危篤が近いかも
先週末から、母様がいるショートステイ施設から度々連絡があって、とうとう水分を摂るのも難しくなってきているという。頻繁に喉につっかえるようで、専用器具で痰を取り除きつつ、つまらないように少しづつ与えている状態らしい。
施設のスタッフや往診のドクター、ケアマネさんと連続して連絡をくれて、多分、危篤も近いと思われる。
本来なら、今日・明日は帰宅日なのだが、移動も負担になるかも、ということで今週も預けることにした。
今日・明日か、1週間後か、生き延びて1ヶ月後か、基本はわからないけど、悲しくとも、もう十分に母様の旅立ちを納得はしている。当たり前だけど、人は誰でも老いて死ぬし。ただ、父親と違って母親だと感情がドバッと外に溢れてしまう気がする。愛しさも怒りも虚しさも。多分、やっとヘソの尾が完全に切れたという寂しさと孤独感も。
片麻痺の障害者となって実家に帰り、親父に続き母親と、2人とも面倒を見ることになって、この10年近くで、人間の“業”と無常感とをイヤというほど味わうことになって、まさか人生の後半の入り口にこんな事態が待ち受けていようとは露ほどにも思わなかったよ。
それだけバカだということかもだが、これも何かの因果かもしれぬ。死んでからわかった父親の真の姿を知って激しく絶望したり、認知症の実害を経験したり、母親のウンコを手掴みで処理したのもだ。受け入れ難いけど、それも俺の人生である。しょうがない。
「ぜひお顔を見にいらしてください」というから、意味ないかもだが、とりあえず着替えと薬と栄養剤を持って行こうと思うけど、施設で寝てる母様に会って、もし泣いちゃったらスゲ〜恥ずいので、その前にコメダ珈琲で落ち着いてから行こうと思う。
さっきケアマネさんが連絡くれて、優しい言葉をかけてくれたから、ウッと言葉に詰まっちゃったし。
コレで、あの可愛いステキなヘルパーさんに会えないと思うとそれも悲しい。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。