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みずから愛を告白した女性 「ジェーン・エア」(シャーロット・ブロンテ作)

作品のあらすじ
 主人公ジェーンは孤児で、おばの家に預けられる。そこで虐待を受け反抗的になる。寄宿学校に入れられるが、非人道的な扱いを受ける。ロチェスターという男の屋敷で家庭教師になり、その子を教える。やがてロチェスターを愛するようになり、みずから恋を打ち明け、婚約する。
 しかし、結婚式の日に、ロチェスターが狂った妻を屋敷に隔離していることを知る。ジェーンはこの屋敷を逃げ出し、わずかな所持金で放浪の旅を続ける。幸い、牧師セント・ジョンに助けられ、教職に就く。
 ジェーンはセント・ジョンから求婚された時、ロチェスターの声を聞いたような気がして、屋敷に行ってみる。屋敷は狂った妻の放火で跡形もなくなり、妻も死んでいた。ジェーンはひとり暮らしのロチェスターを訪ねる。ロチェスターは妻を救おうとして失明し、片手も失っていた。2人は互いに変わらない愛情を告げ、結婚する。

私の感想
 この小説は、今から15年前の2006年に読んだ。本を購入してから大分経っていた。長編小説は、読みだすのにためらいがある。
 まず、ジェーンの放浪生活が目を引く。
 無一文でみじめな生活を数日続ける描写は迫真性がある。今風に言うならホームレスのような日々だろうか。作者には、これに類似する実体験があったのかもしれない。深読みすれば、それは人生の一側面、荒野のような風景にも似ている。この放浪の描写は、時を超え国を超え、生活者に迫る危機感を感じさせる。
 現代の日本でさえ、衣食足りた生活も、一転して貧乏な生活に変わる危険性を秘めている。事実、そのような事件は、時折報道される。倒産、失業、さらには自殺や心中も起こる。
 個人的な体験だが、会社社長から没落して、橋の下で暮らす人を見たことがる。
 次に、ロチェスターの声の幻聴は、時代がかっている。
 ジェーンは、セント・ジョンから求婚されたとき、置き去りにしてきたロチェスターの声を聞く。この非現実的な描写は、前近代的な幻想文学を彷彿とさせる。ここには、宗教的な信仰と男女愛の情熱の相克があるのかもしれない。物語を作る際の当時の風潮か、作者の作為の所産か分からない。
 次に、物語の展開は面白く仕上がっているが、説明が多い。
 全編の筋書きは、堅い内容で息をつかせない。しかし、内面描写、感情的な独白などは、説明が多すぎるように感じられる。また、会話の内容は、時折宗教的で、教訓的で、抽象的になる。
 また、物語の結末は、作者の配慮なのかハッピーエンドで終わっている。
最後には、紆余曲折の展開で、作者が一息つくように、ロチェスターと主人公の会話にちょっとした冗談を交えている。これがイギリス流のユーモアなのか、印象的な結末になっている。
 次に、所々で「読者よ」と呼びかける手法は、古風に感じられる。
 読者への呼びかけは、この時代には珍しくなかったようだ。他の作家の作品でも、私は何度か目にしている。作者が作品の舞台に顔を表さなくなるのは、19世紀に写実主義の作風が台頭した後のことのようだ。
 次に、作者は時代や国家を意識しているようだ。
 ドイツの吸血鬼とかフランスの教育の欠陥とか、単純に書きつづっているところがある。当時のヨーロッパ、というより世界における自国イギリスの優位を意識しているようだ。
 ところで、私は古い翻訳で、この作品を読んだ。
 翻訳の文章に、時々「乞食」など今日ではその使用に注意を要する言葉が出てくる。発行が昭和35年だったせいか。

イギリス文学案内書の解説
 この作品についての説明では、女性の情熱的な愛の告白が特筆されている。
 主人公ジェーンは自分からロチェスターに愛を告白する場面が、19世紀のイギリス社会に衝撃を与えたという。当時の社会的通念を打破した新しさが、そこにあったという。
 21世紀初頭に生きる読者の私たちは、様々な時代の思潮、文学をある程度知っている。先進的な女性主人公の言動に、発表当時ほどの感動は覚えないかもしれない。
 ブロンテ姉妹についての説明では、文才に恵まれた3姉妹として紹介されている。
 シャーロット、エミリー、アンの3人姉妹が、それぞれ長編小説を出版したという。イギリス文学史では19世紀後半の女流小説家、ブロンテ姉妹として知られている。
 シャーロットは5女1男の3女だった。牧師の父に伴い寄宿学校に入ったが、上の2人は肺病で死んでしまう。妹のエミリーとベルギーの学校に入り、のちにフランス語圏で英語の教師となる。自伝的色彩の強い情熱的な恋愛小説「ジェーン・エア」が当時の読書界に圧倒的な反響を巻き起こした。妹たちの小説も続いて世に出る。シャーロットは、その後結婚したが、妊娠の高熱で39才で没した。
 エミリーは、悪魔的な性格の男とある女性の激しい恋愛を描く唯一の長編小説「嵐が丘」で、イギリス文学史上驚異的な存在になった。しかし、この小説の翌年に30年の短い生涯を閉じた。
 アンはエミリーの妹で、姉たちに続いて長編小説を書き、29才の若さで世を去った。
 ブロンテ姉妹のイギリス文学史における位置については、次のような説明がある。
 姉妹の時代はヴィクトリア女王朝の時代で、宮廷は中産階級的な生活様式で、国民と共通感情を持っていた。国力の増大と物質文明の発展により、人々は世界第一の国民としても自負と安価な自己満足を持っていたという。
一部の文学者は時勢へと順応した。他の文学者は、自己満足的な風潮に反発した。
 ブロンテ姉妹は情熱をこめて、時代に反抗したらしい。

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