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カラキシ〜伝えたかったこと〜

どうもtomokunです。

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これは入試前日に初めて群馬大学に来て

「とんでもないところに来ちまったな…」ってなってるところを親に撮られた写真です。

連日『カラキシ』について記事を更新しております。

前回の記事がこちら

記事をみてからでも見る前でもいいので、ぜひみて欲しい作品です。

YouTubeの再生リストを貼っておきます。


■伝えたかったこと

今回台本で伝えたかったことを書いていきます。

まず大前提に皆さんが感じた感想が全てです。これは一考察としてみていただけるとありがたいです。

今回もこちらのゾーンを設けておきます。

どん!!!

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…はい!よろしいでしょうか。

では参ります。


■コロナと私たち

今回台本を書くにあたって、コロナとの戦いが何よりも大きかったです。

コロナで非日常に立たされた私たちが、これからどう生きていくべきか

これをまずは書きたかったです。

カラキシはコロナ禍における我々人間です。世界中に存在しているコロナの影響を受けた人間の象徴です。

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見事に日常が奪い去られました。思ったように外に出れなければ、演劇なんてもってのほか。毎日過ごしている中で、気づいたらその場で足踏みしている自分や世界が見えてきた。

こんな今だからこそ、自分は何を考えるのだろうか。

そんなことを考えながら書いていきました。


■変わるもの、変わらないもの

コロナの影響を受けて変わったものと変わらないものが出てきました。

コロナで人々の生活が大きく変わった部分。外出はマスクが普通、施設に入るときには消毒液、人と人との間にはシート。

変わらなかったもの。人と人とのつながりの大事さ、お日様の暖かさ、顔を合わせて話すことの大事さ、土の香り、花粉症。

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人間の中には絶対に変わらない普遍なものがあって、不変なものがあって。

それに訴えかけられた時にきっと心は動くはず。そう信じていました。

それと同時に現状維持じゃなんか足んない、昔に戻ることを夢見て立ち尽くすだけじゃ終われない。

今考えているこの衝動をなんとか形にしたいと思いました。


■人間って変化を拒む

新しいことをやろうとしたら、大体周りから批判されます。

今まで通りのことをやってたらちゃんとうまくいくのに、新しいことをしてわざわざうまくいくかわからないことをする必要がないから。

考えてみれば当たり前です。

でも批判してばっかじゃ、昔のものに囚われてばっかじゃ、面白くないよね、って思って過ごしてます。

カラキシは情熱の薔薇が好きでずっと歌っているけどね。


■ブルーハーツの情熱の薔薇

とにかくブルーハーツが昔から好きだった。

楽しい時も、落ち込んでいる時も、優しく受け止めるようなことはしてくれない。

いつも自分には見えない角度から「これを聞いているお前に何がわかる」ってぶん殴ってくれる、そんな音楽が好きだった。

歌詞なんてほとんど理解できないけど、聞いたらスッキリさせてくれる、ブルーハーツが好きだった。

自分の人生を見つめた時にブルーハーツだけは外せなかった。

ブルーハーツ

「僕にとって変わらないものはブルーハーツの歌なんだ」


でも、そんなブルーハーツの曲でさえ響かなくなる時があって。

時代が変わっていく中で、全員に響くわけもなく、目新しいもの、魅力的なものへと人々が目移りしていって。

そこでとどまっていてはだめなんだと改めて感じました。

じゃあブルーハーツの作った曲を書き換えてやる

っていうのが、僕にとっての変化の答えでした。

とんでもない冒涜行為、批判の的になるに違いないと分かっていたけど、変えたかった。

だって、リンダリンダが響かない世の中になっちゃったんだから。そんな世の中を憂いて止まるわけにいかない。


■世の中の出来事にほとんど理由なんてない

そして、いろんな人がコメントしてくれる中で書いてあったこの言葉。

理屈や理由なんてすっ飛ばして、理不尽なことが巻き起こる。

オモイ「いつも突然変なことが起こるもんだな」

誰がコロナなんて予想できただろう。誰が無観客の演劇になるなんて予想できただろう。

なんだか考えているうちに、全てに理由をつけようとする自分がバカらしくなった。演劇でさえも。セリフでさえも。

意味ない

そんなふわふわしたものをテーマにした。

演劇を一本見終わったときに、何か見させられた気分になる。意味はわからなかったけど、なんだかスッキリした。そんな感じが好きだったけど…それを作り上げるにはなかなか難しかったです。

それ故に、難しい言葉まわしや台本に置いていかれる人が多かったと思われます。大変申し訳ない…。

自分には必要ないと思ってても、演劇においては肝心なシーンやセリフ、演技には理由が必要だったみたいです。


ヤサシサ「私はもう立派な蝶よ」


肝心なところで理由なんていらない。

好きな言葉を、好きな音楽を聞いて、耳の心地が良ければいい。

そんな脚本はまだ存在してはいけなかったみたいです。これからも存在してはいけないのかも。


■作品の中でどうやって扱ったのか

ここまで書いた伝えたかったこと

・コロナと私たち
・変わるもの、変わらないもの
・人間って変化を拒む
・ブルーハーツの情熱の薔薇
・世の中の出来事にほとんど理由なんてない

・コロナと私たち

カラキシがコロナ禍で生きる私たちで、コロナウイルスは耳が聞こえなくなるという理由なき事象で表しました。

歌が大好きなカラキシが、耳が聞こえなくなる。そんなカラキシはこれからどんなふうに生きていくのか。新しい曲を作るのか、作らないのか。新しい生き方を選ぶのか、今まで通り生きるのか。

私たちに重ねました。


・変わるもの、変わらないもの
・人間って変化を拒む
・ブルーハーツの情熱の薔薇

変わらないものは人の温かさとしてヤサシサとオモイの存在。情熱の薔薇の歌詞。

変わったのはライトのエンディング。ライトのカラキシは変化することを選びました。別に大した理由はないんですがね。ただ皆既日食が起きた時にふと思っただけ。
転調させた情熱の薔薇で、今までとは一味違うカラキシが生み出した新しい歌、私たちの新しい生き方として終わらせました。

レフトのエンディングは一転してそのまま終わりました。今までの自分に縋って、変化を拒んだカラキシを描きました。
耳が聞こえなくなると知るまでは音楽が好きという純粋な気持ちで歌っていたカラキシが、変化が起きてくれるな、歌だけはそのままであってくれという外見は同じでも中身としてはまるで違う歌に縋って情熱の薔薇を歌いました。


・世の中の出来事にほとんど理由なんてない

カラキシが耳が聞こえなくなる理由が明らかでないというところ、この世界線が曖昧なところで表しました。



なんかもっとあった気がするけど、1番の自分の敗因。

理由がないということを書こうとして、理由を作ってたことが敗因でした。

自分で台本を書くうえでふわふわしちゃってたんでしょうね。

自分の衝動は全部乗せ切れても、それを演劇にするにはやっちゃいけないことだったかもしれません。

後悔はしていません。

あんなに素晴らしい演技をのせてくれて、こんなに未熟な台本を素晴らしい形にしてくれた役者、素晴らしい編集をしてくれたスタッフ、素晴らしいフライヤー、宣伝をしてくれた裏方制作。

後悔などあろうはずがないです。


■演劇だからこうあるべき

何よりこれは伝えたかった。

演劇だからこうあるべき、という考えは吹き飛ばしたかった。

どんな時であっても、芸術として、表現者として、演劇をしたかった。

「ただ表現したい」

「ただ、思いをのせた作品を作りたい」

この公演に関わる全ての人と、自身のそういう気持ちを何より大切にしたかった。

みてくれた人がどう受け取るかは、投げてみないとわからない。

いつもそれは怖いし、うまくいかない時もたくさんあるけど、その衝動だけは消したくなかった。

最後のチャンスだと思って、みんなの大切な時間を預かって、作り上げることができました。


■次回へ続く!(多分)

なんだかうまくまとまらなかったな。

書いている間もふわふわしているんでしょうね…。文章が下手だ!

次は裏話でもしようかと思います。カラキシの現代語訳とかもしてみたいな()

ここまでご覧いただきありがとうございました!

tomokun

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