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リワークのススメ【前編】|心を取り戻せ編

今回は、アラフォー男が心療内科にかかった後に「適応障害」と診断され、戸惑いながらも社会人人生で初めて休職したときの体験を紹介したいと思います。
なお、わたしは色々な方に支えられたおかげで、社内では唯一、休職を経て退職せずにポジションを上げた、稀有な事例になることができました。

今まで「メンタルクリニック」や「休職」など考えたこともなかった、「急に休職と言われて途方に暮れている…」そんな当時のわたしと同じ状況の方に、少しでも参考になってくれたらうれしいです。


この記事を読むと、こんなことがわかります。

・休職期間中のフェーズごとの行動、気持ち
・そのときどきでの思考や行動のヒント
・休職してる最中に陥りがちな思考(
これは正にわたしが陥っていました)

あくまで、個人の体験ですので、あなたのヒントになったらうれしい限りです。

1st Step:ココロを取り戻す

まず最初は、自分の感情や心の声をちゃんと聞いてあげるところから始まります。
しかし、最初は心が悲鳴を上げていること、そのSOSを出していることにすら、気づいてあげることができませんでした

当時、わたしは、仕事へのモチベーションは低めでしたが、「なんか気分が乗らない、でもやらなきゃ…」くらいの気持ちで、その日の仕事も翌日の社内イベントも休む気が一切なかったのを覚えています。

とは言え、この仕事へのモチベーションの低さは、昨日今日に始まったものではありません。
そのとき自分の内面は、「成果を出せていないのだから、もっとやらないと…」という謎の焦燥感に駆られている状態でした。

正直、今考えると、完全にメンタルが弱っている状態なのですが、そのとき自分ではまったく気づいていませんでした。
これが一番恐ろしいところだと思います。

突然、会社の代表から電話をもらい、心療内科に行くことを勧められ、「わからなかったら紹介するから」と非常に親身になってアドバイスしてくれたことを覚えています。

とは言え、なぜ、代表から突然電話が来る流れになったか、その前後にどういう動きがあったのかは、視野が狭くなっている自分が知らなかったのか、あるいは、記憶が抜け落ちているのか、どちらが正しいのか今でもわかりません。
ただ、その電話が終わった後も「自分は大丈夫なんだけどなぁ」と思っていたことだけはよく覚えていて、これも今考えるとゾッとするポイントですね。

初めての心療内科、心の支えとなってくれたカウンセラーさん

心療内科では、心理状態のテストなどを受け、適応障害の診断書、そして数種類の薬を処方されました。最近では、「依存性が低い薬や、薬の使用自体の有無も希望を聞いてくれるクリニックもある」と聞いていたので、その通りに希望を伝えます。

ここで心療内科さんに思ったのは、「言えば診断書はくれるし、なんかユルいところだな」くらいの感覚でした。
今思えば、最初から「自分はそこまで状態が悪くない」という思い込みからこうした感情が出ているのですが、よく考えると、心療内科の先生は凄く親身になって聞いてくれましたし、処方された薬もしっかり効果があったと思います。

そして、心持ちが大きく変わったのは、会社側で用意してくれたカウンセラーさんと、月2回のセッションを設けてもらえたことがきっかけでした。
このカウンセラーさんとの出会いが、復職に至る上で一番大きな要素だったとわたしは思っています。

仕事のこと、一度すべて忘れてみましょう

カウンセラーさんから、たくさんの気づきやアドバイスをいただきましたが、最初に言われたことで衝撃的だったのはコレです。
もちろん、それを言われたときの私の対応は、「え、でも、そんなことをしたら現場が回らなくなってしまって…」という”The テンプレ”対応でした(笑)

そして、テンプレ通り、そのような心配は杞憂に終わり、特に職場からの連絡は来ません。
考えてみれば、当たり前のことで、会社側としても休職中のメンバーに連絡しないように共有があったと思いますし、何よりわたしがちょいちょい返信していたから連絡が来るのであって、こちらから関わらないようにしていれば、向こうから連絡が来ることはなかったのです。

これは、本当にあるあるだと思いますが、やはり、「その人がいない、連絡が取れない」という状況であれば、仮にその人がどんなに上の立場でも、残っているメンバーで何かしら解決しようと動いてくれます。
もちろん、その対応の良し悪しや長く続けられるかという懸念はありますが、それはまた別な話で、まずは自分のこと
そんなことに気づかさせてくれました。

好きだったことを少しずつ味わって、取り戻していく

そうして、仕事を一回切り離した結果、時間だけがすごくある状況になりました。
しかし、不思議なことに「これだけ時間があるのだから、何かをしよう」と前向きな気持ちになることがなかなかできません。

あれだけ好きだったゲームも「やったことろで何か得られるわけじゃないし、どうせ、むなしくなるだけだしな」など、ポジティブな感情が起こらないのです。
そう、それは今まで成果が出ないなかで「こんなことをしている場合じゃない」と、自分で心の奥底に閉じ込めた願望でした。
奥深くに閉じ込めて、厳重に鍵までかけてしまったせいで、もはや、自分でも思い出せないほど深いところに沈み込んでしまっていたのです。

何事も少しずつ|スモールスタート・スモールステップの大切さ

そして、ここから徐々に好きだったことを「思い出す」作業に入っていきます。
やる気はあまり起きないかもしれないけど、とりあえず、簡単なことからやってみる。

最初に手を付けたのはゲームでした。
元々、好きだったこともあり、これは割と早い段階でスッと思い出せました。ずっと前からやりたかった新しいゲームに挑戦したりもします。

また、昔の趣味として最近できていなかったプラモ。
最初はペーパークラフトのようなもの、次に、木組みの模型、そして、大学時代に親友にもらったガンプラに再挑戦。
初めての仕上げコーディングや、自分が「積みプラ」していたものも少しずつ手をつけていきます。

さらには、映画館にも行きます。
このときのことは今でも忘れられません。

傷病手当金がもらえるとは言え、金額は給料よりも減額される上に、もらえるタイミングは後ろ倒しとなります。
*もちろん、もらえるだけでもすごくありがたいですし、この制度がなかったらと考えると、絶望しかありません。

映画を観る前の時間、こんな思いが沸き上がってきます。
この休職期間、わたしは何も生産的なことをしておらず、妻にご飯を作ってもらい、子どもたちに何をしてあげられるわけでもなく、「こんな映画などを見ていていいのだろか」という気持ちになりました。

そう、この辺りでだんだん見えてくるのですが、結局私の場合、自分を苦しめていたのは、「成果を出さないと生きていてはいけない病」でした。
ゴリゴリの営業会社に新卒入社したときからそのマインドがついていたのかと思いたいところですが、遡ってみると、学生時代からそうした思いがあったと思います。

「勉強やスポーツ、その他何でもいいから人より秀でたものを見せないと、居場所がなくなる」このことへの恐怖感が、わたしの根っこを支配していたのだと気づくきっかけになりました。
もちろん、今の成果主義、実力主義が強い傾向のある社会のなかで、その考え方はある種正しい側面もあります。

生きていくためにお金を得る手段として、そうしたものは確かに必要ですが、では、自分が今いる場所で上手く行かなかったからと言って、「生きていていてはいけない」とはならないと思いますし、そうなってはいけないとも思います。
*ホームレスに暴行を加える若者の痛ましいニュースを思い出しました。

1st Stepのまとめ

書いていたら、初期の期間にあたる「1st Step」だけでだいぶ文量が多くなってしまったので、この記事は第一弾として、ここまでで終わりますね。

1st Stepのまとめとしては、
・自覚症状がなくても、周りが心配してくれていたら、一度心療内科を受診するのも手
・休職やの手当金の手続きが済んだら、仕事を一回完全に切り離す
・好きだったことを少しずつ思い出して、取り戻していく
・少し余裕が出てきたら、罪悪感や不安を深堀りしてみて、自分の根っこにある「思い込み」に少しずつ気づいていく

という形でした。

メンタルで悩む多くの方は、わたしも含めて、自分の真面目さや繊細さで多くの思い込みにがんじがらめになっていることが多いと思います。
もちろん、その真面目さや繊細さは、見過ごされがちな些細だけど大事なことや人の気持ちを汲んであげられる素敵な能力です。

ちなみに、この自分の根っこの封じ込めた願いや思い込みに迫る方法として、リワーク日記を上げているsan-franさんのエントリが参考になったので紹介しますね。

そんな素敵な能力を、自分を縛って、苦しめてしまうところまで使わなくてもいいと思うので、自分の人生・幸せのために、そして、周りの人にもおすそ分けできるようになったら最高ですよね。

次の「2nd Step」では、いよいよ具体的なリワーク、就業訓練と言われるところについて触れていければと思います。

ぜひ、「自分のときはこうだった」とか、「そうそう、そんな気持ちだった!」など、みなさんのエピソードも教えてくださいね!

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