バガボンドと渇き

バガボンドという漫画をご存じでしょうか?

「スラムダンク」で有名な井上雄彦先生が剣豪、宮本武蔵の生涯を追いかけて書いてる漫画です。

17年も書き続けられているけど未だ未完という大作。。

ふと、したことから数巻読んだら、面白すぎて全巻大人買い!

しかもそれも数日で読み切ってしまい、興奮冷めやらずとりあえず木刀を

アマゾンで買おうとするところまで行ってしまいました。。

(さすがにそれは脳内の良識ある自分が

「どうせ使わずに肩叩きか、つっかえ棒になるのが落ちよ!」

と判断したので、買わずに済みましたが)

内容は残虐なシーンも多いので気軽にオススメは出来ないものの、そんなべらぼうに面白いバガボンド。

詳細の説明は wikipedia に譲りますが簡単にちょっと自分が感じた部分を話すと。。

田舎から出てきた武蔵はまるで野獣の如く、次々に敵に挑み、斬り伏せていきます。「俺が最強だろう!」と心の内で叫びながら。

しかし、強敵と死を感じるほどの戦いをした後に感じたのは「これじゃないという違和感」でした。最強を目指したものの、最強へ近づくにつれて虚しさだけが募ることに気づく武蔵。そしてやがて自分は今まで斬り伏せてきた者たちに育ててきてもらったことに気づきます。

このあたりを読んでいて、私も思い出すことがありました。

私が大学で少林寺拳法部に所属していた頃の話です。

少林寺拳法には昔からの伝統行事があって、各大学の部員は春の休み期間中に本部でみんな一緒に合宿を行います。(私も参加しました)

昼間は本部の達人の先生方に稽古をつけてもらい、夜は有志で自主練するというものでした。その夜の自主練での話。

私は組手や乱取という実践稽古が好きだったので、それを練習しているグループに参加しました。そこで出会った一人の学生が印象に残っています。

彼は強いは強かったのですが、戦いのスタイルがまるで猛犬でパンチ・パンチ・回し蹴り・膝蹴りみたいに相手を叩きのめすように戦っていました。

(少林寺拳法は基本的に護身術なので、そもそも何やってんねんという話ではありますが)

その姿を見て違和感を感じてモヤモヤしていたのは覚えています。

それがこのバガボンドを読んで、なぜその違和感を感じたのか分かった気がします。というか言葉にできるというか。

ただ斬り伏せるような強さっていうのは「渇き」に近いんじゃないかなと。

俺は強い!お前らより強い!という叫ぶことで回りに自分の存在価値を認めさせようとさせる。

何より自分自身を「強い」という自負に支えてもらおうとしている。

そんな風に必死に自分の縋るもの、存在を認めてくれるものを守ろうとするから攻撃的になるのではないか?と。

しかし皮肉にもそうやって、自分に縋れば縋るほど人は離れていく。

事実、本当に最強を証明したとき、世の中には自分ひとりになり絶対的な孤独になる。(バガボンドでも同じことが書いてある)

しかもこれは武術的な意味に限らず、他事でも本質的に同じではないかと思う。経済力、権力などなど。。

だが、もうひとつ疑問。

もし、自分を支えている自負とやらがなくなったらどうなるのか?

多分、大して変わらない。それでも自分を辞める事はできないし、辞める必要もない。

むしろそうすることで初めて肩の力が抜けるのではないか。

もちろん、私は一期一会で出会った彼ではないので、あくまで推察でしかないが。

ちなみに対比までにその合宿やその後の稽古で出会った達人は全く違っていた。

達人級の人の技は「どうやって教えちゃろかな?」「こんなことしたら驚くぞー」というような温かみや茶目っ気に溢れていたと感じます。

漫画でありながら、下手な禅の入門書よりも禅的な心についての洞察が深まるのではと思わせる、不思議な哲学的な作品。

武道をしていた人もしていなかった人にもオススメ。

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