読書メモ 「林達夫著作者 1 芸術へのチチェローネ」 ーその2

「林達夫著作者 1 芸術へのチチェローネ」
 林 達夫
 平凡社 1971年

30年程前に、思い切り背伸びをして買った本を、いま再び開いている。若かった私には案の定、林達夫の博覧強記、そしてエスプリについていける筈もなく…。こうして読んでいても未だ歯が立たないのが悲しいが、下座に控え、いや、それも烏滸がましいので立見で、観客の一員に紛れ込んでみようと思う。
前半4編に続き、中盤2編の感想を述べる。

文芸復興

「ルネサンス」と聞いてまずイメージするのは、14世紀から16世紀にかけてのイタリアを中心とした文化的潮流、そんなところだろうか。日本語では「文芸復興」と訳されるが、この言葉は最近あまり使われない気がする。
「ルネサンス」は、16世紀後半のヴァザーリの『芸術家列伝』 にその言葉の源があるとされ、19世紀スイスの歴史学者ブルクハルトによって広まった言葉だが、もともとは「復興」というよりも「転回」「変革」といったニュアンスで13世紀から声高く語られていた事実があるそうだ。林達夫はこの歴史的事実に基づき「復興」とルネサンス、さらには「人文主義」とルネサンスの関係を規定し、具体的な作品を挙げながら、ルネサンスのエッセンスを洗い出していく。
ペトラルカ、ボッカッチョ、エラスムス、ラブレー、モンテーニュ、シェイクスピア…。取り上げる作品は文芸に寄ってはいるが、まさに、林達夫の博覧強記の本領発揮である。「再生」「新生」としてのルネサンスの姿が、じわりと輪郭を現す。
残念ながらルネサンス文芸には馴染みがないが、林達夫の「チチェローネ」に誘われて、エラスムス(林達夫は彼にエピクロス主義の洗練を見ている)やモンテーニュを読んでみたくなった。無論、ラブレーやシェイクスピア(『真夏の夜の夢』は楽しく読んだ記憶がある)も。
そしてやはりここでも、林達夫の歴史への敬慕を感じる。ルネサンスは「イタリア的事実」であり「イタリア的なる更新」であるという。そこには、各共和都市や小国家間の抗争、近隣国との領有争いという政治史に規定されたイタリアの姿があり、その精神的前提として、中世の理想である「地上における神の国の理念」「生の理想としての聖者」という、人間の実生活からは遊離した余りに高き観念性への反動があった。そのような理念は、それを大衆に教化させようとするなら、どうしても妥協・歪曲化を免れ得ず「聖なるものの支配が単なるその名義と仮面との下におけるそれとはおよそ反対なるものの支配に化してしまう」からだ。人間は、言うほど高邁なものでもないようだ。しかし、この反骨精神が、新しき精神を熱望するルネサンスに繋がっていった訳である。
また本稿を読むと、林達夫は前出のブルクハルトにかなり影響を受けていることがわかる。その意味で、ホイジンガの「中世の秋」(これも読んでいないが…)とは異なるルネサンス観ということか。
造形美術に関しては、文芸ほど触れられていないが、ジョットはヴァザーリによって「古代作品の模倣者としてではなく、却って自然の模倣者として特性づけられている」という。確かに、ヴァザーリは『芸術家列伝』のジョットの項の冒頭でこう語っている。

画家は自然に対して多くを負うている。自然のなかから一番良いところ、一番美しいところを取り出して、たえず自然の模写と再生につとめる画家たちに対して、自然はいつも模範の役割を果たしてくれる。画家たちがこのように自然に従うようになったのは、私見では、フィレンツェの画家ジョットのおかげであると思われる。……当時の人々がまるでかえりみようともしなかったデッサンは、ジョットのおかげで、すばらしい生気を回復したのである。
『ヴァザーリ ルネサンス画人伝』
(平川祐弘 小谷年司 田中英道 訳
 白水社 1982年)より


当時のゴシック画を見慣れた目には、ジョットの描く人物は、まさに眼前に存在するがごとく、視界が開けたように新鮮に写ったであろうし、デューラーの、自身を神にも重ねたごとき《自画像》は、近代的個人が誕生したルネサンスを見事に象徴する名作であると思う。
それにしても、本稿の面白さは細部にある。例えばトスカナ語などの俗語と古典語との関係、コペルニクスのフィロラウスからの啓示、『エセー』の最初の段階での執筆計画、ルネサンスの社交と祭礼…などなど。そうした小さな点(点といっても近寄ってみると形や色は様々だ)が集積し、一枚の大きなタブローになったような印象を受ける。歴史は、むしろその細部に魅力があるのであり、本書付録の『研究ノート』における生松敬三の「トリヴィアリズム」という言葉に(生松氏は深瀬基寛氏の『トリヴィアリズムと人間』からそれを借用しているそうだが)この一編の魅力が、うまく表現されていると思う。


発見と発明との時代

ルネサンスの飛翔の片翼が「人文主義」ならば、もう一方の片翼は種々の「発見と発明」である。本稿は『文芸復興』で触れられなかった外なる世界の発見が、ルネサンスにどのような影響を齎したか、それを補遺する意味で書かれている。
「あるものはこれを扁平であると言い、他のものはこれを凹状であると言い…」奇怪な世界図に閉じ込められた中世人が、コロンブスやヴァスコ・ダ・ガマ、マジェランの発見によって「その向こうにまだある」と、海の彼方へ心躍らせ解き放たれたことに思いを巡らせるなら、この洋々たる空気から生まれた作品たちの気分に近づけるだろうか。
林達夫は、この気分を表した主な作品として、トマス・モアの『ユートピア』(この作品が時代に対する一つの諷刺か、それとも未来に実現さるべき社会の一つのプログラムであるかはさておき)とフランシス・ベーコンの未完の作『ニュー・アトランティス』さらにフランソワ・ラブレーの『パンタグリュエル』を挙げる。「航海譚」というキーワードで括れるこれらの作品であるが、『ユートピア』や『パンダグリュエル』における理想郷の叙述のベースには、現実の探検計画や試航見聞があり、モアやラブレーが当時の航海者の動向に、並々ならぬ興味を寄せていたことが窺えるという。また『ニュー・アトランティス』は『ユートピア』から百年ほど経過し、形骸化してはいるものの、そこにはやはり「航海譚」という形式が変わらずにあり、発見時代の人心に及ぼした影響の大きさを感じさせるということだ。
さらに一歩進んで、モンテーニュは『習俗論』において、自分の属する社会の習俗のみならず、世界の全ての習俗は理論的見地から等しく価値があると述べているそうだ。

──かくて彼はいわゆる文明に対して極めて懐疑的に傾いて行った。文明とは何であろう。それは要するに変態的な発達であり、「自然」の本来の恵み深い意図からの不幸な別離ではないであろうか。人がその富、その商業、その教化によって獲得したところのものはいくばくであろう。却って人はその原始的な単純性を犠牲にすることによって、莫大な損失をしているのではないであろうか。……我々はモンテーニュのこれらの思想がまたこの時代の多くの識者のものであり、それがルネサンスのユートピアニズムとその理想的人間の幻想との一つの基調になっていたことを看取することができる。そしてかかる思想を培ったものが、実に一つにはこの新世界の発見であることを知るとき、我々はその思想史的意義を決して軽視することはできないであろう。

地理学的発見は、地球球体説という仮説を事実に裏書きしたが、それはそのまま地球自転説へと繋がることになる。そして、その説明の大任に当たったのが、ニコラウス・コペルニクスである。この革命的転回が、教会の呪詛と攻撃に晒されることは、当然の成り行きだった。ことに聖書中心主義をとったルターは、舌鋒凄まじくコペルニクスを罵ったそうである。コペルニクス説の闘士ガリレイは、1633年に異端審問で終身刑を言い渡される。コペルニクスの著作が最終的に禁書目録から外されたのは、実に1822年のことであったそうだ。

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,831件