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ホームレス

前回までのお話し
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https://note.com/tomokitta1/n/n72c6988edc40


Sは小柄ながら格好がいい男で、実際男の俺も憧れていた。
そのまま、Sのアパートに転がり込む事になり、1週間仕事を無断で休んだ。
その後寮に戻ったのだが、先輩に呼び出され酷く叱られた。
(その先輩には、かなりお世話になった。どこかで幸せに暮らしていて欲しい。)
会社からも捜索願いが出されていたそうで、
今でこそ当然の事だと思うが、その時は(なんて大袈裟な…)くらいにしか思わなかった。

すぐに会社を辞めて、Sのアパートに戻った。 
数ヶ月も経たないうちにお金が底をつき、俺は日雇いのアルバイトを探し、引っ越しの仕事に行くようになった。

そういう場所には、変わった人々が集まってくる。
全てを足すと、歯の抜けて酒臭い年齢不詳の暗い奴、という人間が出来上がる。
そこで、たまたま珍しく普通に会話ができる人と出会った。
彼は田中と名乗った。
今どこに住んでいるのか、仕事は何もやっていないのか、等と当たり障りのない(今の時代では、何かに抵触しそうだが)そんな事を話しているうちに、
「今、知り合いが新聞配達員を探している。部屋も用意してもらえる。とりあえず家に来ないか?」
と、誘われた。
居候で金欠の身には願ってもない話しである。
俺はその足で赤羽(東京都)にある田中のアパートに行った。
そこで新聞店を紹介され、赤羽駅西口の四畳半、風呂なし、共同トイレ、家賃14000円(新聞店持ち)のアパートを借りてもらった。
久しぶりの我が家である。

数カ月後、今度はSが仕事を辞めて俺のアパートに転がり込んで来た。
四畳半一間に男がふたり。
あるものといえば、布団と炊飯器。あとはそれぞれの私物が少々。
兎に角お金がなかったので、食事を取るのも大変だった。
ある時、新聞店の娘さん(田中の彼女)が風邪で休んだ俺を気遣って、袋入りのそうめんと缶詰めを持ってきてくれた。
とても有難いのだが、鍋もガスコンロも缶切りもない。
それでも腹ペコの俺たちは、どうにかそれを胃袋の中に入れたくて、苦悩の末に名案が浮かんだ。
炊飯器に水を入れて、お湯が出来たらそうめんを入れて炊飯ボタンを押した。無論、缶詰めをドライバーなどを駆使して奮闘しながらである。
そうしてドロドロに溶けた、決してそうめんでは無い何かが出来上がり2人で爆笑した。
結局、残った乾燥麺に塩をかけて食べて、それがまた美味しかった。
そして、缶詰めを開ける事は出来なかった。

そんな日々を過ごしていたが、仕事は面倒くさかった。
赤羽台という地域を担当していたのだが、台というだけあって坂が非常に多い。その上、マンションが立ち並んでおり、エレベーターがない所も多かった。
朝刊、夕刊を自転車で配るのだが、兎に角朝がつらい。Sが寝ている中、仕事に行かなければならないのだ。
そのうち、事ある毎に何かと理由をつけて仕事を休むようになっていった。

そして、とうとう仕事を辞めたいと申し出て了承を受けた。
その後のあてが在るわけでもない。

結果、数日後にアパートを出ていくように言われた。
大家さんに頼み込んで、二階の共用スペースに布団や炊飯器などを一時置かしてもらう事になり、二人は無一文(いや、実際はいくらか小銭は持っていたが)で宿無しになり、外で眠らなければならなくなった。

当時、赤羽駅西口の一角に小さなベンチがあり、俺達はそこで眠る事にした。
10月の東京の夜は、ことさら寒い日もある。
俺達は、何処からかダンボールと新聞紙を持ってきて、新聞紙を服の中に入れて眠った。
その時初めて新聞紙の温かさを知った。
朝には、ベンチを登って来て体じゅうを這い回わる蟻に起こされる。 
食事をどうしていたかは、ここでは言わないでおく。
一方、タバコには困らなかった。
当時の街には、タバコがたくさん落ちていたのだ。
いわゆるシケモクである。
なるべく長いモノを選べる余裕があるのは、ありがたかった。


赤羽駅西口から少し入った場所に、【スナックリラ】という店があった。
新聞配達をやっていた時は、給料日のささやかな楽しみとして、Sと2人で何度か訪れていた。
リラのママは、何故か俺達の事を気に入ってくれていて、ホームレスになった俺達をお店に入れてくれて、焼きそばを作ってくれたりもした。

そうして、その【スナックリラ】があった事で、俺達の運命は大きく変わる事となるのだが、それはまた次のお話し。


つづく
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極道へつづく道
https://note.com/tomokitta1/n/ndcd16fa313b8


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