃんとレゴするー!」「〇〇公園行くー!」と言う息子が、なんだかボンヤリとした目で「You Tubeをみる」と言ったことがなんだか不安で、そう聞いてしまった。


そして、その問いかけへの返事も返ってこない。


ボンヤリとYou Tubeを眺めている。
私の声が聞こえていないのだろうか。


息子の左手には、リモコンが握られている。リモコンを離せないのだろうか。





「りんりん!返事しな!You Tubeやめなさい。」


父ちゃんが突然、キツめの口調でそう言った。父ちゃんも息子の異変に気づいたのだろうか。

You Tubeのうつるテレビの画面がブチッと消えて、真っ暗になった。




「返事もしない、遊びもしない、公園にも行かなくなるんやったら、You Tubeはもう見たらあかん。」


そんな父ちゃんの言葉をきいて、気まずそうにうつむく息子。




そんな2人を見ながら、モヤモヤモヤっとした気持ちが噴き出してくる。何か違和感を感じたのだ。お父さんが子供を叱ることは悪いことではないけれど、今日は叱ってはいけないような気がした。

むしろ、謝らないといけないような気がした。




「父ちゃん、りんりんは悪くないと思うよ。うちと父ちゃんが、りんりんにYou Tubeを見せっぱなしにしてたんやんか。りんりん、ごめんね。りんりんは悪くないよ。母ちゃんと父ちゃんが悪い。」



とりあえず息子にそう謝った。



「You Tubeは悪いものではないんだけど、おもしろいからさ、母ちゃんでも止められなくて、ずっと見てしまうことがあるねん。そういうの、"中毒"っていうんだよ。そのせいで、他のおもしろいことが何もできなくなっちゃうこともあるねん。You Tube以外にもおもしろいことが地球にはいっぱいあるから、りんりんにはいろいろ知ってほしい。手と足を使って、いろいろ経験してほしい。テレビの世界もおもしろいけど、母ちゃんはやっぱり現実の世界がおもしろいって思ってる。時間を決めてテレビを見るお家もあるけど、母ちゃんはできるだけそれはしたくない。母ちゃんもYou Tubeが好きだし、時間制限されたらイヤやもん。でも、止められなくなるんだったら、時間決めた方がいいのかなぁ?どうしたらいいんだろう。母ちゃんもどうしたらいいかわかんない。」


"どうしてYou Tubeを見すぎるのが良くないのか"を息子に伝えないといけないな、と思ってそんなようなことを真剣に話してみたけれど、

何とまとまりのない言葉なんだろう。
5歳の息子に、そんなダラダラと話してもきっと伝わらないだろう。

そもそも、"どうしてYou Tubeを見すぎるのが良くないのか"に対する「自分なりの答え」が見つかっていないのだから、そりゃそうなるか、と思った。


ただ「このままにしていたらダメだ。このまま息子にYou Tubeを見せっぱなしにしていたらダメだ。」という"警報"のようなものが、頭の中で鳴り響いていることだけは確かだった。


あとは、息子がYou Tubeを見ているときのあのボンヤリとした目が、単純に"イヤ"だったのだ。もしも息子の目がイキイキとしていたなら、きっと私の頭の中のサイレンは作動しなかったにちがいない。





でも。

息子がYou Tubeを見すぎているとして、何がいけないというんだろう。



"必要な成長"が妨げられるから?

そもそも、必要な成長って何なんだろう?

それは私が決めることなんだろうか?




ほかのやるべきことができなくなる?

そもそも、"やるべきこと"って何だろう?

何か夢中になれること?
友達とあそぶこと?
勉強?

それだって、私が決めることなんだろうか?




「息子がどう育つのかは、
あなたの決断一つ一つの積み重ねに
かかっているんだぞ!」

誰かからそんな風に重圧をかけられているような気持ちになってくる。

それは誰の声なんだろう?



私はそんな風にはちっとも思っていない。

「子供は子供の人生を歩いているんだから、子供が選ぶことを大切にしよう。失敗やつらい経験も含めて、子供が自ら経験する邪魔をしないようにしよう。」

それが子育ての中で、私なりに1番大切にしていることなのに。



2週間家に閉じこもったコロナのときは特殊だったとして、普段は毎日9時から5時まで幼稚園に行っている。きっと疲れているだろう。

休日に、お家でYou Tubeを見てのんびりしたいという気持ちはすごくよく分かる。

私だって、独身のときはそうしていたじゃないか。

なのにどうして息子が休日に「You Tubeを見たい」といったら、大人の私が危機感を覚えるんだろう。


公園でどろんこになって走り回って遊んでいたり、家で夢中になっておもちゃで遊んでいたら、なぜ「安心」するんだろう。


"子供らしい"からだろうか。

子供らしさってなんだろう。
大人らしさってなんだろう。



頭の中で、グルグルとそんなことを考えた。






その日、3人で近所の川沿いを散歩した。

息子は、川の水を水鉄砲に入れて、ピュンピュンと飛ばして遊んでいる。


そんな息子を眺めながら、私と父ちゃんはYou Tubeについて話し合った。


「You Tube、どうしようか。でも、時間制限するのは何かちがう気がするんだよなぁ。父ちゃんの実家は、テレビ見放題だったんだよね?」


「ディズニーのビデオ、死ぬほど見たわ。You Tubeのゲーム実況を見るよりはディズニーとかの方が、物語とかメッセージ性があっていいかもしれへんなぁ。」


「たしかに。」


「とりあえずYou Tubeはしばらくお休みしてみて、ディズニーチャンネル契約してみる?」


「せやなぁ。とりあえずそうしてみる?それで様子みてみよか。」



私と父ちゃんが出した結論は、
そんなツッコミ所満載のものだった。

ゆったりと流れる川が視界に入っていたからだろうか。なんだか家にいるときよりも、気持ちがゆるんでいて、「今すぐ自分なりの答えを見つけなきゃ!」という気持ちが薄く薄くなっていた。


なぜYou Tubeはダメで、
なぜディズニーチャンネルは良いと思うのか。

なぜYou Tubeのゲーム実況はダメで、
なぜストーリー性があったら良いと思うのか。


頭のスイッチをオンにすると、うっかり自分で自分にツッコミを入れてしまいそうになったけれど、

もうキリがないので、漫才風に「もうええわ。」と締めくくって、むりやり思考を終わらせた。



正解なんてないんだから、

小さな小さな私の頭の中のサイレン音を
頼りにするしかない。

息子の目の奥をのぞきこみながら
その都度できるだけ息子の目が輝く方向に
軽く手を引くくらいしか、
私にできることはないような気がした。

それが息子にとって、長い目で見て「ありがた迷惑」だったとしても、

"サイレン音"や"目の曇り"を無視することは、母親の私にとってはむずかしすぎる。

息子に幸せになってほしい。

根っこにあるのはただそれだけなんだけれど

息子にとっての幸せは、
私が思い描くソレと同じだとは限らない。






それから1ヶ月ちょっとたったけれど
息子はYou Tubeを見ていない。

「You Tube見たい!」と言うこともない。

見なかったら見なかったで大丈夫なのか、父ちゃんと母ちゃんの雰囲気を察して言わないようにしているのか、それはわからない。


公園に行けば楽しそうだし、
家でもレゴで遊んだり
ディズニーチャンネルを見たり、
ゲームをしたり。

まるでYou Tubeなんて存在しなかったかのように、生活している。

息子は今日もあいかわらずおしゃべりで
目はキラキラ輝いている。




でも、やっぱりモヤモヤは消えてくれない。

それは、息子が大好きなマイクラのゲーム実況を見る時間を奪ってしまったからだろうか?

無言の圧で、息子の自由時間をコントロールしているような気がするからだろうか?




You Tube。

あなたが選ぶ。

私が選ぶ。

あなたは何を選ぶ?

私は何を選ぶ?


自分で選べることは素敵なこと。楽しいこと。

でもだからこそ、中毒性があるのだろうか。



あなたが選ぶものを、
私が選んではいけない?

子供が選ぶものを、
大人が選ぶのはどう?






今日も息子のおかげで、

私の心と頭は、
正解のない正解を求めて、せっせと働く。



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