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自らの”カノン”に抗えず飲み込まれた”セオリー”という名の続編「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」

本作、「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」は、言わずと知れたアメコミヒーロー「スパイダーマン」が主役のアニメ映画で、”スパイダーバース”という流行りのマルチバース(簡単に言えばパラレルワールド)を扱った、「異世界のスパイダーマンが一堂に会する」というのが特徴のシリーズ第2弾となっています。

自分はMCUや他のアメコミ映画もさほど観ないタイプの人間ですが、前作が”とにかくヤバい”という噂を聞いて観に行き、その作り方が全く想像できないような豊かな映像表現に、これはこれからのアニメの作り方を塗り替える新時代の作品だなと衝撃を受けました。

そんな画期的だった前作から5年。満を持しての続編となる本作は、期待にたがわぬ圧倒的な映像表現がさらに進化しており、冒頭のバンドの演奏シーンからCGとは思えないアナログな色彩もさることながら、楽曲の演出も相まってテンションの上がる作りになっていました。

本作は、前作から少し時間が経った設定となっており、前作で共に戦った仲間たちは自分たちの世界に帰っていて、主人公マイルスやヒロインのグウェンがそれぞれの世界でヒーロー生活をしたり、普段の自分でいるときの人間関係に悩んだりしている様子が描かれます。

物語としては、とある事件をきっかけにグウェンと再会したマイルスが、彼女に導かれるように各世界のスパイダーマンの選抜組織”スパイダー・ソサエティ”の元を訪れ、組織の目的や自分を含めたスパイダーマンたちの運命を知る…といった感じで展開していきます。

ここでいう「スパイダーマンの運命」とは「愛する人と世界を同時には救えない」ということであることが説明され、その運命に抗うと”次元の理”が崩れて、他の次元に多大な影響を及ぼしてしまうから運命は受け入れるしかないのだ、みたいな話になります。

自分は良く知らなかったのですが、ヒーロー映画ではこうした”逃れられない運命”は割と定番らしく、本作では「カノンイベント」と名付けられていますが、仮にある時点で定められた運命を回避してもいずれ同様の運命が訪れて変わらぬ結果をもたらすといった構造となっており、マルチバース世界においては「あるバースで抗った運命の報いが他のバースにも訪れてしまう」という法則として語られます。

そして、主人公マイルスが運命に抗って自身の父親を救おうとしたことで、”他のバースのスパイダーマン全てを敵に回してしまう”という流れになっていきます。

前作のキャッチコピーは「運命を受け入れろ。」で、主人公が「スパイダーマンになる」という運命に対して、他のバースのスパイダーマンと力を合わせて目的を達成する物語でした。

対して、本作のキャッチコピーは「運命なんてブッつぶせ。」と真逆になっており、主人公が葛藤しながらも運命に抗って、それでも前に進もうとする決意が描かれていました。

こう書くとなんだか良さげな感じというか、続編らしい続編のように感じるかもしれませんし、実際にそうなのですが、自分はなんかここでちょっとめんどくさいなーと、少し醒めてしまいました。

そもそも、描かれている”ヒーローの宿命”も、バースにおけるルールも後付けの設定で、視聴者が何となく感じているセオリーを改めて言語化してストーリーに取り込んだにすぎないため、急に「ブッつぶせ。」とか言われてもなんかマッチポンプみたいな感じで、個人的にはちょっと乗れませんでした。

また、本作ではマイルスやグウェンの両親との葛藤もじっくりと描かれ、これがカノンイベントに繋がる流れになるのですが、筋自体は良くある話というか、まさにセオリーに乗っ取って作劇されており、良くできてはいましたが、そこまで新鮮味を感じるものではなかったように思います。

つまり、革新的な映像に対して、物語は自らが提示している”セオリー”に絡め取られて身動きできなくなってしまい、面白い”はず”のカノンを積み重ねたらテンプレになっちゃったみたいな、不気味の谷ならぬ”理屈の谷”に陥ってしまったような居心地の悪さを感じてしまったワケです。

その意味では、説明を放棄して自分の感じた心象風景をそのまま映像にしたような「君たちはどう生きるか」は真逆の印象で、商業作品でそれをやれる宮崎駿もやはりすごいなと改めて思います(だからと言って面白いかはまた別の問題なのでバランスが難しいですが)。

なお、本作はすでに続編も予定されていることが発表されていますが、僕がそのことを知ったのは鑑賞の直前くらいで、普通に本作は本作で物語の区切りがつくものと思って見ていたら、「俺たちの戦いはこれからだ!」みたいな、ジャンプの打ち切りエンドみたいな終わり方だったので、呆気に取られました(思わず映画館で「エッ…!?」と声を出してしまった)。

上映時間が140分と長く、途中からこれどうやって収拾付けるのかなと思っていたら、そんなつもりありませんでした~という終わりで続編に丸投げだったので、人によってはすごいクリフハンガーというか、今すぐにでも続きが見たいみたいなポジティブな印象を受けた人もいたと思いますが、自分は先ほども述べたように物語に今一つ入り込めてなかったので、ショックが大きかったです。

そんな訳で、実際に「運命をブッつぶす」のは3作目になるようなので、次作では本作で丁寧に追っかけていった”セオリー”という名のカノンをブッつぶして、映像以上に物語も自由に解放されて欲しいなと願ってます。

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