noteはmixiの日記的な居心地の良さがある気がする
「mixiの日記」がわかるのはアラサーで少し下の世代だともう知らないだろう。今は当たり前のものになっているがガラケーで初めて体験した”SNS”というもの。
馬場さんの記事に
「mixiの日記を読み返してみたら」
という記述があり懐かしのSNSを思い出した。というか未だにアカウントあるのすごいな
自分にリアルタイムで反応があったりどんどん友達と繋がれるのはとても新鮮だった記憶がある。しかしスマホがでてきてすぐに忘れ去られていったmixi。でも今考えると今のSNSよりも使い心地がよかったなあと思う点もある。
mixiがTwitterとFacebookと違った点
当時のmixiは「つぶやき」と「日記」と「写真」みたいな機能があったと記憶している。そして一番流行っていたころは”いいね”という概念がなかった
みんな短文はつぶやき的なところに、長文だけどしょうもない話は日記に書いていた気がする。
Facebookとは違いフィードに長文がバーンと流れてきてしまうわけではなかったから書きやすかったのかもしれない。読みたい人だけが読む感じ。
いいねはなかったが「あしあと」という機能はあり、誰が読んだのかは見ることができたのも今考えるとおもしろかった気がする。
「好きな人が読んでた!」みたいにはしゃいでる人もいたなあ、なんか青春
どうでもいい長文を書く場所
Facebookは実名だし先生とか家族もみんな見るわけだから「どうでもいい長文」を書く場には適していない。主に報告だったり宣伝の場という感じだ。あとは変な中高年が若い音楽家に執拗にメッセージを送ったりしている。
Twitterはそういう意味では日本人にあっているが、あまり連投ツイートをしまくってみんなのフィードに出すのも気まずいから長文は書けない。そもそも長文を書くSNSではないから。
そうするとmixiが流行っていた頃にどうでもいい長文をたくさん書いていた人たちは行き場を失ってしまっただろう。ブログサービスも意外と「どうでもいい長文」を書く場ではなくなってきている実感もある。ブログをやるならそれなりのアクセスを稼いでお金も稼げないと、という雰囲気。
それはみんなにあるわけではないのだろうけれど。
となるとnoteはその代わりになるのかもしれないと思う。
noteにmixiの日記みたいな文章を投稿して、Twitterに流せば読みたい人だけが読んでくれる。フィードを荒らすことなく「あーあの人日記書いてるわー」的な感じだ。
友達の日記とか感想って意外と読みたくなる。
Facebookにあげるような文章ではなく普通に感じたこととかどんなことをしているのかという話。ネットだからオープンに公開されてはいるのだけど、よりプライベートなものの方が読みたくなるしその人を知れる気がする。
「アウトプット!情報発信!」
とかではなく、どんなコンサート聴いて何を思ったとかどんな映画を見たとか、そんな話を読むのが実はおもしろい。
だから「mixiの日記」みたいにみんなが何気ない「どうでもいい長文」をたくさん公開するようになったら楽しいな。
それから音楽家の友人がnoteを書き始めたから読んでみてください。
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