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発達障害持ち自己破産&宗教2世不登校自衛隊員が公務員で社会に適合できるまで

はじめまして ともです

タイトルが渋滞してますがこれでも厳選したつもりなのでお許し下さい

この記事はタイトルの通り色々あった人間の生い立ちが書かれてます


簡単に自分のプロフィールを

・発達障害(ADHD.ASD)、双極性障害、適応障害、うつ状態、精神手帳2級持ち
・某役所の国家公務員5年目(クローズ採用)
・親が自己破産&宗教2世


現在はなんとか公務員で生計を立てれるようになりましたがタイトルの通り過去には色々なことがありました


とりあえず小学校ぐらいから遡って記事を書きます


















自分は中卒の両親から生まれた


幼少期の時の記録はよく覚えていないが


気がついたら同級生から仲間はずれにされ

いじめられていたことだけは覚えている



小学校から友達はほとんどおらず



同級生の家の目の前で体育座りして

同級生達が楽しそうに遊んでいるのを眺めて過ごしていた



親はとある宗教に入っており

土日はよく教会で意味がわからないお経を読まされる退屈な日々だった


退屈だけならまだよかったが

自分のなけなしのお小遣いやお年玉も強制的に寄付されることがあり



自分は宗教を嫌いになっていくようになる



そして発達障害の例に漏れず忘れ物や遅刻をよくしていて成績はクラスでも下から数えた方が早かった


何よりも自分が子供の時から20年以上一番悩まされたのは希死念慮である



どういうことかというと


ほんの些細なことや何もなくても

死にたいことを願ってしまう気持ちで頭がいっぱいになってしまうことである



親に相談しても

そんな弱気でどうするんだと

逆に怒られ気合でなんとかしろと言われてしまい


まだ当時は発達障害の知名度もなく自分の体に何が起きているかわからない状態だった




そんなこんなで中学生に上がったがいじめはだんだんとエスカレートしていった


自分が覚えてる範囲のいじめだと

・筆箱の中のペンが全部折られていた
・集団リンチで病院送り
・全裸にされて柱にロープで括り付けられ晒される



先述した希死念慮も相まって自分は中学3年のときに自殺を図った


未遂に終わったが自分は学校が怖くなり途中から完全に教室に行かない不登校となった



唯一の救いは不登校で勉強が遅れる対策として始めた進研ゼミだった



今まで学校の授業だけではわからないことも進研ゼミの教材で克服していって最下位に近かった成績を上げていった



それにより再び登校を開始したときには学校の授業についていけるようになったのだが


再び悲劇が訪れる





「すまないが、今住んでいるこの家から出ていかなくなった」


父親が悲しそうな顔で自分に報告してきた



理由は分からないが家のローンが返せなくなり、両親が自己破産するといいだしたのだ



今思えば、宗教教会に寄付してるお金があるなら

そして土日にお経を読んでる暇があるならお金を稼いでいれば


こんなことにならなかったのではと思ったが



当時中学生の自分にはなんの力もなく大人しく住んでた家を出ていくことになった



まだそれだけならよかったが


両親は中卒で働きだしてくれと言い出した


勉強が分かりだして来たのにそれだけは嫌だと自分は懇願した


中学校の先生達もせっかく上げた今の本人の学力ではもったいないと反対してくれ



自分は高校卒業後すぐに働けるよう商業高校に進学することになる





高校ではいじめは比較的大人しくなったが

人と関わるのが怖く、クラスでは常にぼっちの存在だった

そのため高校でもあまり学校に通わず、楽しく過ごせることはなかった


しかし勉強だけは楽しかった


在学中に自分の中ではもっと勉強したい気持ちが湧いてきて


自分は大学進学を選択した


しかし、大学進学に当たって大きな壁がいくつかあった



まずは学力面の問題である


商業高校では簿記や情報処理など大学受験では役に立たない科目が多く


普通科の科目については数学はⅠで終わってAやⅡBがなかったり

国語は古文や漢文がないなど

普通科と比べて大学受験を目指すのに難しい状況であった


そして次に金銭面の問題である


大学に行くには当然ながら多額のお金がかかる


商業高校から大学進学するには推薦で進学するのが一般的だが


自分の商業高校の場合だと私立大学しか選択肢がなく



家から通える国公立大学にいくためには


教科5科目のセンター試験を受験するしかなかった



担任の先生に相談しても


うちの高校はバイト禁止だからな
今はとにかく勉強に集中して経済面は親を頼れとしか言われず



役には立たなかった



親も学校もあてにできず困った自分は足りない頭で策を考えた


そして自分は無謀ながら決断した



それは浪人してもいいから大学受験に必要な5科目を独学で勉強し

さらに学費や必要な生活費をバイトで稼いで進学することであった


お前は何で商業高校に来たんだと担任に言われたこともあったが


大学進学するためにはそれしか方法がないと思っていたため教師を無視して勉強とバイトを始めた


当然塾に通うお金もなかったため

勉強は本屋で参考書を買って分からないところは自分で考えるというありさまだった



クラスの皆が推薦や就職で進路が決まっていく中

自分はひとりだけ進路未定のまま卒業していくことになる



そして高校卒業後、浪人生活が始まった


一浪目の時はまだ学費や生活費が目標にほど遠くバイトに専念する日々が続いた


バイトは家から通えるコンビニの夜勤をすることになった


バイトで稼いだお金を宗教に寄付されそうになった時は流石に親に手を上げそうになったが


堪えてバイトと勉強を進めた



一浪目でそこそこのお金が貯まりこの調子で行けば大学進学も視野に入るぐらいにはなった




しかし、勉強の方はうまくいかなかった



夜勤のバイトと独学での大学受験を両立させるのは予想以上に大変で


分からないところがあっても誰にも聞けない孤独な状況が本当に苦しくて


あれだけ楽しかった勉強が怖くなっていくのを感じた



一浪時の受験は学力が足りず失敗におわった



そして二浪に突入することになる



バイトを中断して勉強に集中することにしたが



失敗したらどうしようというプレッシャーが常に自分に襲いかかってくる状況が続いた



さらに持病である希死念慮も相まって


自分は二度目の自殺を図ることになる



とりあえず台所にある包丁を取り出したが



自分の体に刺せる勇気もなく




包丁を眺めて一日が終わる

そんな日々が続いた



さらに勉強がうまくいかなくなると

一日ひたすらゲームをして終わる完全に
ニートの生活になっていった

このままプロゲーマーを目指そうかと本気で思った時期もあった



結果二浪目は一日家でゲームをしてたまに自殺をしようとしたりするなど


最悪な一年が続いた



ずるずると惰性を貪る日々が続き
センター試験まで一ヶ月を切ったある日




現実逃避を続けていた自分は

特に何かきっかけがあったわけではなかったが


もうこのまま世捨て人として暮らすことになってもいいから悔いのないようにしようと

諦め半分で勉強を再開した



残り一ヶ月を切った状態で勉強を開始したおかげが


今まで感じていた焦りがプレッシャーではなく勉強の原動力となっていた


一度勉強してわからなくて投げ出していたところも


もう一度参考書に目を通すとなんとなく分かるような気がした



そしてセンター試験前日

自分は気持ちがぐちゃぐちゃなまま遺書を書いた



遺書の内容は親への感謝の言葉とか弟に親のことを頼むとかそんなことだったような気がする



二浪目のセンター試験は緊張しかなく
自己採点の時は手が震えっぱなしだったが


センター試験の結果は地元の公立の芸術大学がなんとかいけるかもしれない程度の成績だった



芸術大学だったが2次試験は英語と国語だけで

経済学を専攻できる大学であったことから


その大学の2次試験を受けることになった



2次試験の対策も独学だったため

答えがよくわからないまま過去問に手を付けることしか出来ず


本番の試験も手応えがないまま終わってしまった




そして合格発表当日



インターネットで合否を確認した

受験番号が1番だったため結果はすぐに分かった





合格していた





自分の中では嬉しさよりも何で受かったんだろうという不思議さが勝っていた




遠回りしたがこれでなんとか大学生になれると思っていたのだが



大学生活でも色々なことがあった


まずは二浪して大学に入ったことで同じ学科の中心的な男子から目をつけられた


消しゴムを投げてくるなど小中みたいないじめを受けた



それだけならまだよかったが

悩まされていた希死念慮が大人になって強くなっていくのを感じていた


ほぼ毎日夜中にひとりでいると


自殺したい、死んでしまいたいという気持ちで泣いていて


生きていくのに絶望する日々が続いた


さらに希死念慮に加えて新たに困った症状も起きてきた



まずは頭の中にモヤがかかっているような状態がたまに発生した

これが起きると考えが自分の中でまとまらなくなってしまう


また、立っているだけで頭がフラフラして疲れてしまい座り込んでしまう


さらに人に対して怒りを示そうとすると涙が溢れそうになる



難しい出来事に直面すると頭がフリーズして考えることが全くできなくなる

整理整頓が苦手で自分の部屋がゴミ屋敷になってしまう


発達障害の影響か分からないが自分の体調面の悩みはどんどん大きくなっていった



そして一番大きかった影響は

親の失業である


大学在学中に親は仕事を失い

自分に生活費をせびってくるようになった


自分のバイト代だけでは賄えず奨学金をたくさん借りて親に渡すという

逆に仕送りをする状態になっていた



これだけ述べたら大学にいかなかったほうがよかったと思われるかもしれないが



こういったことを除けば初めて学生生活が楽しいと思えるようになった




サークルに入って今も付き合いがある友達ができた




男女比が2:8で女子の方が多い大学だったため


女性というのは最初から自分のことを嫌っている人達と思い込んでいたが



だんだんと普通に話すことができるようになっていった


そして勉強でわからないことがあっても質問することができる環境に身を置ける


自分にとってはこれまでの学生生活で感じたことがない幸せを感じていた




そんなこんなで大学生活を謳歌していたが


卒業後の進路についてはかなり早い段階で公務員を考えていた




それはなぜかというと

今まで経済的に不安定な状態に悩まされ続けたことや

自分を見下しきた人間を見返したい

希死念慮など体調面で悩まされ続けている自分は安定した生計を立てたい


などの理由で公務員を目指すことにした




公務員の筆記試験はいろんな科目があり、試験範囲はかなり広い



自分は生活費を稼ぐ必要がまだあった

というより親の失業で更に稼ぐ必要が出てきたため

勉強に本腰を入れたのが試験の3ヶ月前からであったが



孤独で辛かった大学受験に比べれば公務員の筆記試験は精神的にはかなり余裕だった


そのためか受験した公務員の筆記試験は全て突破できた


地元の県庁の筆記試験では1位だった

東大や京大もいるなかで






しかし、ここから思わぬ落とし穴が待っていた




面接試験が本当にうまくいかなかった

公務員の面接試験は民間と比べたら受かりやすい傾向にあるのだが

自分が受けた官公庁の面接は何十連敗した


自分は面接官の言っていることが理解できなかった

面接官がどういう答えを求めているのか分からなかった


大学の就職室に相談したら


普通に考えたら君の落ちた理由は分かるはずだよと言われたが


自分にはその普通が分からなかった


採用の電話がいつまで待ってもかかってこず


自分の携帯電話が壊れてるんじゃないかと重い

自宅の固定電話から自分の携帯に電話してしまうほどだった



そして内定が決まらないまま大学4年の2月まで進んでしまった


もうこの時になると流石に周りは進路が決まっている人ばかりになり


借りた奨学金をどうやって返すか一人で思い悩んでいながら過ごしていた


そんな時、防衛省の出先機関から面接の誘いの電話がかかってきた


待遇が全国転勤であることがネックであったが



このままでは国を守るか、自宅警備員になるかの二択を迫られることになり


藁にもすがる思いで面接を受けた



面接はうまくいかなかったが、直ぐに採用がきまり自分はとりあえず一安心したが




その後自衛隊員として国に命を捧げることになるとは思わなかった








自分は防衛省事務官として採用され新社会人としての一歩を踏み出すことになった



電話で配属先を伝えられ向かった先は



自衛隊の駐屯地(基地)だった




当時の自分は本当に無知だったが


自分の中ではそもそも防衛省=自衛隊というイメージがなかった


そんなショックを受けながら駐屯地の門前で立ち尽くしていると


スーツを着たイケメンお兄さんが門から出てきてこちらに話しかけてきた


その方はその駐屯地で人事を担当している方でAさんという名前だった

Aさんに案内され駐屯地の中を案内されたが、
中は迷彩服を着た筋肉ムキムキの方々が作業されており

自分はこの中でやっていけるか不安が募るばかりだった

そして防衛省に入って最初に自分にとっては衝撃の事実を告げられる



「君は俺と一緒で事務官という立場で防衛省に採用されたが、自衛隊員の一員だ。とりあえずこれにサインして」

あれ?自分って自衛隊員なの?

そう思いながら渡された紙に目を通した




私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。


自分はこの紙にサインしたらやばいことになることを一瞬で理解した


「この文書覚えて、隊長の前で宣誓してもらうから」

そうAさんに言われたが頭の中に全く入ってこない


それよりも自分はやっぱり辞めると逃げ出そうと思ってしまったぐらいだった



しかし、ここを辞めても他に自分の居場所はない

さらに親の生活費の支援などで借りた奨学金は高級車を買えるぐらいの額になっていた


そんなことを思い泣く泣く自分は渡された紙にサインをして

隊長の前で宣誓することになった


自衛隊の勝手はよくわからなかったがとりあえず大声で読み上げた


自分が読み終えると

目の前で聞いていた隊長は自衛隊のことについて色々と語ってくれた



言われたことについてはもうほとんど覚えていないが


君は今日から自衛隊の一員だ
その重みを忘れないように



そんなことを言われたような気がする



そして自分は自衛隊の一員として仕事を始めることになる



仕事内容としては自衛隊員の福利厚生に関することで事務作業がメインだった


防衛省というお固い組織だったため

期限は絶対厳守、間違いも許されない


とにかく自分にとっては厳しい仕事だった



自分がやらかしてしまった失敗としては



誤字だらけの書類を作成し、
上司から指摘されるが再提出しても指摘されたところが直ってない


電話応対で折返しの電話を依頼する際に、相手の方の電話番号を間違えて伝えてしまう


仕事で分からないことがあると頭がフリーズして何も考えられなくなる


作成した行政文書の中に今度行くスピッツのライブのポスターが混じっていた



例を挙げればきりがないがこんなことをいつまで経っても繰り返し起こしていた




普通なら上司や先輩に怒られ、仕事が辛くなってすぐに辞めてしまうところだったが




意外にも自衛隊の人達は優しく

周りの人達は神だと思えるほどの人格者に囲まれた


仕事で何かミスをしても

教え方が悪かった、気づかなかったこっちに責任があるなど


逆に上司や先輩に謝られることが多々あった



そんな自分のミスをカバーしてくれるほどの人間関係に支えられ



社会人として過ごしていた



そんなこんなで自衛隊員として過ごしていたある日


トイレに貼ってあった臨床心理士のカウンセリングのポスターに目が止まった



自衛隊は仕事の都合上精神的に問題を抱えてしまう人もいるため


基地内に臨床心理士が駐屯しており

仕事で困っていることについてカウンセリングを受けてくれる制度があった




いまの恵まれた環境がいつまでも続くわけがない

いつかは仕事で独り立ちできるようにならないといけない


いつまでも優しい上司達に迷惑をかけるわけにはいかない


そんなことを思い自分は臨床心理士と面談を受けてみることをした


とりあえず自分は仕事で困っていることについて洗いざらい臨床心理士に伝えた



臨床心理士からは問題点の原因を探るために

問診や知能検査を受けることを勧められ受けることにした





数週間後、結果が帰ってきた





「あなたは、発達障害の疑いがあります」




26年生きてきてようやく自分の生きづらさの原因が分かった瞬間だった




その時の自分は発達障害について何も知らない状態だったため

臨床心理士から色んな解決策を教えてもらったが


忘れ物をしないために玄関に荷物を置くとか
仕事でミスしてもいいように常に低姿勢でいることに努めるなど


すでに自分で考えたことを実践していることばかりだったためあまり参考にならなかった



今悩んでる希死念慮や体調面での悩みも発達障害のせいなのか聞いたが


関連はあるかもしれないが詳しいことはまだわかっていないとの回答だった


そして、今でも忘れられない投げかけられた言葉がある


「発達障害は治るものではなく、一生つきあって生きないといけない」



その言葉を臨床心理士から聞かされ

自分は普通の人間ではないんだと絶望に駆られた

そして今悩んでる希死念慮や体調面、仕事での悩みも一生つきあっていかないといけない


どこまで自分は生きていけるのか不安でたまらない気持ちになった




そんな思いを抱えながら仕事を続けていたある日


人事のAさんから話しかけられた








「急な話だが与那国島に転勤しないか」



与那国島ってどこ?

どうやら日本の最西端にある島で台湾が目の前にある場所らしい



そこで新しい自衛隊の基地を作るため、発足要員を募集しているとのことだった



一度いったらしばらく帰ってこれないなどの話も聞き自分はすぐに断った



しかし、自衛隊の人事は全国転勤である

日本列島ダーツの旅を一生し続けるような異動が自分には待っている



実際、自分の前任者は九州や北海道に飛ばされるなど


異動に関する待遇はかなり厳しいものだった



それに自分の恵まれた人間関係がいつまでも続くとは思えない



さらに自分の部署の仕事量はまだマシな方だったが
隣の部署では毎年自殺者が出るなど過酷な労働環境が待ち構えていた


そういったことを考え自分は


働きだして3年目で転職を決意した






転職先は新卒と同じ公務員を選択することにした


発達障害ということがわかって更に安定した仕事に就きたいと思ったからだ




一度勉強したことがあるとはいえ2年以上のブランクがあったが


また独学で公務員試験の勉強を再開した



仕事を続けながら勉強を進めるのは結構な重労働だったが


全国どこに飛ばされるか分からない環境に身を置き続ける

そんな状況を打破すべく気合で両立させた



そのおかげか地元の県庁の筆記試験は再び1位で突破することができた



しかし問題は面接である

苦渋を舐め続けた自分は早期から対策を始めた




当時住んでいた若者向けハローワークに何度も足を運び

新卒の時自分はなぜ面接がうまくいかなかったのか

どうやったら面接官と会話がうまくできるのか


何回も模擬面接をして対策をした




そのハローワークで相手をしてくださった方の指導は本当に的確で


自分が面接でどう振る舞えばいいか1から丁寧に教えてくださり




面接試験の結果、地元の県庁は落ちてしまったが

全国転勤ではない地域別採用の国家公務員に受かることができた





実は面接試験の当日


職場で数年に一回の重要な仕事と被ってしまい


自分は正直に面接試験を受けるために休むことを上司に白状したのだが



「最初から分かってたけどね、でも自分の環境を良くするために転職するのはいいことだと思うよ」



そんな言葉をかけてくださった

今でも自衛隊の時の上司や先輩には頭が上がらない





そして自分は3年にわたる自衛隊員としての生活を終え


某省庁の国家公務員となる





しかし、今まで上司達に甘えていた社会人ではこの先通用しないと思い



何かいい方法はないかと考え


転職する直前に


自分の住んでいた県内で一番評判のいい精神科を受診することにした



そこの精神科医にも仕事や体調面の悩みも打ち明けたのだが


対策法としては自衛隊の臨床心理士に言われたことと対して変わらなかった





しかし、自分は精神科を受診する直前に

発達障害のことを調べていて


発達障害向けの薬があることを知った


藁にもすがる思いでその薬を処方してくれないかと頼み承諾された




自分にはストラテラという薬を処方されることになった



受診したその日はとりあえずその薬を飲んで寝ることにした




次の日朝起きたら




自分の見る世界が変わっていた





あれだけ悩んでいた希死念慮がパッタリと止み、自殺を願うことが無くなった


散乱していてゴミ屋敷同然の部屋がきれいになった
物の整理整頓ができるようになった



頭の中のモヤがなくなり、考えを自分の中でまとめることができるようになった


仕事で難しい場面に直面しても頭がフリーズせず、仕事ができるようになった





このように仕事や体調面での悩みが多いに改善されていった





こうして、26年以上悩んでいた発達障害について対策をすることができ


その後新しく今の職場で働くことになる





しかし、その職場でも新たな課題に直面することになる







新しく採用された国家公務員では
主に事務仕事を行うもので前の職場と大きく変わらなかったのだが




次は人間関係に悩むことになった





新しい職場はとにかく体育会系で


上司や先輩のいうことは絶対であり



分からないことがあっても聞きづらい環境が続いた



さらに困ったことに新しい職場で働きだしてから3ヶ月後ぐらいに

ストラテラを飲んでいた副作用も起きていた



副作用としては躁鬱が激しくなることがまずあった




調子の良いときは自分は何でもできる、職場で一番出世してやるなどと豪語する

そして相手がこんな失礼なことをしたらこう言い返してやろうといった怒りで頭が支配され




調子が悪いときは立てなくなり、倒れてしまう
寝ることしかできなくなってしまうなど




調子の波が激しくなり、自分で制御できなくなってしまっていた




そしてさらに日中眠くなる副作用も同時に起き



仕事がだんだんとままならなくなっていく日々が続いた


仕事上のミスは続き、さらに怒られてパニックになるという悪いスパイラルにハマってしまい


夜も眠れない日々が続き食欲もほとんど無くなっていた


そしてある日




仕事中に体を抱えて震えながら倒れてしまう事態になった



その後自分は精神科医に緊急で見てもらい

うつ状態、適応障害と診断され


4ヶ月もの間休職を余儀なくされた





このまま自分は職場に戻れず、またニートに戻るのか


そんなことも頭をよぎった




しかし、幸運なこともあった



自分は新しい職場で配属になったため家の近くに知り合いがおらず


知り合いを作るため

名古屋にあるイベントバーによく足を運んでいた

名前を挙げれば

名古屋栄にある旅バー夢port
名古屋大須にあるエデン名古屋

などに通っていたため


新たな知り合いが増え、孤独ではなかったことが救いだった



そして休職している4ヶ月の間



自分は精神科医の了承の上で色んな薬を試すことにした




最初は仕事のストレスの影響でしばらく眠れない日々が続いたが



自分の体調面のことを事細かく相談し、自分にどんな薬が合うのか考えてもらい


様々な薬を試しては止め、試しては止めということを繰り返した




現在では7種類の薬を飲んでいるが



その薬のお陰で、体調の並も収まり

人間関係で怒られてもパニックにならず適切に対応できるなど


復職後は無事に仕事をこなすことができるようになった



当然ながら薬だけでは対人関係でのトラブルは避けられなかったが



先述したイベントバーで色んな人と会話させていただいたおかげか




人に迷惑をかけず、距離感を適度に保ちつつ、お互いが楽しめるよう会話できるように


なれた気がする




今では自分がイベントを開いて、イベントバーで一日店長などをやらさせてもらうなど

昔の自分では考えられないほど人と話すのが楽しくなれた



しかし、自分にはまだ残っている課題がある

それは発達障害などを抱えている自分や

親をコンプレックスや負い目に感じてしまうことだ


他人と比べても仕方のないことだと分かっているのだが


どうしても、他人を羨ましがってしまう自分がいる


無理に一人で抱え込むことはせずに


少しずつでいいから自分を受け入れることも目標にして


これからも生きていたいと思う





こんな長い記事を最後まで読んでいただき本当にありがとうございました

同じように苦しんでいる人の気持ちが少しでも前に向けれたら書いた甲斐があります


よかったら下にあるいいねを押していただけると嬉しいです

ありがとうございました