点取り合戦の弊害 その2
「学生時代の勉強という名前の暗記の成果で、その後が決まってしまうことが大半。
人生とは、そんなに簡単に決まってしまっていいのだろうか。」
書いているときは、おはようございます。
もなりんです。
今回は、前回のことをさらにもう少し。
前回は、「点取り合戦に勝ち残った人は、いわゆるいい会社にいくことができる。しかし、それ以外の大半の我ら凡人たちは捨てられたままなのか?」
というようなことで書きました。
では、凡人たちがそれぞれ行く道とはどんな感じになるのでしょうか。
現状では、間違いなくこう言えるでしょう。
「高校から大学にかけては、少なくとも入試と呼ばれるその時点での記憶で出しきった点数の割合で振り分けられてしまうようなもの」
これって、あながち間違ってはいないでしょう。
いわゆる高学歴の人は高学歴同士での関わりが多くなり、スポーツ推薦で受かった人は同じようにスポーツで道を開いた人同士でつながることが大半になります。
それが、あたかもそういう手段でしか行けませんというように無意識に仕込まれるかのように。
それが社会人以降にもつながっていますね。
特に国家資格が関わるような学部では、それ相応の勉学ができる人でないと受からない訳です(医者とか)。
で、そのいわゆる学校の勉強ができるから、医者をやっている、あるいは学校の教師やら弁護士、公認会計士、などなど。
確かに医療系や教育系での実習が必要なのもありますが、資格とかは勉強(暗記?)すればできるようになるものが多いかな、という気はします。
現に、理学療法とかも国家資格であり、相応の勉強からきているものはあります。
しかしながら、本当にそれだけでいいのか。
実際問題として、それ相応の勉学をして、それ相応の人間としての資質がなければ得られない世界はあります。
ただ、勉学自体は別に学校でなくてもいいだろうなとも思いますし、必要だと思えるならそのときにできる環境のほうが重要ではないでしょうか。
また、やはり思うのは「周りの環境が、どれだけ各人が関わった人間関係による」ものが大きいかと考えたときに、明らかに無意識的に勉学の差で振り分けられてしまっている。
そんな感覚ではないでしょうか。
「あの人たちは住んでいる世界が違う」
これは、どうも学歴からもありそうです。
そして、たとえ社会人以降で勉強したとしても既に外様となることが多く、なかなか変えることが難しい。
やはり、学生時代からの影響が大きいのがこの世の中を占めている。
それは、やはり問題ではないでしょうか。
生き方は別に様々。
そこで勉強やらお金やらほかの人間関係やら不安要素はあるとはいえ。
学校にいって、いい成績をとって、いい所へ所属する。
それだけが、本当に生きていくための道ではないはずなのにどこか刷り込まされている。
これが、ひとつの弊害ではないでしょうか。
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