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35歳からのウソ日記90

2020年8月26日

昔の日記らしきものを発見した。

日記というよりはショートストーリー的なものだ。

でもしっかりとウソなので今日の日記とする。

父はスキー選手。母はフィギュアスケート選手。

2人ともオリンピックに出たことあるくらいの選手だ。

そもそも2人はオリンピックで知り合い結婚したのだった。

その子供が私である。

名前は氷室 一(ひむろはじめ)。

両親ともにオリンピックでは銀メダルで終わってしまったので、金メダルという一位にこだわり、息子には一番になってほしいという意味を込めてつけられた。

私はすごい遺伝子を受け継いでいるのだ。

種目は違うが、サラブレットみたいなものである。

小学校の頃のあだ名は「氷室ー」だった。

名前の一をのばし棒にされて、ひむろーって叫ばれているみたいな。

幼い頃から冬のスポーツであるスキー、スノボ、スケートなどは全て教え込まれた。

住んでいるのが北海道だったので、環境は抜群だ。

やはり遺伝子というのはすごく、どの競技でも私は一番になった。

両親は大喜びだ。

私は喜んでもらえるならと、必死で辛い練習にも取り組んだ。

その姿勢のおかげで、勉強でも一番になった。

努力するという才能が備わっているのかもしれない。

それからは何事でも一番でなくてはいられなくなった。

ケンカでもなんでも。

努力すればなんでも一番になれた。

しかし、絶対に一番になれないものがあったのだ。

ある意味一番かもしれない。

つまりビリだ。

それは人を笑わすこと。

私は何を言ってもつまらないみたいで、私で笑った人を見たことがない。

悔しかった。

初めての挫折。

その時ふと思った。

両親のせいだと。

父はスキー選手。母はフィギュアスケート選手。

スベルことに関してのスペシャリストなのだ!

両親は物心ついた時からスキーやスケートをスベッテきた。

遺伝子はウィンタースポーツの才ではなく、つまらない才のほうだったのだ。

ひむろーってあだ名も、「ひむろ」って文字がスベッテるように見えてくる。

嫌だ!こんな遺伝子嫌だ!

これからの人生スベッテ、スベッテ死んでいくのは嫌だー!

私はお笑い養成所にも行ってみた。

でも全然ダメ。

お笑いのビデオもたくさん見た。

どうすればいいのか分からなくなった時に、養成所の奴に

「両親が違えば、こんなにスベルこともなかったかもな」

両親が違えば?

両親がいなければ。

両親を殺してしまおう。

私の心の中ではこのような3段落ちになっていた。

そうなってからは一刻も早く両親を殺してしまいたくなったので、すぐさま実行に移した。

私は家に帰り、両親を、こんなにもスベッテしまう私を産んだ両親を殺した。

私が包丁を両親に向けた時に両親は「冗談だろ?」と顔が笑顔になっていた。

私にはそう映っていた。

私のしたことでスベッテいない!

喜んだのもつかの間、両親は私の足下で人生を終えていた。

涙が止まらなかった。

いつも喜んでくれた両親。

選手に育てたかったのに養成所に行かせてくれた両親。

スベッテも笑顔を絶やさなかった両親。

私にとって、両親がスベテだったんだ。

それでは また あした で終わる今日 ということで。

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