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旅の記録まとめ 彼岸の高野山、黄泉がえりの熊野

行ってから、もう1年。

当時、文章にするのにも公開までもかなり時間がかかってしまった、この濃い旅。
たかだか4泊5日(前泊として大阪を含めて)なのに、3週間くらいいたような濃密さ。
まだ自分の中で燻っているので、改めてまとめてみる。


紀伊霊場参詣旅として

高野山から始まって、熊野三山を巡る旅。
10代の頃からなぜか憧れていた、紀伊の地。
父方の実家が真言宗のお寺だったこともあり総本山へはずっと行ってみたかったし、空海の逸話や密教の呪術的要素は厨二心をくすぐったこともある。
また、神話の紀の国のイメージと、中上健次の小説で描かれる陸の孤島感に魅かれていた。それから、熊野信仰がなぜそんなに人を惹きつけたのかを知りたかった。
あの頃から、約20年。念願叶っての紀伊霊場巡りは、さまざまな意味で感慨深いものとなった。

期せずして、「蘇りの地」のコピーを地でいってしまった。
父の死と、私の再生。

高野山

お大師さまが今も在わす地。

不思議な場所だった。特に奥の院は。
この世なのにあの世のような。
彼岸のようでそうでないような。
かといって極楽浄土でもない。

ただ、聖域。静謐な、護られた場所。

そう、感じたのは静けさだった。
観光客がガヤガヤしていても、読経が響き渡っていても。

だから自分の想いにようやく向き合えたのかもしれない。
奥之院の御供養で、どうしてあんな気持ちになったんだろう?ずっと不思議だった。

ここまで、いろんな人の言動やいろんなことに振り回されて、現実として認識はしても自分が父の死をどう想っているかは改めて考える暇もなかった。
悲しいのに、悲しむことができていなかった。
圧倒的な喪失から目を逸らしたかったのかもしれない。

表すならあのときは、お大師様と私だけの異空間インナースペース。
まるで「空」。
そんな、自分と向き合わざるを得ない状況が訪れて、ようやく蓋を開けた。

自分の中へ向かう、というのは真言宗の特徴でもある。
お大師様のお導き、とはそういうことか。

色即是空、空即是色。
全てがなくて、全てがある。

高野山自体が「空」なのだ。
そしてそこは、彼岸で此岸。
だからあのとき、私は内に向かい、溢れる感情の先で、父を感じたのかもしれない。

熊野三山

注連縄掛け替えの御神事。
黄泉がえりの胎内くぐり。

どちらも「生まれ変わり」のメタファー。

熊野は、命がけで行くところだったという。

古道を歩きはしなかったけど、一世一代の旅として紀伊霊場を参詣した昔の人の気持ちを思った。
これだけの距離、これだけの寺社仏閣を参詣しようと思ったら、昔は本当に一生に一回だったろう。
険しい山道を歩いての巡礼は、そもそも精神性を問われる旅になる。お遍路がそうであるように。
頼れるものは己だけの山の中で、肉体は疲れ切り、思考は何もできなくなる。
極限、「無」になっていく。

私の旅は全くもって厳しいものではなかったけれど、今回の精神状態は近いものがあったと思う。
四十九日までは、とにかく疲れていた。気持ちも身体も。ともこは考えるのをやめた、というくらい煩雑だった。
考えるのをやめた、それは「無」の装いだ。
そうしなければ、日々をこなせなかった。
そしてたどり着いた地で、ああやっとここまで来た、というゆるんだ気持ちが何か変化を引き起こしたのかもしれない。

そうか。
熊野は「無」になるところなのかもしれない。
根の中の空洞。産まれ直すための。

本宮と呼ばれるところなのに何もないと感じたのは、そういうことなのかもしれない。
大斎原も、何も無かった。そしてなんでも有るようでもあった。

疲れ切って、「無」になってたどり着いた地。
そこには何もないからこそ、息を吹き返せる。
その鮮烈な体験が、熊野詣なのかもしれない。

「無」は、「有」を産む。ブラックホールがそうであるように。
無限の可能性があるゼロポイントフィールド。
それは確かに「生まれ変わり」であり、「黄泉がえり」だ。

人はなぜ、参詣するのだろう

昔の人が、何日もかけ辛い思いをしてまで行く参詣旅って何だったんだろう。
そこまでして救われたい?

神様頼みで救われたい気持ちはわからない。
宗教的な信仰は、何教であれ因果も応報も外側に求めてると思うけど、
大変な時になにかに救いを求めるのは人として自然なことだとは思う。

普段の私が、願いごとや困ってることも大してないけど寺社仏閣に参詣をするのは、魂のルーツへ近づきたいという気持ちがあるからだ。
魂の根源が、寺社仏閣や聖地にあるとは思わないけれど、もしかして似たものがそこにあるのではないかと思っている。
アニミズム的な考えかもしれない。

便宜上「神様」「仏様」と呼んでいるけど、その実体は意識体というよりエネルギーだし、その地の自然のエネルギーもあるし、プラス「祈りの蓄積」。
それらが「大いなる存在」を創っている気がする。

それに触れることで、何か変化が起こるのではないかという期待。
これが、場合によっては救済になるのかもしれない。

そして今回は私も、もしかして救われたかったのかもしれない。
喪失の圧倒的な悲しみから。

とにかくなんだかわからないけど行ってみたい。
その気持ちは直感で、自分にとっての「何か」をキャッチしているからなのかもしれない。

まとめと書いてはみたものの

今でもまだよくわからない。

高野山の「空」と熊野の「無」は、似ているようでだいぶ違う。
どちらも、なにもなくてすべてがあるのだけれど。

空は、自分の宇宙。内に向かう。
無は、外宇宙。外に向かっていく。
体感としては、そんな印象を受けている。

高野山は、中つ国とも言える。
死ではなく、生でもない。復活を待つところ。
生と死の間。

熊野三山は、やっぱり根の国だと思う。
鬱蒼とした森も、暗がりから差し込む光を頼りに歩く道も、命の根っこから派生する。
そして八咫烏の導きは、地から天空へ。

そしたら天つ国はどこなんだろうな?
きっと探しても見つからない。
この、いま自分が生きている地をそうするしかないんだろうな。

今のところわかるのは、このくらい。
やっぱりまとまってないな。まだまだぼやーんとしてる。

熊野本宮での、寅の絵馬に書かれた揮毫。
私にとっての「一筋の道」は見えた、のかな?

少なくとも、光を感じることはできた。

参詣旅に出るまで、固まっていた私の心。
それが解れて、私が「生」の感触を取り戻したという面では、充分に意味があったのだろう。

父の弔いと言いつつ、やっぱり自分のためだったのかもしれない。
そもそも、弔いの儀式自体が生者のためのものと思えばそれも納得がいく。


この記事を書き始めたのは旅の帰還から1ヶ月後。それからもずっと上手く書けなくて、熟成下書きになっていた。
1年近く経って、ようやくここまで言語化することができた。
それでもまだまとまった気がしないのだから、父の死から始まった私の旅はまだ終わっていないのだろう。

いつか、ああそうだったのか、と腑に落ちる日が来たら、
そこがこの旅の本当の終わりなのかもしれない。

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