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フォロワー稼ぎやスキのためじゃない〜私がレポを書くワケ〜

これまでライブや美術館・展示会などのレポートをいくつか書いてきた。

レポートというのは、見た対象の様子やそれを見てどう感じたかを書くので、現地での記録が必要となる。
また、ある程度文章の流れというか、体裁を整えなければいけない。

自分自身のことをつらつらと書くエッセイより、圧倒的に時間がかかるし、書くのが難しいと感じている。

おまけに読まれない。
過去のレポnoteを見れば分かるように、スキが少なく、ウケが悪い。

マガジンのヘッダー微妙すぎて恥ずかしい。
(そのうち、ちゃんとするよ..)

SEE LV展のnoteは、たまたま2種のマガジンでピックアップしてもらえたので、ビュー数では、実は宿泊記に次ぐ、2位だが、スキの数から察するに、中身自体が好評なわけではなさそう。

読まれない理由

なぜ、レポート系の投稿は読まれないのだろう?私なりにいくつか考えられる仮説を挙げる。

仮説① ターゲットが絞られるから

ライブレポにしろ、イベントレポにしろ、読者が好きなアーティストや関心のあるコンテンツであれば、読んでもらえる可能性は高い。

裏返せば、関心のない分野を、わざわざ読もうとは思わない。
ただでさえ、コンテンツが溢れる令和の時代に、ど素人の書いた、それも興味のない領域の文章を、忙しい現代人が読むはずがないのだ。

そう考えると、私の書いたEXILEや今市隆二のライブレポが響くのは、主にLDHファンとなるわけだが、なんとなくnoteとの相性は悪そう。

完全なる偏見だが、サブカルっぽいアーティスト(星野源とか藤井風とか?)のファンの方がnoteを利用していそうな気がする。

読みたい!と思ってくれる母数が少数に絞られるため、自ずとほかの記事と比べ、読まれない。

仮説② 商売っ気がでる?

これは自信がないため「?」を入れさせていただいた。

レポは少しビジネス感が出るのかも、と感じている。実際、さまざまなWEBメディアでプロのライターの手により、ライブやイベントレポは日々、発信されている。映画のレビューなんかもそう。

わざわざ私なんかのnoteを読まなくても、ライブが終わったその日、もしくは翌日には整った、写真付きのレポートが手軽に読めるのである。

むしろ、私の書く文章はそれの下位互換でしかないのかもしれない(悲壮感)。

形式ばった記事より、その人の人となりや個性が出る文章の方が、noteでは好まれる傾向にあることも、敬遠される理由の1つかもしれない。

もちろん、書き方の工夫次第で、エッセイ寄りに持っていくこともできるし、私の実力不足と言われればそれまでなのだが...

仮説③ 長文になりがち

長文というのは、読者の時間を奪う。
そして、面白くなければ途中離脱され、最後まで読んでもらえない。


だけど、レポートの場合、こういうライブでした。こういうイベントでした。という事実があったうえで、
私はこう感じました。こんなところが面白かったです。と感想を足していくので、どうしても文字数がかさんでしまう。

文字数のことを気にしすぎると、サクッと読みやすくはなるが、淡白で薄っぺらい記事になってしまうという危うさも持ち合わせている。

バランスを上手にとれる女になりたい。

読まれないと分かりながら、書き続ける理由

自分のことをすらすら〜っと書けば、それなりに読んでもらえるのに、なぜ、わざわざ時間と労力をかけてレポートを書くのか。費用対効果が悪すぎやしないか?

私なりに目的、というか意図があって書いている。

① 強制的なアウトプットを習慣づける

"「本・漫画・映画」はツイートするまでが体験"とゆぴさんに教わってから、インプットしっぱなしではなく、何かしら吐き出すことを意識している。
(読書感想文はまだ手出しできてない)

なんなら、noteを書くために、ここ行こう、こういうことをしてみよう、これは記録したいから写真を撮っておこう、と完全に書くこと前提の思考になりつつある。
行動力を喚起させてくれるゆぴさんfeat. noteすげーよ。

あと、現実的に、自分の身の回りでそんなにしょっちゅう面白い出来事は起きない。
もちろん、とりとめのないことでも、着眼点によっては面白く魅せられるけど、それだけではいつか書けなくなるときがくる。

だから、色んな場所に足を運んで、色んなものを見聞きして、書くネタを意識的に集めている。

② ライターの仕事への再現性

読まれない理由として、ビジネス色が強いのかも?と書いたが、あえてそうしているところがある。

というのも、いずれ書くことを副業にしたいと考える私が、いざ、ライターとして仕事をすることを想定したとき、何を書きたいか?書けるか?と考えるとライブやイベントのレポート、映画のレビューなんかを想像したから。

エッセイは書きやすいし、自分の思考も整理できる、そしてこんなただの一般ピーポーが書いたものでも共感してくれたり、楽しみにしてくれる人がいる。本当にありがたい。

けど、お金を稼ぐ手段としてエッセイを書けるか?と考えたら、著名人でなければ需要はない。仕事にならない。

だから、再現性の高い内容で今から予行演習をしておこうと。

クライアントから、あなたはどんな文章が書けますか?実績は?
と尋ねられたとき、このnoteのURLを送りつければ、何もないより何かの足しになるだろう。
ポートフォリオ代わりにでもなってくれればいいな、という淡い期待も込めて。

エッセイだけだと、相手は実力を計りにくいから、実際の依頼に近いであろう、レポ記事を書いているというワケ。

戦略というほどのことでもないが、これが私なりに考えて、たとえ多くの人に読まれなくとも、レポートを書き続ける理由である。

目先の承認欲求を満たすためではなく、将来的にこれが仕事に繋がると信じて今後も地道に取り組んでいく。

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