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指しゃぶり奮闘記

1ヶ月半を過ぎた頃から、突然息子が指しゃぶりを"しようと"し始めました。
誰が教えたわけでもないのに、急に自分の右手を口のあたりに持っていく素振りを見せて、舌をペロペロしだしたのです。

単純に、自分の手を口に持っていって吸いつくだけでいいのですが、その一連の動作がスムーズにいきません。指しゃぶりがしたいんだろうなぁ…というのは見ていて判るけれども、指が口に入ることが全然ないのです。
"しようと"と書いたのはそんなところから。

突き立てた親指が、口ではなくて鼻の穴にぶすっと刺さったり、目に入りそうになったり、見ているこちらはハラハラ…。手を口元へガイドしてやってもいいんだけれど、なんとなくそれは違う気がして、グッと堪えて見守ります。
本人はストイックに何度も何度も挑戦しますがその親指が口に入ることは長らくありませんでした。

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大人になった私たちは、手をはじめとして、自分のからだを思い通りに動かすことに何の困難も感じることはなく、むしろ日常生活でそうした動作が意識にのぼることはほぼありません。
でも、指ひとつしゃぶることすらままならない息子の姿を見ていると、こうして何もできないところから私たちはスタートして、ひとつひとつの動きを自ら獲得してきたんだなぁと実感させられます。できることをひとつずつ積み重ねてきて、今があるんだな、と。

そもそも、生まれてすぐの赤ちゃんは「まだ自分の手を、自分のからだの一部だと認識していない」というのだから驚きです。
ハンドリガード(Hand-regard)といって、生後3、4ヶ月くらいになると、自分の手をじっと見る仕草をとるようになるそうですが、そのあたりからようやく自らのからだの一部である手について認識を深めていくようです。
…じゃぁうちの子、これが自分の手だってこと、絶対わかってないやん。

からだを思うように動かせないどころか、これが自分のからだなのかどうかもまだわからない。
そもそも自分が何なのかということすらも理解できていないのでしょう。
それを思うと、何とまぁヒトは未熟な状態でこの世に生を受けるものなのかと、気の遠くなるような感覚になります。あまりに何もできない、何もわからないままに産みおとされる。
でも、だからこそ、ひとつずつ"できる"、"わかる"が増えながら成長していくことがいかに尊いことかと実感します。


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自己流の特訓の成果か、息子はある日突然にチュッパッパと指を吸えるようになりました。
その姿を見たときには妻と手を取りあって喜びました。すごいねぇ。自分でできるようになったんだねぇ。

ただ、まだ口元の同じ位置に持続して手を置いておくことできないようで、口から指が外れると、ふぎゃーんと泣いて怒っています。いやいや、自分の仕業やで…。
うまく出来ないくせして、頻繁に口に指を持っていってはふぎゃーんを繰り返しているので、無駄泣きの頻度も高くなってしまいました。苦笑

指しゃぶりマスターへの道は、まだまだ半ばのようです。

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