[travel note#20]アユタヤで感じた平和と悲惨
それまでの田舎スポットの放浪から一転してバンコクの都会スポットの旅にきり変わり、旅というよりは生活になろうとしていた。
僕は少し変化が欲しくて、アユタヤを訪れることにした。
アユタヤはバンコクから日帰りで行くことができる有名な観光スポットだ。
1300年から1700年の間、アユタヤ王朝として栄えた場所だった。
アユタヤまで電車で田舎道を走ってのんびりと向かう。
タイの、というよりも東南アジアの田舎を走るバスや電車の窓から望む景色は一面が輝く緑に覆われていて、僕は大好きだった。
アユタヤに到着すると、駅にはアユタヤ観光のためのトゥクトゥクドライバーがわんさかといた。
しかし、ここでは放っておいてもお客の方からやってくるので、ドライバーは自分たちのトゥクトゥクに座って堂々と客の方からやってくるのを待っている様子でもあった。
アユタヤでは、有名なスポットを1台のトゥクトゥクをチャーターして全て回ってもらうやり方が一番早くて安くて楽な方法だったので、僕もその通りにするつもりだった。
最初に声をかけたおじさんと値段交渉を重ねて、折り合いがついたところで僕たちはアユタヤの観光へと繰り出した。
ネットで調べればいくらでも情報や詳しい写真が出てくるので、僕は載せないでおく。
アユタヤでは町の中で像に乗って観光できるようにもなっている。
町の中を像がノシノシと歩く姿を見るのはなんとも違和感があったけど、タイと言えば像。ようやくここにきてその本場を目撃したようにも思えた。
アユタヤで一番有名な木の根本から顔を出しているブッダの像も見に行った。
顔以外全てが根に覆われている、なぜキチンと顔だけが出たのか。
それが仏性の力なのか。
ロマンスも何も無しに言えば、仏像の物理的問題と木の根が伸びる物理的問題がそうさせただけかもしれない。
しかしただの物理的な問題でそうなったとしても、顔だけがこの世に姿を現した結果だけを見てもそれはなんとも神秘的に思えた。
アユタヤの歴史はビルマとの戦いに敗れて幕を閉じたらしいが、その後、世界中どこでも見られるが、破壊の数々はここに無数に存在する仏像にも及んでいた。
仏像の頭部だけが壊されて、ここにあるのは首から上のない仏像がほとんどだった。
その光景を見て、悲しく、寂しくなった。
町を歩いても、静かで人も優しく、のほほんとした空気しかないアユタヤ。
こんな場所でも数百年前、争いがあったんだって。
なんだか信じられないけど、仏像の姿がその悲惨さをきちんと物語っていた。
帰りの電車の中で見るタイの人々の素朴な微笑みを見て、やはり争いがあった事実は受け入れ難かったし、なぜ争いが生まれるのかも想像できなかった。
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