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温かさとわずらわしさのハザマで。

もよ

平日はシャワーしか浴びない旦那さん。

せっかくなら、家族3人でゆず風呂に入ろうじゃないか!というわけで、冬至より1日早いけれど日曜日にゆず風呂に入った。


湯船の中で、息子がゆずの皮をむいてしまったので、私は皮膚がピリピリ痛くなってしまった。一足先にお風呂から上がったら、肌がピリピリポカポカしていて、なんだか体からいらないものが出ていったような感覚があった。そのときは確かに、心身ともにいい感じだったのだ。


それなのに。


「冬至の日にゆず風呂に入ると風邪をひかない」

そう言われているのに。


よりによって、ゆず風呂に入った次の日に風邪をひいてしまった。私だけじゃなくて、息子も。2人とも咳がコンコンと定期的に出て、そして私は少しだけ熱が出た。ゆずは悪くない。もしかしたら1日早くゆず風呂に入ったのが良くなかったのかも、とゆずの肩をもった。


「おそろいだね」

息子がうれしそうにそう言った。

「おそろい咳やね」

と私が答えると、息子はうれしそうに何回も「わざと咳」をした。


そしてその後、咳が止まらなくなった息子に
「かわいそうに」
と言いながら息子の頭を撫ぜた私。


そしてその後、咳が止まらなくなった私に
「かわいそうに」
と言いながら私の頭を撫ぜた息子。


心の奥底からじわじわと温かいものが湧いてきて、ちょっとだけ泣きそうになった。



一方で、体が鉛のように重たいそんな時でも、家事と子育ては容赦してくれない。

その重たい体を引きずって、息子をお風呂に入れて、手抜きなりにごはんを作って食べさせて、洗濯をする。

全部がわずらわしくてわずらわしくて、もうすべて投げ出して布団にもぐってストライキしてしまおうかと何度も思ったけれど、4歳の息子と二人きりの家の中でそれは不可能だ。


そんな気持ちの中、なんとか平常心を保って夜ご飯を食べていると、息子は言った。

「サンタさん、僕に会ったことないのに、なんでプレゼントくれるの?」

なんて冷静な考え方なんだろう。しんどいときにこの質問はつらい。「何も考えずにもらえるものはもらっておけー!」とぶっきらぼうに言い放つ自分を頭の中でイメージしてしまったけれど、実際にそう言うのはやめて「なんでだろうね」とだけ答えた。


「いつプレゼントが届くの?」

と聞かれたので

「そういえばサンタさんがね、プレゼント届けるの1日遅れるって言ってた。」

と言った。わが家のサンタさんは大人の都合で、金曜日の夜に来る予定なのだ。


「母ちゃん、サンタさんと連絡とれるの?どうやって?」 

と言われた瞬間、「しまった!」と思った。しんどくていつもみたいにおもしろがって「物語」をつくる余裕がないし、頭が回らない。

「電話で」

と咄嗟に答えてしまった。


「サンタさんと電話できるの?僕もしたい!」

「こっちからはかけられないねん。」

「なんで?」

「サンタさんの電話は発信専用やから」

「発信専用ってなに?」

「なんだろうね。母ちゃんもわからん。」

「なんで?」


もうボロボロだ。いつもならおもしろいこの会話が今はわずらわしくてわずらわしくて仕方がない。なんやねん、発信専用って。

そしてこの時点でもう夜ごはんを食べ始めてから30分以上も経っている。いつもは息子がごはんを食べ終わるまでは息子の隣に座る、という自分ルールを自分で破った。

「母ちゃん、ちょっとしんどすぎるから、ソファで寝転びながらおしゃべりしてもいい?」


と聞いたら、いいよ、と言ってくれた。


ソファで寝転がりながら息子としゃべっていると、ソファのそばで寝ていたコメ(猫)がムクッと起き上がって歩き出す姿が視界に入った。そしてコメは、私がさっきまで座っていた席に飛び乗って「にゃー」と1回だけ鳴いた。

その鳴き声が「今日は俺にまかせろ!」と言っているようだったので、おかしくてゲラゲラ笑った。するとなんだか力が湧いてきて、心が温かくなって、近くにあったスマホを手にとってその姿を写真で撮った。




その後、プンっとウンチの香りがただよってきた。コメかムギがウンチをしたのだ。

また、わずらわしくてわずらわしくて仕方がない気持ちが湧いてきた。でもそのウンチの香りをずっと臭っていたくなくて、重たい体を引きずりながらトイレの掃除に向かう。






家族と過ごす、温かさ。

そして家族と過ごす、わずらわしさ。


自分がしんどいとき、
そのコントラストがいつもより際立つ。


温かさは、いつもより温度を増し
わずらわしさは、いつもより強度を増す。



こんなとき一人暮らしなら、
わずらわしさはなくなるかもしれない。
でもそれと同時に温かさも感じないだろう。

わずらわしさだけがなくなって、温かさだけを感じる方法ってないだろうか、と考えていると、子供の頃の自分が頭に浮かんだ。


ごはんを作ってもらい
自分の着た服を洗ってもらい
お風呂で体を洗ってもらい
布団をしいてもらって
太陽の香りのするその布団でぐっすり眠る


そうだ、「温かさ」だけを感じて生きている時代が私にもあった。家族と過ごすことがただ温かいだけの時代が。


そのことを急に思い出して、
その姿を息子の姿に重ねた。

そして、今わずらわしさを感じている私の姿を、私の母の姿に重ねた。


そしてその母が子供の頃には
私のおばあちゃんが「母」だったのだ。


すべての人が、お世話してもらう時期があって、やがてお世話をする時期がやってくるんだと、当たり前のことを思った。


お世話をしてもらっているときには気づくことができないけれど、お世話をする側になってはじめて、その「温かさ」と同じだけの「わずらわしさ」を知る。


でもそうやって、つないできたバトンを今私は受けとって、息子のお世話をしている。そして、息子もやがて誰かのお世話をするようになるのだ。



温かい。

そして、わずらわしい。

それでいい。


その温かさを、そのわずらわしさを、今は味わおう。今はわずらわしくてわずらわしくて仕方がなくても、そのわずらわしさがどんどん小さく小さくなっていく過程は、きっとさみしいにちがいない。きっとそのわずらわしさが、どんなに温かくて楽しかったかにその時はじめて気づくのだろう。



そんなふうに考えていると、力が湧いてきた。まだまだ体は重たいけれど、さっきよりもちょっとだけ明るい気持ちで、洗濯物を干して、明日の朝ごはんのごはんを炊いた。


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もよ

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