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35歳からのウソ日記105『南無阿弥陀仏で分かる血の繋がり』

2020年9月10日

血の繋がりって怖いなと思った。

本当にあった怖い話である。

みんな会ったことのあるなしは仏壇の供え物の横あたりに置いておいて、お爺ちゃんお婆ちゃんが2人ずついるはずだ。

父方と母方。

自分からすれば全員が血縁関係にある。

切っても切れない、まるで出勤初日の田舎の駅員さんのよう。

それは切手も切れないの方である。

お後がよろしいようで。

終われません。

私くらいの年齢の人の場合、他界してしまっているお爺ちゃんお婆ちゃんが多いのではないだろうか。

これは父方のお婆ちゃんが亡くなった時の話である。

小さい頃よく遊んでくれたお婆ちゃん。

でもこちらが成長するにつれ、そういった時間も少なくなっていく。

それからは正月などの家族行事でしか会わなくなり、お婆ちゃんが話題に上がるときは決まってお婆ちゃんの体調が崩れたとき。

そんな風に時は流れていき、お婆ちゃんは入院をしなくてはならないようになった。

時間がないというのを理由にお見舞いに頻繁に行くことはせず、家族みんなが揃ったら行こうなどと行かない理由を誰かに押し付けれる仕組みを導入する。

弱っている時の家族ほどありがたい存在はないはずなのに。

二日酔いの時の味噌汁のように。

そして病院からそろそろかもしれないので最後にお見舞いに来てはどうかと連絡が入る。

日程を合わせてお見舞いに行くことにした。

その日の朝に病院から急いでくれとの連絡が入った。

いつ亡くなってもおかしくない状態らしい。

私たちは急いだ。

頼むから間に合ってくれ。

どうにか間に合ったのだが、もうお婆ちゃんの意識はなく眠っている状態だった。

小さい頃よりはもちろん年老いていて、小さかったお婆ちゃんがさらに小さくなっている。

死ぬってということはこのままもっと小さくなって小さくなって消えていくことなのかなと思った。

私たちが到着した時には主治医の先生もベッド脇にいらしていて、私たちが着いたらお婆ちゃんの寝顔が明るくなったと言ってくれた。

意識がなく寝ているが、分かるものなんですねと。

そして私たちが病院の食堂でお昼ご飯を食べに行ってすぐにお婆ちゃんは息を引き取った。

最後の最後の力を振り絞って、どうにか私たちが来るまでは生きていようと、生きている時にもう一度会いたいと頑張ってくれていたんだなと思い、私は大粒の涙を床に落とした。

お婆ちゃんは寒い冬に暖かな表情でこの世を去っていった。

翌年の冬に一周忌でお墓に家族で出かけた。

心なしかいつもより寒い冬に感じる。

お墓は山の傾斜部分にたくさんあるうちの1つだ。

午前中というのもあってなのか晴れていたにも関わらず、日が射しているところがポツポツとしか見当たらなかった。

お婆ちゃんのお墓の前は完全なる日陰。

お坊さんと私たち家族でその前に立つ。

それからお経を唱えるわけだ。

私は準備ができていたので目を瞑っていると、お坊さんが、

「もう少しこちらに」

と誰かに向けて言っている。

瞑っていた目を開けて見てみると母親が少し遠くにいるのだ。

理由は明白だった。

舞台に立つ主人公に当たるスポットライトのように母親には日が射していたのである。

母親はあまりの寒さに日向から抜け出せずにいるのだ。

さすがに諦めた母親はお墓の前まで来て、ちゃんとお経を唱える準備をした。

みんなが揃ったところでお坊さんと一緒に南無阿弥陀仏を唱える。

目を瞑り、両手を顔の前で合わせて、お婆ちゃんのことを想いながら南無阿弥陀仏と唱えた。

言い慣れてる言葉でもなく、はっきり大きな声で言うものでもないという雰囲気があるので多少のゴニョゴニョ感はあるが一人だけ確実に南無阿弥陀仏をゴニョゴニョさせてない人がいる。

私は薄眼を開け、絶対にコイツだろうと思い母親の方を見る。

そこには衝撃的な光景が広がっていた。

目を瞑るわけでもなく、両手を顔の前で合わせているが、その両手を上下に動かし摩擦で熱を生み出しながら、

「あーさぶ、寒い、寒い、寒い」

とお経のように唱えていた。

そんな母親を見て私は震えた。

唯一、お婆ちゃんと血が繋がっていない母親は祈りより寒さが圧倒的に勝るのだ。

血の繋がりって怖いなと思った。

それでは また あした で終わる今日 ということで。



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