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250円のホットコーヒーと、片道50ユーロの旅【オーストリア・ハルシュタット】

ケーブルカーに乗って登った山の上で、日本にいる家族と、チェコで次に泊まる予定のAirbnbのホストと連絡をとった。外はよく晴れていて、太陽から少し隠れたくて、半テラスの席を選ぶ。頂上に1軒だけあるカフェ・バーのカウンターで、店員さんと他愛もない会話をしながら、目線を空から画面に移す。

ハルシュタットの街は、期待を裏切ることのない美しさだった。後ろの方から「頂上からの景色が、ノルウェーに似ている」という英語が聞こえる。私も、もしかしたらそうなんじゃないかと思っていた。今目下悩んでいるのは、デンマークの次に本命のスウェーデンへ行くか、それとも寄り道をして、ノルウェーに行くかという選択だった。ノルウェーに行くなら、ベルゲンという街を拠点にして、夏のフィヨルドをぐるりと巡ってきたい。

けれどプリトヴィツェ、ハルシュタットと美しい湖畔の景色を眺めていた私は、果たしてこれと同じような景色が広がるだけだったら、もしかしてもう感動できなんんじゃないか、みたいな謎の不安に襲われていた。

それほど、これまで見てきた景色はきれいだった。もとい、私の好みに最高に即していた。

とは言え一度もフィヨルドの景色を見たことがないのだから比べようもない。きっとノルウェーに行ったら行ったで、「よく一人でそんなに楽しそうにできるね」とひとに言われるくらい、私は笑ったりしているのだろう。天気がよければそれでいいのだ。私は自分が気分屋でめんどくさい性格であることは十分に自覚しているつもりだけれど、晴れている空と海があれば機嫌がいい、ということに関しては、とても分かりやすい女だと思っている。

……だから雨だと、少し困る。

カウンターで、日本語タイピングの速さと難しさをオーストリア人のウエイターの興味が向くままに披露し続けていた私は、急に彼らがバタバタして、テラス席を片付け始めたことにやっと気がつく。

雨が、降ってきていた。さっきまで晴れ渡っていた空が、グレー味を増して、雲が視界を占拠し始めていた。

そうかぁ、雨かぁ、と思う。時刻は16:00過ぎを指していた。私が帰る電車は18:32発だから、それまでに止んでくれれば問題ない。しばらく雨宿りして、止んだらケーブルカーに乗って、外界(?)に戻ろうと思う。

17:00近くになって、やっと雨が止んできた。「まだJAPANESEの魔法を使っているの?」とウエイターが話しかける。そう、一応私の仕事だからね、と答えてみる。そして「I’m on a trip around the world by myself...for 8 month.」といつもの通り言ってみる。

「I’m on a trip around the world by myself」まではいつもみんな、ふぅん、と聞く。8ヶ月、と言った瞬間、2秒くらい同じ顔でふうん、ってなるんだけど、3秒目に「は!?」となって、「FOR 8 MONTH?」と繰り返す。

マレーシアから10カ国、どの国でも行っている実験だ。国別の反応の違いが知りたいと思っていたのだけれど、今のところアジア、ヨーロッパについては特段変わらず、傾向としてはお調子者の男性は必ず「ぼくも明日から一緒に行っていい?」と笑う、ということが分かったくらいだ。

ウエイターの大半は、ハルシュタットから20キロ圏内の小さな村から、仕事のあるこの頂上まで、毎日車とケーブルカーで通っている地元のひとだった。ハルシュタットは観光の街だからね、と彼らは言う。旅について話す時、彼らは心底羨ましそうだった。旅ができるということは、万国共通の憧れであるということが、私もなんとなく分かってきていた。

贅沢なことだと思ってるよ。昨日の夜、ウィーンで思い立って、ハルシュタットへ行こうと思ったの。でも思いつきだから、ホテルはウィーン市内にとってあって、だから私は今から帰らなければいけないの、電車に乗って。と伝える。

雨が止んだから、そろそろ行くね。美味しいビールをありがとう(また私は飲んでいた。普段こんなにひとりで飲まないから珍しいなと思っている。夏のせいだ。ということにしておきたい)と言って、手を振って別れる。

こうやって少しだけ人生の時間を重ねるのが私は好きだ。名前と顔しか知らないひとたち。その後また人生が交差するかどうかは分からないけれど、その後の人生で「あぁ、あのひとたちは今日もあの山の上でビールを運んでいるのかな、今日もあそこからの景色はきれいかな」と思えるだけで、少し人生は彩り豊かになる気がしている。知らないひとは正直苦手だけれど、知らないひととの会話は楽しい。

17:00を過ぎて雨が止んでも、空は依然として暗かった。久しぶりに、こんなに長い時間雨が降っているのを見た。ミャンマーのバガンでも、イギリスのロンドンでも、スロヴェニアのリュブリャナでも、そういえばインドネシアのバリでも雨が降っていた。けれど長時間ずっと振り続けることはなかったし、特にアジアの夏の雨はスコールだから、降ったあとはカラっと晴れて、「あれ、私雨なんか降らせました?」という顔をするから、雨が降ったというカウントにすら入れていなかった。

今日は、少し様子が違うみたいだった。まだ、雨が振り続けそうだった。あんなにきれいにカラフルな建物を映していた水面が、今度は手のひらを返したように、どんよりとしていた。

ケーブルカーに乗って外界を目指す。到着して、さぁ街中に戻ろう、と思った時、霧のようになっていた雨が、ざああ、とまた激しい音を立て始めた。

ふぅ、と思う。

オーストリアもWi-Fi大国(?)で、ケーブルカー乗り場の近くのロビーにも、さくさくとしたWi-Fiが飛んでいた。ハルシュタットからウィーンへ向かう帰りの電車は、また3時間半かかる。パソコンの充電があと30%になっていたことを思い出して、やれやれ充電でもして雨が止むのを待ちますか、と思う。30%じゃ、3時間半の仕事には耐えられない。私はクロアチアとオーストリアでは、完全に仕事と旅をミックスしていた。

ロビーには、私と同じように雨のせいで立ち往生しているひとがちらほらといた。誰も傘なんて持っていないのだ。分かる。今日の朝の気持ちの良い快晴と、午後のあの日差しを受けていたら、まさか数時間後にこんなに空が別人になってしまうなんて、想像だにしない。

電車に乗るためには、まずこのケーブルカー乗り場から街中まで15分ほど歩いて、そこから湖畔を渡るフェリーに乗って、最寄り駅に向かうという行程を辿らねばならなかった。時刻は17:20。そろそろ止んでくれないと、危ない時間になっていた。なぜなら、フェリーの本数は限られているからだ。18:32に乗るためには、18:15のフェリーを逃してはならなかった。

17:45、17:50になっても雨は全然止まなかった。むしろ強くなる一方である。参った、と思った。肩にはポシェット。片手にはパソコンや充電器が入っているペラッペラのエコバッグである。この雨の中、歩いたらパソコンが逝かれてしまう。それはまずい。これらは現在の私の生命線である。

心を決めた。傘を買おう。(別にそんなに一大事じゃない)

……と思ったときに、周りのひとがみんなレインコートを着ていることに気が付いた。なるほどここは、じつはケーブルカーがメインではなく、ケーブルカーに乗って訪れる、山の中の塩坑探索がメインの場所だった。塩坑内では汚れることがあるため、レインコートが売っているのだ。値段は、傘の半額だった。

ふむふむ。

レインコートね。

普段、あんまり着ないそれを、今日は着てもいいような気がした。ふふん、その薄っぺらいビニールで、私のMacを守れますか? と心で聞く。私は一体ひとりで何をやっているんだろう。ここはオーストリアの山奥だ。そして時刻は17:55。そろそろ歩き始めないと、しゃれにならない感じになってきた。

雨の中を、レインコートを着て歩く。さすがは塩坑で売っているレインコート。なかなか機能的で快適だった。

外には、どしゃぶりの雨の中、もう雨なんか関係ありません、みたいに濡れて歩く男女、家族、一人旅のひとが多かった。みんなもはや、雨に打たれるのが快感にでもなっているのか、謎にちょっと笑顔である。

通り過ぎる人が、私に「Hi」と笑いかける。思わず私も、なんとなく笑ったほうがこの状況、いいんじゃないかと思って雨が楽しくなってくる。

サンダルは、ドゥブロヴニクで血を見たときの、あの布製の紐がついたサンダルだった。なんでビーサンじゃないんだ! めちゃくちゃに濡れた足元を見て、少し「くー」と思ったけれど、それ以外はまったく無傷で、15分後にフェリー乗り場に到着した。

フェリー内にはたくさんのひとがすでに出発を待っていた。私が着ている透明のレインコートは少数派で、おそらくハルシュタットの街中の売店で売っていたのであろう、紫やピンク、青や黄色などカラフルでサイズ豊かなそれがフェリー内にあふれていた。

18:32発の電車に乗って、行きと同じ「アットナングフッハイム」駅で乗り換えて、一路足元が濡れたままウィーンを目指す。

朝5:30に起きて、10:47にハルシュタットに到着して、18:32にハルシュタットを離れ、また22:05にウィーンへ戻っていく。結構な強行の日帰り旅である。しかも後半は、この旅初めての強い雨に打たれた。

片道は、50ユーロだった。とても高い、と思った。(ウィーンからプラハまでは20ユーロだ)

けれど、このままハルシュタットに行かずに過ごす人生と、行きたいと思っていた景色を日帰りでもよいから見に行く人生なら、この先往復の1万円分を日本でどこか節約するから、お願いします行かせて下さい、と思って昨日チケットを買った。(ちなみにもっと早く決めていれば安くチケットは買えたはずだった。後悔。旦那さん、ごめんなさい……。)

帰りの電車で、冷房が効いた車内でこのままだと風邪をひく、と思った。そろそろやばいな、と思ったところで、車内販売が通ってくれて、私は温かいホットコーヒーを頼む。

私は甘いモノは好きなのだけれど、甘ったるい飲み物はどうも苦手で、コーヒーも普段はミルクも砂糖も加えなかった。けれどこのときはカロリーをとらないと殺られる、と思って(誰に?)たっぷりとミルクと砂糖をもらって入れた。

250円のホットコーヒーと、片道50ユーロの電車の旅。

どちらも同じくらいの価値があった。そのときの私に、必要なお金。

人生には、お金の使いどき、使いどころがあるのだと思う。正直に言って、私はいま人生で一番散財している。

散財、というのは適切ではないかもしれない。できればこれは、未来の私への投資、ということにしたいのだけれど、20代最後のわがままとして、ご褒美、として使ってもいいですか、という言葉でくくったらなんとかなりますか。

日に日に減っていくお金を眺めながら、時にものすごい恐怖を抱くことがある。けれど、今必要かもしれないと思った時は、やっぱりお金を使う選択をする。

何にお金を使うかって、どれくらい使うかって、そのひとの人となりが表れる、とよく言われる。何にお金を使っていこう、何のために稼いでいこう、どれくらい、どのタイミングで。これから、私は。

250円のホットコーヒーと片道50ユーロの旅をしながら、たとえ足元がまだ冷たくても、今日はハルシュタットに行けてよかったな、と帰りの電車の中で思って私はひとりで満足していた。30歳の誕生日まで、あと23日のカウントダウン。旅っていうのは、自己が満足できるかどうかの連続である。



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