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親子だからこそ、向き合うことの大切さ

明日は鹿児島の夫の実家の草むしりに行くはずだった。

2日間家を空けられるように準備して、仕事もキリのいいところまでやって、着替えを入れて...とあれこれやっているうちに、いつの間にか深夜になってしまった。

明日は5時起きだから、早く寝なくちゃと思って、ようやくウトウトし始めた頃、聞いたことのないような音で携帯が鳴った。鎌倉、逗子にレベル4の土砂災害警報が発令されたとのこと。

結局草むしりどころじゃないんで、明日の朝、鹿児島に向かうのはひとまず取りやめに。飛行機を変更して、全く止む気配のない雨音を聞いていたら、すっかり目が覚めてしまった。

ワクチン接種をめぐって

今週もドタバタ忙しかったけど、気持ちの上ではワクチン接種に振り回された感がある。

周りでそろそろワクチン接種が進んできており、友人や家族との会話にも話題に上ってくるようになった。

うちはそもそも、病院のお世話になることが極端に少ないので、ワクチンも打つ予定はない。

そんなわけで基本は傍観者なのだけど、ワクチンを打つべきか、打たないべきかで、周囲は結構揺れているのを感じている。

もし、私もその渦中にいたらどうしただろう、とあれこれ考えざるを得ない。

おそらく、最終的には自分の直感に従うのだろうと思う。(これまで何かを選択しなきゃならないときには、そうやって身体に訊いてきた。概ね、間違ってなかったように思う)

留学中の長女のモノの見方の変化

ところで、私にはオーストラリアに留学中の長女がいる。

外国で、色々な出会いがあり、随分と考え方も変わってきたようだ。
例えば、今年になって授業でフェミニズムについて学んでいるらしいが、その中で、こんな気づきがあったという。

日本にいるときは、「女性は子供を産んで育てる」のが一番幸せだと思い込んでいた。でも、こっちにきたら色々な人がいて、性についての捉え方もさまざま。幸せにも、さまざまな形があることがわかった。

オーストラリアは移民の国だし、彼女の大学にはアジアを中心に様々な国から、多様な経歴、年齢の人たちが学びにきている。

こういうことは現場にいないとなかなか実感できないこと。
若いうちに行かせることができてよかったなと思っている。

家の仕事の分担も、ごく自然に男性が子供の面倒を見たり、ゴミ出しに行ったりしている。しかも、会社の仕事とかと同レベルで「自分の仕事」だと感じて、進んで動いているんだよね。

如何に日本人が「これは男性の仕事、これは女性の仕事」と、性別によって仕事のあり方を限定してきたかがよくわかるという。

なるほど。いい学びになってるな。

嬉しい反面、ちょっと羨ましい気もする(苦笑)

オーストラリア(ブリスベン)のコロナ関連の状況

その長女に、オーストラリアでのワクチン接種がどうなっているか聞いてみた。

彼女はブリスベンに住んでいる。

ブリスベンは比較的田舎で人口密度も低いせいか、感染者数もかなり少なく、早い段階から大学も対面授業に切り替わった。イベントごとも通常通りやっているらしい(この前も年に一度の全学生参加の飲み会らしきものがあり、ドレスアップした写真を送ってきた)。

もちろん、マスクは誰もしていないそうだ。この前久しぶりに感染者が1名出て、知事が「マスクしなきゃダメ!」と大目玉をくわしたから、みんな渋々マスクをしたらしい。

ワクチンについては「ようやく、留学生にも接種の案内が来た」とのこと。

「強制?」と聞いたら、「拒否もできる」と。

長女に自分の気持ちをどう伝えたらいいか?

これまで、子どもに何かをしなさい、とか、何かをしてはいけません、と強要するようなことは、あまり言ってこなかった。選択に迷うようなことがあれば、まずは「あなたはどう思うの?」と聞いてきた。

しかし、今回のワクチンについては、私の見解はNoである。

もちろん、それが100%正しいと言っているのではなく、様々の意見、憶測などが飛び交う中で、個人的にはNoだな、と直感で感じたから、いつもの自分の選択パターンとして、それに従おうとしているだけである。

その自分の直感が、「特に若い人は打たない方がいい」と言っている。
長女になんと説明すれば、理解してもらえるだろう。

下手に言えば、臍を曲げて「私は私。お母さんの言いなりにはならない」と言うだろう。

でも、ここで何も言わず、万が一接種してしまったら、きっと一生後悔する。最終的に接種することになったとしても、親の気持ちを伝えるのと伝えないのでは、天と地ほどの違いがあると思う。

ここ数日、それをどのように切り出そうか悩んだ。そして最終的に、自分の思いを正直に打ち明けよう、というところに行き着いた。

長女とのライン

そこで、こんなふうにラインを送った。

メディアは恐怖心を煽ることばかり書くし、空気感の重圧もすごい。
人は見たいと欲する現実しか見ない生き物だとカエサルも言ってる。

こういう時こそ、直感を大事にした方がいいし、もちろん様々な情報をきちんと調べるべきだと思う。

万が一、お母さんが今後2度とあなたと会えないとしても、お母さんとしては、ワクチンを打たないことを優先して欲しいです。

親として、特に何もできないけれど、知ってることと経験から得られたことを伝えることは、数少ないできることではないかと思っています。

おそらく日本人よりオーストラリア人の方が、一旦罹患すると重症化する率は高いのだろう。その分周囲の空気感も、ワクチン接種に傾いていると想像している。

そんな中で、当然本人だってワクチン接種したほうがいいと思うだろう。ワクチンを打たないというと、びっくりされる可能性もある。

そんな中で、親である私が、逆方向を強く要望するのは、人でなしなのかもしれない。本人はげんなりするかもしれない。

と、色々と悩んだけれど、本人の返事は拍子抜けするくらい素直だった。

自分なりにきちんと情報摂取して、判断出来るようにするわ。
ありがとう。自分の為にならないことはしないから安心して。

これを読んで、ふーっと肩の力が抜けていった。

あぁ、よかった。

素直に向き合う大切さ

重要なことは、素直に向き合って気持ちを伝える。

これってすごく大事なことだなと思った。

こういうことは、他人になら当たり前にできるんだけど、意外と家族同士ではできないし、普段はやらない。

今回のように選択を迫られるような機会は、実はお互いの絆を確かめ合うような、大切な時間なのかもしれない。

素直になったら関係性も成長した

長女は、こんなことも話してくれた。

なんかね、いまつくづく、ああ、ちっちゃい頃にもっと集中して欲しかったんだなって思った。集中してほしいと子供って親の一番してほしくないことするでしょ?自分で気をつけないと、そういう欲求にまともな考えを持ってかれるなあ、と。

こういうことに、大の大人でさえ気づかないことが多い。

いつの間にか、子どもは成長している。そして、今回の件で、親子の関係性も少し成長したように感じている。

***

雨足は全然弱くならないが、そして、目はますます冴えてきているけれど、ちょっと嬉しい週末の夜になった。

鹿児島の草むしりも、近々行ける日が来るだろう。























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