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「すばらしき世界」

最近はテレビ画面で見ることも多くなってしまったが、やっぱり映画は映画館で観るのがいい、と改めて感じた。
画面の迫力とかではなくて、映画監督を中心とした作り手たちの想いを受け止める姿勢として。いや映画というクリエイティブに触れる正しい場所はやはり映画館だと思った。

シーズンだとか、エピソードだとかで続くドラマがあってもいいけど、映画と呼ぶのは違う気がする。
少し前、Netflixオリジナルで人気になったある作品を観て、2時間に収める気がないことが画面から緊張感を失くしていると残念に思ったことがあった。

原作の「身分帳」は以前に読んでいた。
殺人を犯し刑期を終え娑婆に出てきた中年の男。
”真っ直ぐ”にしか行動できない前科者と彼を支えようとする周囲との関係。

エンドロールで、作家佐木隆三のノンフィクション「身分帳」を原作ではなく、原案と表記してあった。
なんとなくわかるような気がした。
映画は、映画だった。

「身分帳」では、取材者佐木から見た男の姿と、男との距離感が「この社会の生き難さ」を投影してせつなさ、苦しさが残った。
「すばらしき世界」では、僕には、男は多くの人に心当たりのある人物として映った。
役所広司が演じた三上とオーバーラップする人は身近にいる。
若い頃は、人間関係においては自分の価値観を理解させようとばかりしていたが、いつの頃からか薄れていった。
自分の価値観からすれば、不埒だったり認め難い人でも魅力的な人がいる。
「彼は彼なりに一生懸命に生きてきたんだろう」という想いで、距離を詰めないまま、でも大切な関係の人がいる。

誰かから見たら僕もそう思われているのかもしれない。
年を重ねてこそ見えてくる、「すばらしき世界」があると思った。

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