別れをことばにするのなら

春です。出会いと別れの季節です。

何人かの近しい友人が、地元を離れることになる3月が近づいてきました。まだ2月に入ったばかりですが。いつでも会えるさ、なんて思ってたら、コロナもあって、もう会えないかもしれない現実の方が迫ってきます。

でも、どうしようもない。春だから。

たった数人、近くにいた友人が居なくなるだけで、こんなにさみしいなんて、命って、存在って、本当に不思議です。

だいたい、いつだって会えると思っていたのが、間違いだったんだ。

別れがあれば、出会いがあるなんて、それもそうなんだけど、大好きだったその人たちがいなくなるのは、やっぱり、寂しいし、怖いし、悲しい。別れは、つらい。いつまで経っても、慣れません。

ふと、「来年は中国なんです〜」って軽々しく言ってきた自分を思い出す。もしかしたら誰かを、ほんのちょっとでも、こんな気持ちにさせてしまったことがあるのかもなあと思うと、少し、反省。

3月の「引っ越します」「移住します」「帰ります」は、どうぞ、慎重に。大切な人に、大事に扱って、届けてください。相手の心は、想像以上に揺さぶられています。

元・ファッションデザイナー、現・ライターの智子さんの取材を通じて、コピーライターの一倉宏さんのことを知りました。

アパレルブランド、ユナイティッド・アローズの広告コピーなどが代表作。取材の資料にと思って、作品集を何冊か買っておいたのですが、今は、寝る前のハーブティーがごとくゆっくり開いたりしています。

帯のキャッチコピーがもう好き。

「あらゆるものが、主語になれる。
すべてのきもちは、ことばにできる。」

何度読んでも違った風景が見える、誰かの、もしかしたら私の、記憶のアルバムみたい。

その中から、最近のお気に入りの作品を一つきょうはお裾わけです。

経験している、していないに関わらず、気持ちを共有することは可能なのだということを教えてもらった作品。どうしてこんなに、「自分のこと」みたいに感じられるんだろう?

春だからですね、きっと。

国語の先生がしてくれた「桜」の話

もうすぐ卒業するみなさん おめでとう
もうすぐ この学校とも先生たちとも
さよならをする日が来ます

そしてその日 校門を出れば あのバス通りの交差点が
みなさんの 最初の別れ道になるでしょう
信号を渡るひと 待つひと 駅へと曲がるひと
どんなに名残惜しくて そこはもう別れの道です

3年前 新入生のみなさんを迎えたのは
校庭の桜の 花吹雪でしたね
あの桜は 今年みなさんを見送るために
咲き急いているかもしれません

最後に贈ることばとして
「桜」の話をしようと考えました

国語の授業のあるときに
日本の古典文学で ただ「花」とあることばは
「桜」のことを指していると
お話ししたのを憶えていますか
「花」といえば「桜」は 暗黙の了解でした

それほど
日本人は「桜の花を愛してきた」といえます
しかし この「愛する」ということばを
ただの「大好きな気持ち」とは考えないでください

きょうは その話をしたかったのです

日本の昔のひとのつくった詩 歌を読むと
「桜」という花を 単純に「好きだ」ということはなく
むしろ「悔しい」とか「悲しい」「切ない」
という気持ちで 表現しています
「桜の花」は美しいけれど あまりに短い時間で散っていく
そのことに「胸を痛める」歌ばかりなのです

先生は これが「愛する」ということばの
ほんとうの意味ではないかと思います

桜の花は 咲いて散るまで わずか数時間
けれど 私たちのいのちだって やはり
限りあるものです

日本人が 桜の花からもらったものは
そんないのちの いま生きている時間の
かけがえのなさ 愛おしさ
だったのではないでしょうか

もうすぐ卒業式 別れの時
ちいさな翼のはえはじめたその肩を
桜色のまぶしい風が押すでしょう

そのいのちを大切に!

卒業 おめでとう


(一倉宏『ことばになりたい』より)



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