コロナが生んだ「はじめての小論文講座」
今日も、全国から小学生のみなさんに参加していただきました! ありがとうございました〜!(マイペースな高学年クラスさん)
子どもたちは画面に写ってしまえば「子どもたち」だけど、その背景に、「愛媛」だったり「滋賀」だったり、「地域」というバックグラウンドがあるし、それによって「見える風景」「感じること」も違ってくる。
ひとつひとつが、自分を形作る要素。その違いを知ることができるのも、私にとってはものすごく楽しい!
「こども表現の教室」は、私がここ5年くらい、小学生を対象に不定期で行ってきた作文教室のこと。
こんなことやるようになったきっかけは、ライターをしていた私のところへ、友人が落ち込んだような顔をして「うちの息子の作文をみてやってほしい…」と相談に来てくれたことだった。喜んで!
作文のお作法は、教えていない。そういうのは、塾とか学校のほうが丁寧だし、たしかだと思うから。
私は書くことで、自分を知る、アピールする、人を動かすことを、体験してきた。
だから、「言葉を自分のものにできると、自分の分身みたいにして使えると、世界が広がるよ」というのを、なんやかんやを通じて、伝えようと思ってやっている。
書くのが苦手とか、作文が嫌いとか、そんなところで終わるのは本当にもったいない。
もっと自分のことを好きになれる、作文で、そういう時間がきっと作れるんじゃないかと、本当に信じているんだよね。
▼コロナが突きつけた<作文>問題
……たところでの、コロナである。
でもこれは、「ことば表現の教室」にとっては、大きくプラスに働いたと思う。
ひとつは、オンライン化をしなくては開催できなくなったこと。もうひとつは、それによって、今までなんとなく思っていた「手応えみたいなものがほしい」と思って部分を、刺激された点である。
「書くの楽しい!」と子どもたちが感じてくれるというのは、自分の経験上もうわかっていた(自分でいうのもなんですが、めっちゃ楽しい作文教室です)。
そこからもっと、子どもたちが主体的に学び、成長したいと思えるようになるところまで、サポートできないのか? 私自身の成果やスキルの向上を、もっと実感できるようなカリキュラムを作れないか?
単に、「小論文の書き方」を教えるのではなくて、もっと自分とつながれること。もっと自分を伝えられる方法。もっと誰かのことを想像できる力。
そういうものを、小論文を使って育んでみたい、と。
▼「小論文って意味あるの?」がきっかけ
こんなふうに思ったきっかけは、小さなことで、それは高校生の小論文添削のお仕事を通じてやってきた。
ちょうど「コロナ」を題材にした答案がちらほら見られるようになっていた、今年の2月ごろのこと。
たとえば、「最近の気になるニュース」を取り上げて論じる課題がある。
高校生たちは、最近話題のコロナをピックアップし、その問題に対応するために、「水際対策をしっかりする」「中国人の入国を禁止する」といった提案する具体策を提示していく。
よく見る答案のパターン。コロナ対応策だって、おそらく、彼らが答案を書いた時点では、正しさも説得力もあったと思う。
でも、問題はそんなところにはなかった。
問題は、答案をもらって私が添削をしている時点(1〜2週間遅れ)で、もうコロナは取り返しのつかないところまで広がっていたことだ。
そして、これらの具体案のどれもが現実的には機能しないことを、世界はもう知ってしまっている、ということだった。
一方で、小論文的には、ある程度構成があり、論旨が一貫していれば、得点がえられる。
「わわわ。これは!」という衝撃だった。コロナという問題について、いわば模範解答的なマニュアルにしたがって添削していくことの意味とは?!
刻々とリアルタイムでで塗り替えられていくこれまでの常識。答案の中で繰り広げられる、空虚な論理。
「何のために書いている?」「何のために子どもたちに書かせている?」。
コロナが、ここでも!真正面から!ぶっすぶすに!問いを突きつけていたのである。
▼世界をみる、自分だけの視点
小論文というのは、本当はとても実践的で面白くて、伝える・伝わるを実感できるよい科目のひとつだと思う。
なのに、生活にも、自分にも、どこにも共通点を見出せないまま、答案を書いている子どもたち。これはないよな、と思った。
世界はどこにあるのか?ニュースはどこにあるのか?解決策はどこにあるのか?
……自分の中ではないの?
単に、小論文を型どおりに書かせても、それで得点をえて、それでどこかの学校に合格して、なんの意味があるだろう……
というわけで、「はじめての小論文講座」である。
五月のテーマは「もっと自分を知ろう」。新学期もままならないまま五月に突入し、ろくに自己紹介も友達のことも知らぬまに時間だけすぎていく今。
こういうときこそ自分を深めるチャンスだ。いつかの再開を待つ前に、自分の「好きなこと」「苦手なこと」「特技」や「ハマっていること」から、自分を言葉にしておく。
それだけでも、新しい環境に立ち向かうときの気持ちは全然ちがう。今は意味を見出せなくても、今の自分が絶対生きるときがくる。
考えは、変わってもいいんだよ。変わってもいいから、今の自分をつかむ。
そういうことから小論文を捉え直したいと思って開講したら、2人のお子さんがきてくれた。
まずは、自分の意見・考えをしっかり育てることから。しっかり寄り添います。
初回(五月六日)はすでに終了しているけれど、残り2回(5/16&5/30)に参加したい方がいたら、初回分を都合のよいときに補講(マンツーマン指導)するから、遠慮なくどうぞ。
小論文は通過点、道具、ツールにすぎない。小論文を使って、もっと自分を好きになって、もっと自分に自信を持つ。それだけ!
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