「天皇家の歴史 下」

細かい文字の三一新書、下巻もやっとこさ読了。

鎌倉時代から文明開化、明治天皇までの歴史。

上巻もそうだったが、高貴で人徳者、時に神とまでいわれて崇めたてられた天皇も、当たり前だけど平凡な人間であって、権力を持ってるだけに、その欲は抑えることなく発散されてたってことだ。

近代になるまでは、女や帝位を奪うために、兄弟同士、殺し合うなどは日常茶飯事の様だったのだ。中国や西洋の皇帝や王と同様、血塗られた歴史が存在した側面がある。

今や天皇は、天然記念物のようになって(人権侵害の最もたるもの)、実質的には存在価値さえも危ぶまれるようになってると思うが、とりあえず、歴史上では、7世紀頃から続いていることになってる(125代、2700年、南北朝時代に天皇は2人いたが)。

要をなさなければ自然と消えていく運命にあるのが歴史であるが、“無常感”(物事は移ろいやすく、儚い)を至上とする日本国において、文化の“核”として絶対的な天皇という存在を無意識的にも残しているのかもしれない。それは日本人の遺伝子に強く残ってるんじゃないかと思う。否定肯定も含めて。

もう”君側の奸“という言葉もなくなってきているね。国際政治学者が「大喪の礼」を「たいもの礼」(完全な間違いではないが)と読むくらいだから(笑)。

歴代権力者が、なぜ天皇という存在を認めてきたのか?まずは天皇が常に第三者的立場にあって、その時々の政治状況を巧みに利用しながらも、自らの地位は守ってきたということがある。つまり処世術に長けていたということで、江戸時代になっても、将軍らは、まず天皇を滅ぼそうという発想はなかった。だからマッカーサーが天皇を残したのは、日本国の歴史を考えた場合、根本から変えるのを恐れた?といえるかも。

実権を動かすことなく、第三者的立場から、ただ存在して、(神話でも)何千年も続いてきたというのは、他国にはあり得ない。日本及び日本人の文化の特長かもしれない。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。