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カラキシ〜脚本でやりたかったこと〜

どうも、tomokunです。

これは高校2年生の舞台でキャスト全員から銃口を突きつけられている僕の写真です。

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さて、続々と更新している『カラキシ』に関しての投稿ですが、いよいよ今日までです。ってことで、何がやりたかったのか色々喋っていきたいと思います。

前回の記事はこちら。

そんでもって再生リストはこちら。もう見れなくなりますよ!ハリーアップ!

■演劇の楽しみ方

さてと今回もかなりネタバレが含まれるので、そういうのが怖い人のためにこちらを用意!

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『カラキシ』、皆さんにはどのように映ったでしょうか。

ちょっとテクニック的なところでやりたかったことをいっぱい話していきます。

語らないことが美学って思う人もいるでしょう。

知るか、今回は語ります。


■共時的なこと

まずはこちらの記事で書いた通り、共時的なことを扱いたかった。

言わずもがな、共時的なことは新型コロナウイルスのことです。

カラキシがどうコロナと絡んでいるかは、また後で書きます。


■人を死なせたくなかった

ドラマチックにしようと思えば、作品の中で人を殺しがちだな〜(個人的な感想)ってずっと思ってました。

だからこそ作品の中で人は絶対に殺したくなかった。

そんなに簡単に人が死んでたまるか。

でも、大袈裟なことがないと実感できない僕らなので、大きな事件を一つどうやって扱おうか迷いました。

私たちが生きている中で当たり前に存在していることを消す。これがなくなると困るっていうものを消す。

tomo「これがなくなったら困るっていうもの…音だ…!」

作品内で辿り着いた結論が、「音楽が大好きなカラキシが耳が聞こえなくなる」でした。

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その時のメモ帳のスクショ。

こうやってストーリーを考えていきました。


■明確な世界線を作りたくない

今回何より時間的制約が強かったです。

動画の演劇で1時間以上のものなんて作っても見てもらえるわけがない。

30~40分に収めるのは決めてました。

そんな中で、時代とか場所とか決めちゃうと、見てる観客の頭の中では答え合わせをしている間に終わっちゃう。

例えば、江戸時代の日本って決めちゃうと

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「その時代は鎖国で…なのになんでこれが存在しているんだ?」
「その時代にはこの食べ物は存在しないはずなのに…?」
「その時代にその服と髪型?」
「その場所なのになんで思想が西洋的なの?」

などなど、今考えたものであんまり具体的じゃないかもしれないけど、ストーリーじゃないところに観客の頭がいくのを極力避けたかったんです。

明確にわかるものならいいんですけど、それは難しいと思ったので、何も決めませんでした。

だからこそカラキシの話の中では、そこがどこなのかも、そこが何時代なのかも、何も言ってません。

そんな世界も演劇なら許されるよね♪


■情報量の差を作りたい

どこで生じる情報量の差かというと、「観客」と「ステージ上」です。

どういうことかというと、2場の時点でカラキシを除いた登場人物と観客は、「夏至の日にカラキシは耳が聞こえなくなる」という事実は共有されています。

そんな状態にもかかわらず、2場でカラキシは「夏至が楽しみだ!」という発言をします。

情報的に優位に立っている観客に、なんて悲しいことだろう…って思って欲しい!って期待を込めて書きました。

「カラキシはこの後耳が聞こえなくなるのに、その日を心待ちにしている…なんてことだ…(心の声)」こんな感じ。

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情報量で優位に立つことができるのって演劇の特徴なんですよね。その世界を全くの第三者視点からみることが出来て、ステージ上との情報量の違いを楽しむことができる。

シェイクスピアが多用したテクニックです。ロミオとジュリエットなんかでは、プロローグでこの後に起こること全部話しちゃいます。観客は結末をしりながらその後のストーリーを見るわけです。なんて残酷。


シェイクスピア

シェイク先生「わしは全て知っておるぞい」


実際さっきの心の声なんかは、情報量の差を楽しんでるわけです、多分。

ちなみに情報量の差がある間は、観客とステージ上にはある一定の距離があります。達観しているに近い状態かもしれません。

わかりやすく言えば、ストーリーに入り込んでいない状態。


でも、情報量を必ず一致させるところを作ります。

シーンで言うと3場の途中でカラキシが自分に起こる事実を予期せず知ってしまうシーン。

ヤサシサ「何も聞こえなくなるのよ」

観客の心の声「あ〜〜〜〜カラキシ見てるのに〜〜〜〜」

カラキシ「つるが切れた」

観客の心の声「ほら聞こえちゃってんじゃん〜〜〜〜〜」

ここで観客も登場人物も、全ての人物が平等なところに立つわけです。


んでもって、ステージ上から与えられる情報量が観客を上回るところを作りたかったです。

観客「え!そうだったの???」

ってなるところです。

場所で言うと、カラキシがヤサシサのことを好きだったって言うところ。

ヤサシサがカラキシのことを好きだってことは知ってたけど、カラキシもヤサシサのこと好きだったの???ってなって欲しい!って思って書きました。

なんで上回るところを作りたかったかというと、そこまである一定の距離を保ってストーリーが進んでいていたところに、今度は観客自身が舞台に歩み寄るんですよね。

そこでぐっとストーリーに観客が入り込んで欲しい!って思ってました。

この情報量のテクニックもシェイクスピアが多用していました。

まあ、なかなかうまくいかずに、この意図は伝わりづらい、下手な脚本になった気がします。うますぎるぜ…先生…。


■観客に入り込んでほしくない

情報量の差もそうですけど、見てくれた人に世界観にいきなり入り込んでほしくなかったんです。

なぜかというと、世界観に入り込めるストーリーにしちゃうと、共感できる部分があるかどうかで見ちゃうから。

あ〜わかる〜って部分ばかり探しちゃうんですよね。そうなっちゃうと、共感できないところで一気に気持ちが離れちゃう。

僕はどちらかと言うと、この世界はなんだろう…?って観客に探しに来てもらう立場がよかったので、入り込んでほしくない!って思いながら書きました。

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そのために、主とするストーリーは2本以上作ること、言い回しを複雑にする、この2つを意識しました。

カラキシのストーリーは主に

・カラキシはどんな歌を作るのか?
・カラキシとヤサシサの恋仲

この2つを軸に進んでいきます。

ストーリーを1本にすると、観客側としてはあまり頭を使わなくてもついていける台本になって簡単に入り込めるんですよね。

これもシェイクスピアが多用したテクニック。

でも、いい塩梅で2本成立させるの難しかったです。


もう一つは、言い回しを複雑にしてたくさん使うこと。

なるべくストレートに表現することは避けました。

当然身近な言葉じゃなければ見てる人はなんだろうって感じになりますよね。


でも説明不足な部分が多くて、結局謎のまま終わっちゃうところが多くなってしまったのは本当に反省です。

脚本上でいろんな比喩を使って、回りくどい言い方をして、最後まで何だかわからなかったってところが多くなってしまい、見ている人にとってはもやもやしたまま終わってしまったと言う方も多かったと思います。

自分の中で解決してしまった部分です。

入り込めてたら僕の負け。入り込めなくても僕の負け。脚本難しいーーー。


■次回へ続く!

長くなってしまいました。

ここに書いてあることはある1人の考察だと思って聞いてくださいね。

あなたが見て感じたことが全てです。

とにかく今日までなので、もしよかったら何度でも見てください。

また次に続きます!(多分)


tomokun

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