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秘密の秘密 by 「デッドライン」(千葉雅也)

ホテルオークラ京都「バー チッペンデール」で飲めるお酒「水魚乃交」は美味だ。水と魚のように離れることのできない自然の片割れ のような親しい間柄を示す故事成語だ。

水は水 魚は魚。
でもある近さにおいて水魚「になる」

「水魚乃交」を飲むと、いつも荘子の次のお話を思い出す。荘子と恵子が濠水のほとりに遊んでいる設定だ。

「魚が泳いでいる、楽しそうだ。」

「あなたは魚でないのに、なぜ魚が楽しいとわかるのか」

「あなたは私でないのに、どうして私が魚の楽しみをわからないとわかるんだ」  

「私はあなたではないから、
 むろんあなたのことはわかりません。
 ならば、あなたも魚ではないのだから、
 あなたが魚の楽しみをわからないのも
 そうじゃありませんか」

自分というデッドライン が相手に到達するのを妨げる。荘子は荘子、魚は魚。でも、ある近さにおいて荘子は魚に、魚も荘子「になる」

「ここで待ってて。すぐ戻るから」
私が…待つはずがない。
「一緒に行く!」
と私なら言うはずであることを彼は知っていた。
なのにテムズ川沿いのパブに私を1人残し、ロンドン橋を足早に渡る彼。

彼を追った。
セキュリティ=彼のデッドライン を突破し秘密に到達した時の私の嬉しそうな顔はミルキーのペコちゃんのようだったと彼は回想しつつ今でも苦笑い。大好きなホームズみたいに頑張ったからだ。
「一緒に!」が私だから、秘密を秘密として、遅かれ早かれ語り、共有するつもりだったと彼は言う。

秘密を秘密として示せば
そこにおいて
秘密は秘密になり
彼の気持ちは私の気持ち 
彼の秘密は私の秘密
私=彼 
一心同体になるからだ。
これが秘密
これが愛

秘密って1人の心の中に隠し持つような性質のものでない。秘密は単数ではなく複数形の性質を持ち「主客の合一」ひとつになること。秘密は触れることや愛に関係しているとずっと漠然と思ってきた。それを小説の形で書かれた本に出会った。千葉雅也による「デッドライン 」

父「お前さあ、周りにゲイだって言ってまわってるのか」」
子「言ってるよ」
父「冗談だったと言いなさい」  
子「とんでもない。僕は激高した。
「なんで噓をつかなくちゃならないんだ、ありえない」

父は嘘を吐けという。
母がそういうことが平気な女じゃないから。

息子さんゲイなんですってとぶしつけに言われることに耐えられないような
か弱い存在…

母にもっと強くなってもらいたい。
母が認めてくれないから
僕の中にも、「そういう女じゃない」と、手をバタバタ振って刺激を振り払おうとする女の姿がある」

母=僕=女
僕の中の少女というデッドライン =僕の秘密は母のデッドライン 。

(ある)主観=秘密と(真実を求める)客観が一つになる時、秘密に触れる時、触れるは触れられる。愛が生まれる。そしてその時、主語が喪失されるってメルロ=ポンティは言ってる。男と女が、越えられない距離を削除し、僕が君、君が僕 一つになる時。近くにいる他者とワンセットであるような新たな自己になる

主客の一体化= 「触れる」こと
琴線に…核心に…逆鱗に触れる
体に触る(障る)
気が触れる
触れる=手当は二つを一つにする。
あなたが私で、私があなた。
1人じゃなくなる。
凹と凸も凸と凹もくっついてしまえば同じもの。

女を抱く、
彼が彼女を抱く のか
彼女が彼を 抱く のか
一つになれば同じこと
「彼女になる」こと
彼=彼女

秘密の隠匿、デッドラインを超えられないバレてはいけない秘密を持つ人との関係は破綻する。

相手に触れられないから
秘密の距離は心の距離 
バレてはいけない主観(秘密)と
真実を追求する客観

秘密とは矛盾にも
守られれば守られるほど
愛はそこになく
愛を失う

愛を守りたいから
嘘を吐き
秘密を守ろうとするのだけれど
愛していれば
秘密は苦しい

不倫が分かりやすい。
本当に好き=バレてもいい
バレてはいけない。
「バレては」いけない?
そんな好きじゃないのだ

秘密の秘密 
秘密のマジック







































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