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坂道の向こう、シャボン玉と音楽と波の音【スペイン・シッチェス】

海へ向かう坂道をくだる途中、石畳の上転ばないようにと、ふと足元を見つめた時に目に入ってくるオレンジと、ターコイズ。

オレンジは、新調したばかりのスペイン生まれのエスパドリーユの革の色。ターコイズは、これまた同じくスペイン育ちのコスメブランドのマニキュアの鮮やかさ。足先で光るその色合い、シッチェスのホストのピーターの家の趣味にそっくりで、なぜこんな場所でトータルコーディネートを、とちょっとだけ笑う。

もう少ししたら日本に帰らなければいけないのだ、と思うと同時に、もう少ししたら日本に帰れるのだ、と今までにないことを私は思う。

珍しいこともあるものだ。1年も経つと人は変わる、と当たり前のこと思い至る。空、風感じながらゆっくりと坂下り、すでに見えている海の色追いかけながら、波打ち際まだ少し冷たい砂浜触れゆく。

ヒールの高さの分だけ、見える人生が変わると教えてくれたのは昔読んでいた「グラマラス」という雑誌だった。今日のエスパドリーユのヒールの高さは7センチ。夢のまた夢だった愛読誌の編集長と、少人数でごはんを食べに行った時に「出版業界に身を置くってなんだかすごい」と考えた。

手の指先にも深い赤色のネイルを。バッグはMacとカメラを入れてもゆったりと持てる大きめのトートバッグを。メイクは薄めだけれどマスカラまでしっかりとして、髪はゆるくまとめて美しいお団子を目の高さでつくっておく。(※つまり私は派手好きな大阪のおばちゃんみたいな感じでスペインを歩いていることになるな)

音楽はなぜか知らないけれど、フジファブリックの「若者のすべて」と「赤黄色の金木犀」、ハンバードハンバードの「おなじ話」を繰り返し聴いていた。

旅に出たばかりの頃は洋楽ばかりだったのに、どうして旅長くなると日本では絶対に聴かなかったような曲が耳に心地よくなるんだろう? 街と部屋の境目を、きちんとつくりたくなったり、するのかな。

「悲劇のヒロインをするのはやめてちょうだい」と怒られた小さな頃。「すべてを失くした」と思っていたのはやっぱり気のせいで、むしろ「ひとつのこと以外はすべて手のひらに収まっていた」と評するほうが近しい。

日本から遠くなればなるほど、最近は日本へと戻っていくような感覚があって、けれど心遠くどこかへまだ行きたい灯火消えず、では行ったり来たり、できるところまでするためにまずはお金をね、稼ぎましょうか。という結論に至って一度落ち着いて暮らそうと心決めた(3月で旅は終わらせるという社長との約束だったので、まぁ当たり前である。……少しオーバーしとるし。ごめんなさい)

もう一度行きたい場所は意外にそう多くなくて、心動かされた場所はオーストラリア、クロアチア、チェコのプラハと、ここスペイン。

安定のタイは言うまでもないとして、できたらミャンマーとラオス、モロッコも行きたいなぁ……あれ、結局両手では足りないくらいの多くの場所で、私は泣いたり笑ったり、見つめたり見つめ合ったり、してきたのだ。

ギリシャから入ってクロアチア、イタリア本土とシチリア島、マルタへと寄ってエジプト、モロッコと下っていく旅の路は、どれくらいきれいかな。「見ないうちはまだ死ねない」と思わせるペルーやボリビアの景色やことばに触れて、アルゼンチンでエンパナーダを頬張れたらその時の空は何色に見えるだろう。

通り過ぎてきたすべての街のそれぞれで、今日もあの日と同じ、きっとなんてことないと思わせるような、尊くてさりげない日常が営まれている。それは日本も同じだと気付かせるくらいには、今日のシッチェスの気候は完璧で、三日三晩晴れ渡ったあとの海の色は、透き通ってその向こうアフリカ大陸まで見えたらいいのにと思わせた。

浮かれているわけではないけれど、何か憑き物がやっと落ちたような気がしていた。今日起きたら世界のすべてがきらめいてて、スペインで交わす何もかもが、あとすこししかいられないと分かったときだけ醸し出される絶妙な情緒で満ち始めていた。

旅が何もかものなかで、いちばん素晴らしいと主張する気持ちは毛頭ない。けれど好きなことを好きだといえる人生は、「会社なぞ燃えてしまえばいい」と思っていたあの頃より、ずっとずっと自由で切なかった。そしてやっぱり、何者にも代えがたいほど美しい。

※私はいつもシャボン玉と子ども、坂道と音楽のある街に惹かれている

ひどく甘くて綺麗な幻想の国【チェコ・プラハ】|伊佐 知美|note(ノート) https://note.mu/tomomisa/n/nc571b27b0f89

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