気づきのシェア

学んでいるヨガの講座で、感じたことや発見を今、コメントしてください。というお願いが毎講義ごとにあった。

私は時間がない。気持ちをまとめるのが苦手という言い訳を理由に、後回しにしていた作業だった。いや、作業というのはなんか違うな、これもプラクティスの一環だったのだと思う。

私もまたあとでアウトプットしよう。と、何か気づきがあるたびにメモは取っていた。

そのメモを見返すと、こんな風に感じていたんだ!とフレッシュな感動が伝わってくる。そしてその気持ちが時間が経ち、薄れていたことも感じる。

私だけに留めておくのは、勿体無かったな。

やっぱりその時感じた時にフレッシュな感じたまま受け取ったままの気づき、感覚、感情を流していくことが大切なんだ。と直感的に感じた。

今思うと、先生はそのことも話していたかもしれない、、、笑

そこで私の受け取ったエネルギーを発信していたら、それに共鳴してくれる人や、見てくれた人とのエネルギーの交流からまた新たな発見があったかもしれない。発信することで、さらに理解が深まり、よく消化できたかもしれない。

だって、発信するということは、受けてがいるということ。

見てくれる人がいる。聞いてくれる人がいるから、発信できるんだ。

これも二元性。ヨガは二元性を繋ぐもの。全てヨガで調和がとれているんだなこの世界は。(ヨガの語源や意味することについても記事にしたいと思ってる)

それで、その人にわかりやすく、誤解なく自分の想いを伝えようと言葉を選ぶ過程で、自分の考えへの理解が深まる。

ヨガの講座が全て終了して、講座を受けての感想を書き提出したのだけれど、それをやりきった今、

先にも書いたけれど、気持ちや思いは、ネガティブでもポジティブでも感動でも、なんでも、水がそこにずっと留まると腐敗してしまうように、その思いを感じたときにそのままフローさせてあげることがとっても大切なんだな!と感じている。そう気づいている。


先生は、よく、「そのまま感じて〜」と言っていたな〜。こういうことなのかも!と私の中でその言葉が消化できた。

自分の中に喜びも感動も、悲しみも怒りも、悶々と感情を溜めていたら、それはアーマ(アーユルヴェーダでいう未消化物、毒素)になってしまうんだ!

体も心も一緒だね。

体が痛い、思い通りに動かない。ということは、体がその動きを望んでいないということ。と学んだ。嫌がっている相手に強要しても、力みと衝突を生み出すだけでポーズは深まらないと。自分の体に思いやりの気持ちを持ちながら練習していくことが大切。

心もそう。

何か苦しいと感じている時、自分らしさから逸れていない?

心の痛み、苦しみは、私が私らしく在れていない時に生じるんじゃない?

自分以上のものになろうと無理していない?

本当はどうしたいの?どう在りたいの?

みんながそうだから、私もそうしなきゃと思っていない?

人の価値観や基準はみーーーんな違うんだよ。

それに当てはめなくていいの。みんな違う魂。したいことが違う。

そんな風に自分を慰めるように、でもそれが真実だって感じながら自分と向き合ってる。

恐怖や罪悪感、自分を責める気持ち、、、自分と向き合うとたくさん出てくるけど、感情をこうやってアウトプットすることで気分は晴れやかに、軽やかになるのを感じる。

これからはもっと、自分の考え、想い、感じたこと、気づきを発信して、自分というものをこの世界に表現していきたい💓

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