見出し画像

幸せは追い求めない。自分の本心を追い求める。

社会で生きていくためには自分を偽る必要がある。
幸せの定義すら偽る必要がある。
本心とは違っても、思い込みによって幸せだと感じるようにする。

自分自身を見つめ直す日々の中で、上記のようなことを考え始めたここ最近。いや、ここ最近ではなく、以前から漠然と感じてはいたのだが、さらに突き詰めて考え始めている。

仕事がうまくいかず、自分で日々自覚できるくらいに、うつ状態が悪化してきている。夜眠りにつく前に、様々な考えが頭の中でメリーゴーランドのようにグルグルと回り続け、回りに回ってそのまま眠りに落ちれば良いのだが、考えがまったくまとまらず。

思考が四方八方に飛散するという表現が正しいのかは分からないが、頭の中が混乱状態に陥り、夜中まで寝付けない日々。何をそんなに悩むのか? それをこれから順に解き明かしていきたい。

幸せとは何か?

これまでの人生において、何度も自問してきた言葉。この質問を自分にぶつけることが非常に多くなった。なぜなら、「幸せ」というものがよく見えなくなってきているからだ。今自分が考えている幸せは本物か? その思いが、水に広がる波紋のように、自分の心の中に広がる。

画像2

幸せの定義とは何か?

幸せとは何かを自問し、次に出てくるのが幸せの定義について。そもそも幸せとはなんだろうか? 人それぞれ違うということは間違いない。だが、今の私が感じている「幸せ」という言葉への違和感。この違和感は何に由来するのか?

幸せを定義する必要はあるのか?

妻に言われた一言。「幸せを定義する必要はありますか?」。これはとても心に響いた言葉だった。これまで定義してきた幸せの形。それは何をもとに定義したのか? そこに行き当たるきっかけとなる言葉だった。

幸せと本心の違いに気づいた

私が定義してきた幸せは、社会や身近にいる人間に合わせたニセモノの幸せだったのかもしれない。ニセモノと断言すると、私自身のこれまでを否定することになるので、「思い込んだ幸せ」を手に入れようと躍起になっていたのかもしれない。

「幸せとはこうあるべき」という社会一般での定義を、そのまま私自身の人生に無理にはめ込んで生きてきたのが実際のところではないか? 大学を出て、就職して、安定した生活を送る。それが幸せなのだと。だが、私の本心は本当にそれを求めていたのだろうか? 今改めて自分自身の心の奥深くを覗き込むと、これまで見えなかった本心が見えてくる。

画像2

本心から求めているものとは?

では私が本心から求めているものは何か? これがまた見つからない。いや、見つかってはいるが、見ないフリをしているのかもしれない。なぜなら、それをはっきり見つけてしまうと、先ほど述べた「一般的に幸せ」と言われることから遠ざかり、世間の目を気にしてしまうからだ。

世間の目

これは非常に厄介なものだ。特に日本社会では。本来、人間は自らの幸せに正直であるべきだが、この日本ではそうもいかない「世間の目」というものが存在する。それを打破しなければ本当の幸せは手に入らないのだろう。私は今、それを打破しようと思っている。

そのために取り組むべきこと。それは自分の本心に忠実になることだ。本心にたどり着くためには、次の質問に対し自問自答を重ねることだ。その上で、メモをすること。書いてアウトプットすることで、それが本心から現れたものと再確認する。

・自分はどんなことができていたら幸せか?
・心から楽しめている時は何をしている時か?
・心から楽しめている時間の使い方とは?
・心から幸せと思えるライフスタイルとはどんなものか?
・自分がいつも考えていることは何か?
・これまで嬉しかった瞬間・感動した瞬間は?

社会に合わせて幸せなフリをするのはもうやめよう。
社会に合わせて本心とは違う幸せを追い求めるのはもうやめよう。

何よりも大切なことは、自分自身の本心を追い求め、本心から願う生き方をすること。それが本当の幸せにつながっていくのだと、私はようやく気づいたのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?