見出し画像

なぜ海外MBA、なぜ欧州、なぜIESE

今回はなぜ私自身が海外MBAを志したかについて記してみます。

なぜ海外MBA

キャリアチェンジしたかったからです。財務から自分がもっと好きでもっと強みを発揮できる分野に転じ、一層国際的な仕事をしたいと考えていました。

その分野について、出願前時点で仮説として、1. 人事・教育系、2. 戦略コンサルティングの2つを念頭に置いていました。

これまでのキャリア概略については、以下の記事を参考にしてください。

実は、新卒入社したNTTドコモから金融庁国際室への出向は、2年に1度の若手選抜人事の位置づけで私で6人目でした。

それもあり、出向後、3年程度(?)待っていれば、前例を踏まえると、会社派遣で海外MBAへ社費留学できるだろうという極めて確度の高い予測がありました。

財務には殆ど興味がありませんでしたが、私が願った金融庁国際室への出向は、財務部からの出向だったので、結果的に財務部を希望した形となりました。

金融庁国際室へ出向したかったのは、NTTドコモにいながら、その時点で最速で最も濃密に国際的なキャリアを積めると判断したからです。

国際事業部という部署への異動の根回しもしていたのですが、雲行きが怪しかったこともそれに拍車をかけました。

ですので、出向後、財務の背番号をつけて、キャリアを重ねていくことには不安が大きく、金融庁出向が1年経過して折返し地点に到達して仕事が落ち着いてきた頃にMBA受験を真剣に考え始めました。

こんなご時世でも未だにある程度国家公務員になりたい方がいる理由の1つが、民間企業では考えられないくらい早期に国費留学(MBAとは限らない)させてくれ得ることです。

それを反映して私の周りには社会人として海外留学した方に溢れており、その方々からも刺激を受けていました。

出願に必要な要件が揃わなければ数年後の社費選考の時点まで先送りしようと考えていました。

但し、幸運にもGMATという試験で出願に足りる点数が割と早い段階(と言っても回数的には3回目の受験)で出てしまいました。

その時点で、海外MBAに私費で行くことと会社に数年更に残ることの優先順位が完全に逆転しました。

MBA受験の結果が出揃ってから初めて、当時の上司を含む社内関係者に全てを打ち明けました。

社内の複数関係者からは、会社の中枢である財務部の中でも特に有望なポジション(戦略投資管理担当)にいるのに勿体ないという声や、卒業後戻ってきたかったら声をかけてくれという類の声を頂き、今でも心から感謝しています。

海外MBAに行くことよりも、第一志望で入った且つ日本有数の安定企業を去ることへの反対という意味での親の強い反対もありましたが、心の中のリトル西田は、既に完全に違う方向を向いていました。

そして、そのまま私費退職という形態で海外MBAの旅に乗り出しました。




なぜ欧州


欧州に相当偏った生き方をしてきて、その結果、欧州に心酔していたからです。

父が、ロンドンとブリュッセルに計8年駐在していました。

その間、私は概ね離れて暮らしていたのですが、相当頻繁に父を訪れていたました。

そのおかげもありMBA出願前時点で欧州域内だけで30カ国近く訪問していて、長い歴史に下支えされた欧州の文化に深く染まっていました。

なので、IESE(イエセ) MBA在学中は、北アイルランド、コソボ、キプロス等、攻めた系の場所ばかり旅行していました 笑 

大学の専攻も西洋史で、アルザス地方(フランス)におけるナポレオンのユダヤ人統治政策に関するマニアックな研究をしていました。

趣味も、アメリカンフットボールというより、俄然「ヨーロピアンフットボール」寄りです。

ちなみに、FCバルセロナももちろん大好きですが、オランダ代表を心底愛しています。

私のIESE留学中(2014-2016)にやや重なる冬の時代のオランダ代表にさえ比類なき慈愛の念を感じております。

例えば、翌年に開催される欧州選手権(EURO)本大会進出を逃すことになった2015年10月13日のチェコ戦(2-3)も、バルセロナから弾丸でアムステルダム・アレナに駆けつけ、号泣しながら観戦していました。

また、括りが雑ですが、ドライで個人主義な米系企業と、ウェットで家族主義な日系企業の中間点にあたるような気がしている欧州系企業で働きたいというのもありました。

頑張って興味を持とうとしているのですが、やはり歴史の浅さが差分なのか、どうしても未だに米国への興味は薄めです...

気候の良いロサンゼルス付近はともかく、中部~東部は...




なぜIESE


IESEに寄せすぎた投稿は本来のnoteの目的に鑑みて控えたいと思っているのですが、今回は流れ的にご容赦ください。

複数校、欧州のみに絞って受験しましたが、IESEが第一志望でした。理由は4つあります。

まず、海外MBAを志した最大の要因であるキャリアチェンジを考えた時に、IESEは、卒業後のキャリアを慎重に考える上で十分な時間と機会を確保できる2年制(19ヶ月)プログラムを提供していたことです。

1年生と2年生の間のサマーインターンシップが、その際たる機会だとみなされがちで実際そうなのですが、これ自体は一部の1年制プログラム(欧州で主流)でも可能です。

ですが、その後、更にゆっくり考えたりする内省・検証期間に大きな差があるので、この違いは小さくないと考えました。

次に、ただ泊をつけるだけではなくて卒業後の国際的な環境でも活躍できるよう徹底的に自分を鍛えられる負荷の高いプログラムであったことです。

IESEでは、1年目9名(当時8名)の固定チームに初日に割り当てられ、国籍と職歴の2種類の多様性が最大限降り掛かってきます。

このチームは毎朝75分、意思決定能力の開発を目的にしたケースメソッド中心の授業3つの予習のため、ミーティングを行います。

こんな環境で価値を発揮するのは、日本人でなくても大変です。

こういう逃れようのない環境で自分の貢献可能性を求め続けて戦い続けることで、卒業後もどんな国際的な環境でも活躍できるスキル、経験、自信が全部身につくと考えました。

実際、金融庁在籍時、パリやらブリュッセルでの国際金融規制関連の国際会議に日本代表として単独で出席したり、参事官と一緒にメキシコシティでの国際会議に出席したりしていました。

そこで自国の立場を表明して、守るべきものを守りつつ勝ち取るものは勝ち取るという交渉をした際に、自分の力不足を痛感し、これは一度ちゃんと時間をかけて体系的に訓練を積む必要があるなと考えました。

他のMBAプログラムではここまでのチームワークの濃度を一切見つけられませんでした。

また、一部の学校ではチームワークによって仲良しにはなるかもしれないけれど、逃げ道も多くて自身の大した成長には繋がらないことが予見できるという印象も持ちました。

ちなみに、リーダーシップの授業では、年間固定の各チームにて、ビデオに撮る形で寸劇を学生全員が演じる必要がありましたが、70人のセクションにて、私がまさかのオスカー賞を獲得し、演劇の才能も突如開花しました 笑

3つ目に、スペイン語を学んで他の日本人海外MBA生と差別化したい、日本人の枠を超えて活躍の幅を伸ばしたい、と考えました。

元々のスペイン語の能力はほぼゼロでしたが、任意選択制で1週間に6時間のBusiness Spanish Program(BSP)に参加し続けました。

これにより、継続的な鍛錬は必要ながら、ビジネスで使えるレベルのスペイン語が実際身につきました。

代わりに、中途半端に頭の中に残っていたフランス語は脆くもどこかに消え去りました 笑

最後に、バルセロナに住みたい、と強く願っていました。

大学生の旅行者として、MBAのことを微塵も知らずにバルセロナに訪れた際に、街に本気で惚れました。

地中海沿いの温暖な気候、美しいビーチ、欧州サッカーの聖地、美味しいご飯とお酒、ユネスコの世界遺産に登録されたアントニ・ガウディの建築物で溢れる街並み、安めな物価...ここにいつか住みたいと思っていました。

父のおかげでロンドンとブリュッセルをそれなりに味わっていて、双方とも特に冬の気候が自分の中で絶望的だったので、良質な気候への渇望は強かったです。

出願前の9月に、キャンパスビジットという形で自主訪問した際に、キャンパスの美しさと学校の人の温かさもあいまって、バルセロナとIESEへの思いは一層強く、不可逆的なものとなりました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?