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自分の独立記念日~もう、誰の目も気にしなくていい~

今回は、ライフネット生命 × note × Voicyの3社さんがやっている投稿コンテスト「 #自分で選んでよかったこと 」への応募エントリとなります。
ただ、この話はいつか書きたいと思っていた内容で、正に今回のテーマのお知らせを見た瞬間、「これは!」と思ったお題でした。

・好きなことで仕事するってどうなんだろ?
・個人事業主ってやっていけるの?
・「今の仕事や職種が合わないのかな?」って思うときもあるけど…

そんな想いを抱えている方に、少しでも参考になればうれしいです。

あまり深く考えずに就職、そして、転職を繰り返して、鳴かず飛ばずでモヤモヤしていたダメ営業。そんなわたしが、どのようにして個人事業主として独立するまでに至ったのか。
正直、恥ずかしい気持ちが8割以上を占めていますが、読んでくださる方の参考になるためにも、自分に嘘をつかずに書いていきたいと思います。


「何かが違う…」転職回数だけが増えていく

いきなり独立の話から始めたいのですが、今回の話は経緯も重要だと思うので、少しだけそこに至るまでの話もさせてください。
わたしの就活は、そもそも出発から大きな失敗、いや、正直に言うと、自分の怠慢がその後を決定づけたと思っています。

「その経験があるからこそ、今の自分がある」と思えば後悔こそありませんが、もし自分がやり直せるなら、自分自身のこと、そして企業についても、時間をかけて丁寧に調べるんだ!と自分に言いたいですし、実際に就活生の方からアドバイスを求められる際には話したりしています。

わたしの場合は、大学での活動が周りの大人たちの協力もあり、大きな評価をいただいていました。そのことが、圧倒的な自信に繋がります。それ自体は素晴らしいことなのですが、ポイントは、就活に必要な努力は別物ということでした。

そんな自分が「就職も上手くいくに違いない」と根拠のない自信を信じ切っていたのです。ろくすっぽ調べずに「営業」という職を選び、ゴリゴリのテレアポ営業を行う企業に新卒採用として入っていった。それがわたしの1stキャリアです。

ギリギリの見栄えばかり気にしていた日々

回を追うごとに苦痛になっていく営業会議

なんとなく「人と交渉することが好き」「親も営業職だから」そんなフワッとした気持ちで入った会社は、特に実力思考が強い会社で、同期30人が3ヶ月しないうちに10人以下になっていく会社でした。

ただ、この会社での経験は、「どこかで誰かがなんとかしてくれるだろう」くらいの甘い考えを矯正してもらうことができたのは大きかったです。
また、本気で転職を考えたときに、アピールできる実績が必要だということに気づかされました。結果的に、転職を意識したことで、一番成果を出すために向き合ったのは皮肉ですね。

メチャメチャ遅いですが、ようやく「社会人として戦っていこう」というスイッチが入ってきた形でした。
最終的に、この1社目の会社は、1年に満たない形で転職ということになりました。

ちなみに、営業会社や営業職を悪く言うつもりはありません。実際に1社目の企業は、わたしが退職して数年後、実際に上場しました。*当時は、絶対採用のためのリップサービスだと思っていました(笑)
確かに、世間一般的に「営業はキツい」というイメージはあると思いますが、それぞれの会社の特性もありますし、「営業」と一口に言っても、新規開拓やルート営業、はたまた商材や顧客規模や法人個人など、多岐に渡り、アプローチ方法もまるで異なります。

そのため、営業職に限った話ではないですが、やはり、自分に合う会社、自分がバリューを発揮しやすそうな会社を探すために、自己分析や自分の整理が大前提となりますね。そして、企業のことも丁寧に調べていくこと。
こうして振り返ってみると、この就活での経験から、40歳を過ぎた今になって、ひたらすら内省を習慣化しているのかもしれません(笑)。

営業職としてどの会社にいても、
・社内では、”つるし上げ”の標的にならないように。
転職時には、
・経歴がネガティブにならないように。実績をアピールしつつ、前職を始め過去の会社を感情的に悪く言わないように…。
そんなギリギリの見栄えだけを気にして、結局12年で5社という転職回数になりました。

法人/個人、新規/既存、有形/無形商材など、営業職としてのキャリアアップをしていると言えば、そう見える形を選んでいました。部分的に切り取れば、華々しい実績やエピソードも確かにあります。

しかし、自分のなかで実力が積み上がっている感覚はまったくなく、どの会社でも鳴かず飛ばず。やはり、この積みあがっている感覚、キングコング西野さんがよく言ってらっしゃる「自分にポイントが入っているか」が重要ですよね。
社内の風当たりに耐え切れなくなって転職という動きを繰り返している日々でした。

内なる願いと時代の後押しがかみ合っていく

スマホ版Wordアプリの進化とマッチングプラットフォームの台頭

文章なら自信がある。でも、ビジネス関係の文章は書いたことがないし、そもそも、お金になるんだろうか?
これが、当時漠然と思っていたことでした。
「議事録書く仕事があったらいいのにな」そんな皮肉も言われたことがあります。

思い返せば、小学生のときに文集に選ばれたり、大学時代の活動が大勢の日の目を浴びたイベントで、脚本を書いたのは自分でした。話すのは好きだが、書くほうがもっと好き。
そんなわたしでしたが、なかなかモヤモヤを突破する踏ん切りがつきません。

そこに出てきたのが、スマホ版アプリのWordソフトの進化です。今では当たり前ですが、10年以上前の当時は、ようやくスマホ版のアプリで文字数カウントや装飾の編集ができるようになっていました。
そして、クラウドワークスやココナラのような、個人ができるマッチングプラットフォームが盛り上がってきたころです。

そこで、初めて自分の文章がお金になり、大興奮したことを鮮明に覚えています。

ついに自分の文章がお金にはなったものの…

割の合わなさに愕然としました

初めて受注した大興奮も束の間、少しずつ冷静になってみると、ある一つの感情が沸き上がってきました。

これだけ?

「あれだけ頑張って書いたのにこれだけ?」1ヵ月に記事を量産しても大した稼ぎにならないことに落ち込んでいました。

しかし、ここであれだけ苦痛だった営業の日々が役に立ってきます。
あのときはつまらなくてしょうがなかったですが、予算に届かないときに詰められていた言葉を思い出し、こういうときどんな手があるのか考えました。

目の前にある選択肢は2つ。
・1つは記事を量産する側のスキルに振っていくこと。
・もう一つは、単価を上げていくこと。

わたしが採ったのは、後者の選択肢でした。

そこからは、ゴリゴリと進んでいきます。
単価を上げるためには、そもそも、予算がある業界に行けばいい。同じような仕事をしていても、報酬に雲泥の差があるのはよくあることだというのは、様々な業界を見てきて学んだことです。
そして、当時、高単価と言われる業界のなかでも、自身の経験を基にちゃんとした記事が書ける、クレジットカードやFXの分野に応募してみることにしました。

合わせて、構成が決まっている記事を量産する形ではなく、より上流工程となる、ターゲットを加味して記事の構成を作ることやキーワード設定から入ること。さらに、クラウドワークスで知り合ったメインクライアントがSEOコンサルの方だったこともあり、その経験からSEO対策ができるライターとして仕事を増やしていきました。

いよいよ個人事業主としての独立、しかし…

右も左もわからない事業主1年目

副業として案件を増やし、いよいよ会社を辞めて独立することになりました。
会社の名前でもなく、サービスや製品の良さでもなく、まして、自分自身でもなく、書いた作品で、自分のセンスで勝負したい
それが、文章畑で働こうとする自分の願いでした。

その願いは叶いました。
振り返ると、今まではどこか親の目を気にしていた気がしています。「いい大学に入る」「安定した企業に勤める」そんな見えないプレッシャーを感じながら、「親に対して胸を張れるか」ということに、心のどこかでいつも怯えていたと言い換えてもいいでしょう。

しかし、今、自分が歩んでいる道は、誰にどう思われても構わない。
自分で選んだ、自分が進む道なんだと力強く言い切ることができます。
初めて、自分を取り戻したような感覚。
まさに、「自分で選んでよかったこと」そのものでした。

選択に後悔はないが、やり方はもっと磨くべきだった

とは言え、これはわたしのサクセスストーリーではありません。
公庫に融資してもらってまで始めたものの、2年と持たず資金はショート。家族5人分の社会保険負担を考えて、「業務委託→正社員化」ルートを見据えた案件を探すようになり、並行して個人の仕事も増やしていく道を探していました。

また、個人事業主として独立しながらも、法人化や組織拡大については、口にしたりはするものの、どうしても、自分の中でイメージできておらず、そこも苦しみます。

そう、つまり、わたしの場合は、職種を変えたかったのであり、独立したかったのではなかったということが、今考えるとわかります。
確かに、「納得」という軸を最大限重視しているわたしとしては、お客さんとのやり取りについて、全責任が自分にあるという状況はやりがいを感じながらも、事業を軌道に乗せるのは、やはり、営業としての力が必要でした。

また、そもそも、原価があまり発生しないビジネススタイルで、借り入れをしてまで始めるというやり方そのものが、またもや出だしから間違っていたのです。

ちなみに、営業が得意じゃなくても、営業会社と組むなど方法はいくらでもあります。ただ、そうしたことをそもそも考えておらず、とにかく受注数字を追いかけられる「営業」という環境から抜け出したいために見切り発車したというのが実際のところでした。

やりたい気持ちは大事に、そして、ちゃんと調べること

守るべきものはありますか?

転職を繰り返しながら、結婚や子どもが増え、見切り発車で独立までしたわたしが言うのも説得力がないですが、やはり、家族の存在によって考え方が変わりました。

ですが、それは、単に「守るべきものがあったほうが強い」とか、「守るべきものが重荷になる」とか、そういった一つの側面にフォーカスするような話ではないと思います。

わたしの場合で言うと、資金がショートした際には家族とケンカして、酷いことを言ってしまいました。ただ、そのときの気持ちは正直今も根っこは変わっておらず、もし再度厳しい状況になっても、恐らくわたしは自分の道を選びます
ですが、ただ単に自己中心的にいたいわけではなく、10年後の子どもたちの年齢を考えると、単純に自分がやりたい業界に考えなしに行くということもできないと考えています。しかし、それは強制されたものや渋々の選択ではなく、自分が主体的に選んで行っていることです。

今、色々な情報にアクセスしやすくなり、スモールスタートしてみることも非常にやりやすくなっていると思います。アクセスしやすくなったからこそ、ちゃんと自分の頭で考えること、リテラシーが叫ばれるようになりました。

ですので、もし、モヤモヤしていることがあるなら、ぜひ気持ちを書き出し、解決策がありそうならとことん調べてみることをお勧めします。
このエントリが、あなた自身が自分に納得して、誰に対しても胸を張って生きられるようなヒントにつながれば、うれしい限りです。

最後に、そんなわたしも個人事業主から、かなり葛藤もありつつ、再度会社勤めをすることになりました。その後、入社半年で適応障害になったことで、人生を見直すきっかけになりました。
「モヤモヤしすぎてどんどん弱っていきそう」という方は、こちらも参考になればうれしいです。


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