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Jリーグチームの存在意義

29歳のときにJリーグが始まって以来、僕はずっと地元のチームを応援しています。ゴール裏で声を張り上げるような応援はしてこなかったけど、今もかなりの頻度でスタジアムへ行くから、嘘でもライトファンとは言えません。かといってサポーターと言われるのはちょっと、っていう感じです。

最近こんなことを考えました。
人生良い時も悪い時もある。良い時がずっと続くわけもないし、悪い時だって過ぎていく、こういうことは30年のサッカー応援を通して無意識に学んできたのではないかと。さまざまな人生のアクシデントに対しての耐性はサッカーの応援を通じて身に付けてきたのかもしれないとも思うのです。

他方、現代人は、老いも若きも「自分の居場所」を確認する。学校や職場や家庭が居心地が良かったり、自分が必要とされている場だと思えていれば良いのですが、そうとは限らない。
しかしホームゲームの日のスタジアムは、居場所を見つけられない不安を忘れさせてくれます。

漠とこんなことを考えたきっかけはあります。
年末のテレビ番組と新聞記事で、テレビでは某プロ野球チームを応援するおじさん、新聞では某Jリーグチームを応援する若い女性が取り上げられていて、ぜんぜん異なる趣旨の企画なんだけど、おじさんも若い女性も同じように「試合は勝つときも負けるときもある」と話していたことがなぜか印象に残ったのです。当たり前のことなのにです。

Jリーグの中でも成績の浮き沈みが激しいのが僕の応援するチームです。方針や体制を替えてばかりだから、長く応援している人たちは、辛抱強さのなさだけが一貫していると揶揄します。
でも、いや、だからこのチームから離れられないのかもしれない。

僕よりずっと後からスタジアムに行くようになった妻は、以前はチームの勝ち負けでずいぶんと機嫌が違っていて、僕は妻の機嫌が悪くならないように勝って欲しいと願っていた頃がありました。
しかし、いつの間にか負け試合の帰り道でも他愛のない会話ができるようになりました。








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