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地平線と「ひとりな理由は聞かないで」【フィンランド・ハメーンリンナ】

デンマークのコペンハーゲンから成田へ向かう約10時間のフライトの中で、一本映画を観ようと思った。たくさんのラインナップがある中で、私が選んだのはやっぱり「ひとりな理由はきかないで(How to Be Single)」だった。

私は「プラダを着た悪魔」や「マイ・インターン」などのベタなアメリカンドリーム(?)な映画が好きなのだ。特にBGM。オープニング。「何かが始まる」と予感させるあの最初の1秒から180秒くらいまでの高揚感は、私の旅の間のドキドキに似ていた。

じつは最初は、「海街diary」を選んだ(英語版タイトルは「Our Little Sister」)。けれど英語の字幕がついているとはいえ、鎌倉という知っている土地、日本語という馴染みのある言語に触れるのがまだ早すぎる気がして、高揚感を感じるはずの冒頭に違和感があって、すぐに消した。

独り身の女性の過ごし方と恋愛を描いた映画を本能的に選ぶあたり(邦画タイトルを私はそのとき知らなかった)、私の選択も徹底しているなと映画を観ながら飛行機の中で自嘲気味に笑う。

日本に近付くたびに、機内に日本語のアナウンスが流れるたびに、「そうか、私は今から帰るのか」と自覚していく。

青い空、広い海、川、音楽、人の笑顔、英語に、知らない道。この3ヶ月間当たり前だった景色が、今はもう飛行機の後ろだ。まだ完全には終わっていない。けれどもう、昨日までの日は過去になりつつある。悲しかった。辛かった。嫌だった。私はまだまだ旅のさなかにいたかった。

いつだって大切なことは過ぎ去ってから愛おしくなる。恋も、人も、仕事も、日々も。身近にあるときは「こんなもの、けっ」と思っても、「それがもう手に入らない」と分かった途端、なんだか輝かしくて愛おしくて、もう一度自分のものにしたいと思ってしまう。


ふぅ、早速美化が始まったぜ、と飛行機で思う。最後のさいごにヘルシンキの空港のムーミンショップで買ったボールペンを、かばんの中から手探りで探す。ムーミンはフィンランド生まれだ。東京にもムーミンショップはあって、中でもかなり大きめのショップが、私の家から2駅離れた二子玉川にあった。そしてその店の前を私は毎週のように通ったけれど、今までは「リトルミイに似ているね」と夫に言われるくらいのもので、特段魅力的なものでは私にとってはなかった。

けれどなぜ、こんなにも目の前にムーミンが溢れていて、「designed in Finland」と書かれていて、そこに人が群がっているのを見ると、ムーミンがものすごく素敵なものに見えてくるんだろう。フィンランドの国旗を持ったムーミンのそれを、私はこれからお気に入りのノートと一緒に、いつも持ち歩いてみようと思っている。

そうだ、このムーミンのボールペンを見て、「せっかくだから、忘れないうちにフィンランドの大自然のことについても書き残しておこう」と、そう思って飛行機の中でMacBook Airを開いたんだった。なのになぜ私は「How to Be Single」のことを話したりしたんだろう。

***

フィンランドまで来たならば、そういえば白夜や、オーロラ、冬のサンタクロース村や(フィンランドには本当にサンタがいるのだ。そして1000円位のお金を払うと、クリスマスにサンタさんから手紙がもらえる。夢があるのか、ないのか、まだ自分の目で確かめたことがないから分からないけれど)、犬ぞりの体験など、何か冬とか「北」のアクティビティみたいなものも、楽しめばよかったな、と帰国日の前日の朝に思った。まぁ雪とかオーロラについては今は短い夏なのだから、無理な相談というものだけれど、もっと北へ向かって、白夜くらいは体験してもよかったのではないか、と思った。

そんなこと、思いつきもしなかったのだ。いや、正確に言うと思いついてはいたけれど、魅力を感じなかった。なんといっても私は真夏の北欧を楽しみに来たのだ。20度ちょっとすぎのちょうど良い気温と湿度の低さ、そしてそれを慈しむように楽しむ人たちを見るのは気持ちが良かった。けれどさすがにのんびり滞在も1週間を過ぎると、都心だけじゃなくて郊外の景色も見てみたいな、と思うようになる。だから私は、日帰りで行けるフィンランド国内の場所を探して、最終的には「ハメーンリンナ」を選んだのだった。

「ハメーンリンナ」。どこかで聞いたことがある、と思った人は、きっと私と同じ小説を読んだのだと思う。

私もそう思った。「どこかで聞いたことがある地名だ」。ヘルシンキ市内には「スオメンリンナ」という島があって、市内からは20分に1便フェリーが出ているくらいポピュラーな観光地だったから、最初はその島と間違えたのかと思った。けれど後にすぐ思い当たる。そうだ、「あのハメーンリンナだ」。

村上春樹の小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の舞台。いや、ハルキストとは認めない……けれど、ポルヴォーやタンペレ(そこにはムーミンの遊園地がある。ファンにとっては憧れの場だ)、エスポーといった観光地の中で、ひときわ地味なその土地に、私はちょっと惹かれ始めていた。電車を調べたら、ここから1時間半ほどでドア・トゥ・ドアで着くらしい。

行くか、と思った。地平線が見られる、と思った。そして夜、眠った。

***

ハメーンリンナには人がいない、と聞いていた。着いて「そのとおりだ」と思った。電車はなかなかに混んでいた。なぜなら、ヘルシンキ駅からハメーンリンナを経て、その先にタンペレがあるからだった。ハメーンリンナでも、20数名降りただろうか。けれど、それくらいのものだった。駅前にはバス停がずらりと、といっても4つか5つ並んでいて、川の畔でキャンプでもするのだろうか、重装備のバックパッカーやハイカーたちがぱらりぱらりと見えるくらいで、あとは地元のひとがゆっくりと本を読みながらバスを待っている、みたいな景色だった。

ハメーンリンナで有名なのは、ハミ族の城だ。いや、そもそもハメーンリンナという土地の名前が、「ハミ族の城」という意味であるからして、ここはハミ族観光がメインだった。ハミハミうるさいな、私。

えっと。けれどとにかく、私はそれにはあまり興味がわかなかった。それよりも、ハメーンリンナ駅からバスで15分ほど進んだ先にある「アウランコ」公園に行って、塔に登って、フィンランドの地に広がる地平線が見たかった。むしろ、この地に来た目的はそれだけだった。やっぱり私変わってるな、とは思ったけれど、道を進むにつれて生活の音が遠ざかって、次第に川が見えて、小さな花が咲いて、その近くで人々が思い思いにバケーションを過ごしている姿は、なんだか物語の中みたいで悪くなかった。

時折ひとは、「静寂で耳が痛い」という経験をする。ハメーンリンナは風が弱く、川は穏やかに流れていて、風が少しそよぐ音と、遠くで人がサウナ上がりに川に飛び込む音がざばん、と聞こえるくらいで、あとは私の足音がした。静寂、よりも手前の段階だろうとは思ったけれど、聞いたことのない爽やかな音と空気だった。

さっきまでヘルシンキにいたのに、と思う。ヘルシンキはフィンランドの首都だから、それなりに人は多いし、交通機関やショッピングモールが発達している。あぁこんなところに住めたらな、ってまた思う。私はいつも、素敵だなと思う土地を見つけると、「こんなところで暮らしたい」と思ってしまう(実際にはハメーンリンナはちょっと穏やかすぎるが)。

遠出をしようと決めてからずっと、この日が晴れてくれたらいいと思っていた。決め打ちだった。普段は晴れたら出かける、曇ったら仕事の日にする、と決めていたから、この日ばかりは順序が逆だった。晴れてよかった、とうれしさでいっぱいになる。

そう、私は見晴らしの良い場所が大好きだった。鈴木えみりさんが昔、「未来で何をするにしても、見晴らしの良い場所にいたいなぁ」と何気なく言ったけれど(そしてそれはおそらく誰かの言葉の引用だった)、私はそれに「うん、本当にそうだなぁ」と思った。

見晴らしの良い場所は、何をするにも悪いことがない。旅においてはその街の地形と概要、大体の雰囲気が把握できるし、仕事や生き方においては、重要な指針になる。

別にフィンランドの奥地で地平線を見たからって何か進化するわけではないのだけれど、人生の節目に見晴らしの良い場所に登ることは、私はなんだか悪くないって思った。どこまでも続く森は、歩いていると迷いそうになるくらい深くて分かりづらい道ばかりだったけれど、上から見たら、なんだあそこが出口じゃないか、と手に取るように分かった。

美しい青と緑をまた見て、私は日本に戻る支度をするために家に戻る。憧れ続けた北欧は、そのあと私がデンマークを経て日本に戻るまで、ずっとずっと、快晴だった。


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