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35歳からのウソ日記89

2020年8月25日

暑い夏にはやはり階段話ではないだろうか。

世の中には無数の階段がある。

昔は階段と坂の区別がなく、両方とも坂と呼んでいたらしく、階段なのに〇〇坂と呼ばれているところがいまだにあるらしい。

階段は数え切れないほどあるだろうが、実際に何段なのかは数えられる。

そこで1つの疑問が生まれた。

階段って何段から階段と呼べるのだろう。

1段あればそれは階段なのか。

1段はただの段差ではないか。

ならば2段からなのか。

はたまた階が変わるほどの段数がないと階段とは呼べないものなのだろうか。

アントニオ猪木さんに聞いてみると3段からと言っている。

階段は何段からですか〜!

1、2、3、ダーン!

と。

しかし、アントニオ猪木さんは道についてこうも言っている。

この道をゆけばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ 行けばわかるさ。

この考えによると1段から階段と呼べると言っているように解釈できる。

なので私は1段から階段と迷わず言えるようになった。

そう思ってから段差を上がったり下がったりするたびに何段か数える癖がついた。

別段不便というわけではないが、階段を上り下りするときには自動的に数えてしまう。

マンションの2階に住んでいるので、エレベーターは使わずに毎日階段を使っている。

12段の階段を毎日上り下り。

もう段数知っているにも関わらず、1、2、3、(ダーッ)4、5、6、、、と数えてしまう。

最近の日課で夜にランニングをしている。

夜は比較的走りやすいが、熱中症が怖いので水分補給はこまめに取るようにして走る。

走っては飲み、走っては飲み。

疲れが溜まっているせいなのか分からないが今日は少しいつもより足が重く感じた。

まるで誰かに足首を掴まれているような感覚である。

ふと足首って掴まれた経験ってあんまりないよなと思う。

そんなことを考えながら走り続けていたが、どんどん足が重くなっていき、それどころか痛みすら感じてくる。

捻挫などの痛みとは少し違う。

やはり誰かにギューッと足首を強く掴まれているようである。

私は走るのをやめて帰ることにした。

早く帰りたかったので、いつもは通らない近道を選ぶ。

墓地の横を通り過ぎていくので普段は通らないのだが、今日は別だ。

無性に喉が乾く。

水と喉によって本当に聞こえてくるグビグビという音を何度も鳴らし、そして聞いた。

家が見えてきたくらいで、またいつもと違う変化に気づく。

ギュルギュルギュル。

お腹が痛い。

水の飲み過ぎだろう。

でも家はすぐそこだ。

爆弾を投下してしまわないように、けど最速のスピードで家に向かう。

階段の前まで着いた。

ここで気を緩めてはいけない。

経験上で分かる。

まだ何かのハプニングでトイレに到着するのが予想より遅れることがある。

例えば家の誰かがこのタイミングでトイレに入っているとか。

私は気ともう1つを引き締めながら階段を上がる。

こんな状況でも段数を数えている自分に呆れる。

1、2、3(ダーッ)4、5、6

途中のダーッも忘れないのかと更に呆れる。

7、8、9、10、11、12

まだ足首を掴まれている感覚があったが登りきった。

13。

13段!?

もう1段あったぞ。

なぜだ。

そこで足がさらに重くなり全く動けなくなった。

なんだこれは。

ヤバい、ヤバいぞ。

違う世界に入り込んでしまったのだろうか。

これはヤバい。

そして気づく。

近づいてきている音みたいな音が聞こえる。

どんどん、どんどん近づいてくる。

もうすぐそこまで来た。

私は目をギューッと瞑る。

しかしそれはなんの意味もなさなかった。

ドーンッ。

私の肛門から爆弾は投下されてしまった。

この年齢で爆弾を屋外で投下してしまったことの悲しさで冷や汗をかいていた。

その汚さのおかげか分からないが、掴まれていた感覚の足は爆弾投下とともに消えていた。

これが私の夏の階段話である。

便器があればなんでもできると思った夏、だ。

それでは また あした で終わる今日 ということで。











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