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【時】と【時間】の違い

こんにちは😊

明日は、台風が来てますが、多くの企業で内定式がありますね。僕も対応にてんやわんやですが、かわいい内定者のために最高の式典にできるように、努めていきます😄

前回の投稿に❤をたくさんいただき、大変嬉しく思います。

また、 #しゃかせん  様にも前回の投稿をシェアしていただき、感謝しております😆

自分の気づきや学びが、ほんの少しでも誰かの人生に潤いや幸せをもたらすきっかけになれば、本当に幸せです✨

さて、今回のテーマは、

【時】と【時間】の違い

です。

この2つの言葉の違いを明確に意識できるようになったきっかけは、僕の大好きなあるテレビ番組を見た【時】のことです。
小友牧師と批評家の若松英輔さんの対談で、聖書の中にある「コヘレトの言葉」を紐解くという内容でした。

人生には時がある

からスタートするコヘレトの言葉は、クリスチャンではない僕の心を一気に奪ってしまうくらいのインパクトをもたらし、同時に自分の人生の見方が変わって、新しい自分に生まれ変わるかもしれないという期待が急激に高まったことを今でも覚えています。

コヘレトの言葉のキーワードは、まさに
【時】です。

この番組の中で、こんな話が出てきます。

【時】は、ギリシャ語で、カイロス
【時間】は、ギリシャ語で、クロノス

クロノスは、英語で、クロックになりますね。

つまり、【時】=カイロスと【時間】=クロノスは、全く質の異なる別物だということなのだと思います。

さらには、【時】は、束の間 とも言えるし、
永遠とも言えると対談の中にあったと記憶しています。

特に、僕にとって生き方が変わるくらいの邂逅といえる言葉に出会いました。

【時間】=クロノスの流れの中に、【時】=カイロスが深く隠れていて、実はいつも私たちの目の前にあるけど、それに私たちはなかなか気づかない

という趣旨の若松さんの言葉です。

僕たちは、普段あまり考えずに、
【時】と【時間】を使い分けている
ような気がしますよね。

①いい【時】を過ごしたね
②いい【時間】を過ごしたね

①と②はきっと似ているようで、全く意味も価値も違う表現なのだと思います。

僕の解釈では、①は、生涯古びることなく美しく輝き続ける、まるでモネやピカソなどの超一流の画家が残したアートのように、僕たちの人生と記憶に深く深く刻まれ、光を放ち続けることを意味しているのだと考えています。

なぜなら、【時】=永遠 だからです。 

そして、【時】はいつも僕たちの前にありながら、姿をなかなか見せてくれない

だからこそ、僕たち自らがその【時】を見つけ出せるような、あるいは【時】が自ら僕たちに姿を現してくれるような、そんな生き方を意識して実践することが大切なのだと思います。

じゃあ、どうしたらいいんだ?

もちろん答えはありませんが、僕自身は、

常に物事や経験したことの意味を考える

これこそが、【時】と出会い、【時】が姿を現してくれる秘訣なのではないかと思うようになりました。

なぜなら、意味を考えるということは、しっかりと立ち止まって、【時間】という単純だけど広大な土地から、永遠に光を放つけどとても小さな【時】という宝物を探し、掘り当てることだと思うからです。

頭の中のイマジネーションの中で、時間を巻き戻し、過ぎた【時間】の奥底に隠れて輝きを放つ【時】を見つけ出す行為こそ、人生の意味を見出すということに他ならないのではないでしょうか。

そう考えると、僕にとってnote を書くことは、
【時】と出会うための大切な機会
ですね😄

皆さんも、一緒に【時】探しの冒険に出ませんか?😁

今日も最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました✨

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