読解力を考える3ー共感はリアリティに宿る
読解力って、なんだろうな・・・を、その考えをもうちょっと整理していきたい気持ちに駆られています。前回までの内容はこちら。
情緒的な文章よりも論理性?
ベストセラーになっている、池上彰さんのこちらの本によると
2022年から高校の現代国語が、細分化されるそうですね。
どのように細分化されるかというと、論理と文学の基礎をはぐ組んできた「現代国語」から、言語、文学、古典などに別れ、選択制になるそうです。
背景にあるのは、教育の現場で求められるのは論理的な文章を読み解く力であり、また、それが受験にも有利だと考えられているからです。池上さんは、この昨今の「論理性重視、文学軽視の傾向」を、読解力低下と関連づけて指摘しています。
確かに、筋道がはっきりしている評論や論文を読む方が、正解が出しやすいこともあるでしょう。数学などとの関連を考えれば、論理性は読解の基礎。
しかし、今まで古典や文学に、ほとんど触れることなく過ごすとなると、「情緒的な文章を読み解く力」(by池上氏)はどうなっていくんでしょう。
情緒を読み解くためには、主観が入り込んでしまうことは確か。そして、それを点数化して判断することは、ある意味論理性を求めていることと同じなのかもしれません。
共感する力をはぐくむ
このような傾向を踏まえて、池上さんは「今だからこそ情緒的な文章を読み解く力が重要」と訴えます。
そして、この「情緒的読解力」についてこう定義しています。
情緒的読解力とは、自分とは全く違う境遇の人、考え方が異なる人、自分がしたことのない体験をしている人に対しても共感できる力です。(p.52)
まさにそうだと思います。
小説や詩、古典的な文学が教えてくれるのは、自分ではない人の人生が、時空を超えて迫ってくる、世界の広がりです。
そして、このような体験全てを、自分一人が成し遂げることは難しい。結局、医者の人生も、女優の人生も、「想像してみる」ことしかできません。
すぐれた映画や演劇などを拝見して感じるのは、その「リアルさ」です。架空の世界でも、実話に基づいたお話でも、監督や役者が「想像してみる」ことで内容を膨らませた結果、めちゃくちゃリアルな世界観を持って、こちらに迫ってきます。
殺人犯など、実際に手を下すわけにはいかない登場人物を、どう表現するのか。そのリアルさこそ、クリエイターたちによる幾重にも重なり合った想像力の賜物ではないでしょうか。
作品を鑑賞するたびに、読解力とはやはり、「誰かのことを自分のことのように想像してみる」ことでしかないのではないかと私は思うのです。
不治の病の美少女の気持ち、子どもを自殺でなくした親の気持ち、自分には起こり得なかった人の人生を、まるで「在る」ように想像する。
そして、「想像してみる」その主体は<自分>です。自分がいなければ、その役にも、風景にも、時間にも、命を吹き込むことはできません。
結局、読解力はどう鍛えていく?
情緒的読解力を鍛えるためには、どうすればいいんでしょうか。池上さんのこの本にも、いくつかの具体的な実践法が提案されていました。
ただ、池上さんの提言を読む限り、「真っ当な社会人であるべき」や「優秀な成績を治める」ことが目的になっているのではないか、という漠然とした違和感を感じたりもしました。
そこがゴールになることを否定はしません。だけど、みんながみんな、文学や古典を読解し、優秀である世界は、どこか平坦です。社会人として素晴らしい読解力を持った世界に、革新は生まれにくいのでは、と思ったりもします。
というか私の関心は、話を聞こうにも、自分のことを説明しようにも、須くうまくいかない人たちだっている、ということなので、そこをどう突破すべきなのか、その方法は在るのか、と考えたりもします。
病名をつけてしまうこともできる、そのような特徴を持つ人たちにとっては、長文が簡単には読めなかったり(これは、私にもわりとある症状)、意味がすぐに浮かんでこなかったり、
そんな基礎的な能力のところで、いわゆる「読解力」がないと思われてしまうのは、ちょと違うのではないかという想いです。みんなと同じ、読解力を持つ必要はない、というべきなのかもしれません。
あるいは、読解力がある人たちの、読解力がない人に対する「読解」が試されているともいえるのではないでしょうか。
読むこと、書くことが読解力を高める
私は、読解力を高めるために2つの方法を提案したいと思います。もっと細分化した、具体的な方法は講座の中でお伝えしました。池上さんの著書の中にも、具体案についていくつか触れられているので、ぜひ参照してください。
ここでは、シンプルに2つです。
一つは、やっぱり読書です。・・・と言われて、ガッカリする人も多いと思います。でも、残念ながら、読書はものすごく有効です。
実は、私も本を読むのは苦手です。意味をすぐには理解できないこともあるし、読むのもすごく遅いので途中で投げ出すこともあります。でも、それでもいいんです。
それでも、自分が好きなジャンルや興味があるものから、まずは「読む」を積み重ねていく。大好きな同じ本を何回も読む、でもいい。「読む」習慣を作ることで鍛えられるのは、語彙力と表現力です。これが、読解の基礎になることは言うまでもありません。
もう一つは、自分が書き手になる、ということです。書くなんてもっとハードル高い、と思うかもしれませんが、
誰にも見せない、日記なら書けると思います。心の中に沈殿していく感情や思考の断片を、逃さない。他者への共感を育む以前に、自分の心をまずつかむ。
慣れたら、「誰かに説明するつもりで、書く」というのを、ぜひやってみて欲しいです。朝起きてから目にしたもの、今日いちばん美味しかったものなど。
書くことで鍛えられるのは、「伝える力」です。
「誰かに説明する」という前提があることで、「伝えよう」とする意識が働くと思います。その時、具体的な誰かの顔を思い浮かべて書くのがより有効です。家族でも友人でも、たった一人のその顔を思い浮かべて、書いてみてください。
伝えようとすると、選ぶ言葉が変わってきます。文章の順番も変わります。そして、それが自然と自分の選択でできるようになります。
「誰か見せてもいいかな」と思たら、ぜひSNSなどでアウトプットを。きっと、思いがけない反応があるだろうし、誰からも反応がないかもしれません。
そこで、その事実に「ちぇっ」と舌打ちするのではなく、「どうしたらもっと伝わるんだろ?」と考えるきっかけにしてください。
役者たちの表現力
今回、講座をさせてもらった役者さんたちのおかげで、読解力について自分なりにもう少し踏み込んだ考えを持つことができました。
「演劇集団ふらっと」の皆さん、お声がけいただいた演出家・梅屋サムさんに心からお礼申し上げます。
私は文学や物語が持つ力を、ものすごく信じています。そこから発せられる想いは、作者のものでも、役者のものでも、観覧者のものでもなく、
全体が混じり合って、自分で再構築していくもの。
答えは一つなんかではないし、自分がいるからこそ、世界はいろんな風味を加えながら変化させていける。
だからこそ、物語は終わらないし、続編が生まれるし、読み継がれていくんだろうと思います。
読解力については、今後も考えて、更新していくつもりです。なんて深いテーマなんだろうかと書いていてやっぱり思いました。
そして、「これ!」という読解力を身につける方法を、自分なりにもっと構築していけたらいいな、と思ったのが今回の収穫です。
延々と読んでくださった皆様、ありがとうございました!
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