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ほぼ日通信WEEKLY巻頭エッセイで衝撃を受けた〜夫婦の不可分な受発注関係〜

ほぼ日手帳を使い始めて3年目になるだろうか。

時々メールで流れてくるほぼ日通信WEEKLYが何気に好きである。
*よく考えればWEEKLYだけに毎週なんだけど、自分が気付くのが不定期なだけだった。

みうらじゅんの「実話クイズ」とかは、(元々リモートワークである)弊社のスタッフとか、家族と共有して(多分一人で)盛り上がるくらい、面白くてタメになった。

今日の巻頭エッセイ「あいすもの」戌一さんだった。

戌一さんのことは不勉強で存じなかったが、「あいすもの」を読んでおおお!と親近感がドバドバ湧いてきた。

というのも、うちは夫、榎田竜路が音楽家で起業家でメディアプロデューサーという器用な人材で、私は戌一さんと同じく、長年裏方に徹してきたからである。(トップの画像は夫の演奏風景)

お陰で、これまでコンサートや映画祭の主催、ケニアでの緑化プロジェクト、映画製作、メディア手法とメディア人材育成手法の開発… と多岐に渡り経験することになった。

戌一さんの奥様のふくしひとみさんは、音楽家で舞踏家でヨガインストラクターで...とマルチスーパーな方である。動画も拝見したけど、即興演奏とかめちゃくちゃいいし、ピアノはアート・テイタムばりに超絶で、しかもノリがあってかっこいい。

戌一さんも、もともと美術家として活動されてきたが、奥様との出会いによって裏方に徹することになったそうだ。

そして、奥様は、アーティスト堅気な方にありがちな「表現以外何もできない」という極端な性質ゆえ(天は二物を与えない)、戌一さんはフライヤー制作やお金の計算などなど、あらゆる裏方仕事をすることになる。

ここまで聞いたら、「奥さんはラッキーだったんだ」と誰もが思うだろう。そして、「奥さんにどっぷりなご主人、よほど惚れ込んでいらっしゃる」とも。

しかし、当人はそういうことを感じている余裕はおそらくなかったに違いなく(奥様のことはお好きであったに違いないけれど)、降ってくる仕事をどんどんこなしていくうちに、いつの間にか裏方仕事しかやる時間がなくなっていったというのが現実ではないかと思う。

「あいすもの」にも

妻には早く一人前の表現者になってもらって、そうなったら全ての作業を外注しよう。それまでの我慢だと、そうすれば解放されると、己に言い聞かせて耐え忍んでいた。

ところが。

数年の時が経ち、妻は私が見積もっていた以上の潜在能力を発揮し、いつしか一定のファンを得るようになっていた。そして完全に主体性を失った私は、妻の依頼以外には応えられない人間になっているようにも感じられた。「妻に洗脳されたのか?」という不安が脳裏をよぎったこともある

という時期を経て、

少なくとも私の美術は、優れたパフォーマーからの依頼をこそ待ち侘びていたのである。それがたまたま妻であったのだ。

と認識するに至る。

この一文、「よくぞ言ってくれました!」とひとりMacの前で首が取れるほど頷いた。

そうなのだ。

それは夫婦愛とか、配偶者のめちゃくちゃぶりに耐え忍ぶ片割れの風景とかではない。実際に強力なパフォーマーである発注者と、仕組み上、受け手として最も優先度が高く、しかも発注内容がかなりハチャメチャでも、だからこそ腕がなるぜと密かにうそぶける受注者の関係であり、実は、お互いこれ以上ウィンウィンの関係はないのである。

私も、まったくこの戌一さんと同じような心境の変化を体験し、今に至っている。

今まで、周りの人からは「内助の功」とか、「奥さんあってのご主人」などの褒め言葉から、「(ご主人はわかるけど)、あなたは何をやりたいのかわからない」とか「夫の仕事を支えている中心が妻というのは、見た目体裁が悪いから、君は影に引っ込んでたほうがいい」とかいった忠告の類まで、様々なことを言われた。

実のところ、褒め言葉も忠告も、どれもイマイチしっくりこなかった。(でも褒められたら単純に喜びます笑)

支離滅裂な夫の注文や理不尽なワガママといった耐え難きを耐えてまで、なぜ別れて自分自身の道を歩まなかったかは、戌一さんのご夫婦のような分け難い受発注の関係があるからに他ならない

おかげで自分自身の能力も強制的に上がり、「こんな仕事いいな」と思っていた仕事にいつの間にか近づいてきている。

そして、時代は変わった。

戌一さんみたいに、「奥さんの裏方でっせ」と曰っても、それはそれで成立する時代になった。

私に忠告してくれたいろんな方々は、心から私や夫を心配してくれていたと思う。だから、そんな人たちを責める気は一切ない。

単に、時代が変わったのだ。
裏方が裏方の顔で発信し、それが受け入れられる時代になったということだと思う。

***

日本はフォロワーがいない。

いうことを随分前に聞いたことがある。

まさに、戌一さんとか私が配偶者を支えるのと同じように、社会でも危篤な才能を持った言い出しっぺ、パフォーマーを支える人材が必要不可欠なのに、圧倒的に不足してきたらしい。

そもそもその前に、そういったフォロワーが正当に評価されてこなかったことが大きいのではないだろうか。

今でこそ、フォロワーが正当に評価される時代になったのだ。

戌一さんの「あいすもの」を読んで確信した次第である。






















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