日常に生かすヨーガなMEMO
「ヨーガ。」それは自分自身は本当は何者なのか知るための道具。
生きていく上で『苦悩』の原因は、「自分が自分自身のことを知らない」ことだと
自分自身が一体何者?自分自身のことを知らないってどういうこと?ってみんななるのが当たり前。
ヨーガでは「私」と「真実の私」を分けて考えるわけです。最後はその隔たりすらもなくなり、全てを大いなる存在に明け渡し『無』という光でしかない存在になる作業を人生の中でしていくのだけれど。いきなりそんなことを目指すって言われても逆に苦痛になっていくかもしれない。
まずは「私」と「真実の私』2つに分ける練習から始めていく。
ここでは日常の出来事を使って分かりやすくヨーガ哲学の魅力を伝えてゆきます。
ゆる〜いんだけど、のみこまれない。ゆる〜いからこそのみこまれない。
そんな日常に生きるヨーガMEMO。
瞑想やりたいけどできないんですよねー
どんな風にできないと思うんですか?って聞いたら
「目を閉じた瞬間、いろんな考えが頭の中にグワァーっと溢れかえる」
「だから私無理なんです ワラ 」
という会話を昨日したんですが。。。
いろんな考えがグワァーっと湧いてくるんです。って気付いてます。
これで十分クリアです◎それでいいです!
って言ったら、
「え?!でも頭真っ白にしないといけないんでしょ?瞑想って ワラ」
「だから私無理なんですよねー」
・・・・
彼女は瞑想やりたいって思うけど頭真っ白にできないから
「私には瞑想は無理だって」思ってしまっているみたいでした( ; ; )
でも、これはよくきくご意見だし、私も以前はそう思っていましたが
違和感でしかなかった。
「考えを手放さないと自由になれない」
「考えてはいけない」
「こんなこと考えてはいけない」
「静かにする修行なんだから」
私にはできないわ。。。
ちょっと待ってーー:(;゙゚'ω゚'):
と叫びたい。笑
考えというのは、自然に湧き上がるもの。感情も。それを止めることはできない。
考えは消すものでもなく、良い悪いをジャッジメントするものでもなく
考えはコントロールするものです(^^)
湧いてくる考えや感情の質をより純粋なものにしていくことは可能だけれど
感情を消したり、無理やり閉じ込めたり、無感情で無関心になることではない。
そのために客観的に自分の考えを知ることはとっても大事なんです。
消さないで。蓋しないで。自分が一体何を考えているのか。。
静かーに1個ずつ観察していく。
瞑想中
お腹減ったなー
眠たいなー
もう辞めたいなー・・・・
今日この後何しよー
って考えが生まれても
眉間に皺寄せて、呼吸荒くして
「考えちゃだめ考えちゃだめ」ってするんじゃなくて
お腹減ってるんだねー
眠たいんだねー
もう辞めたいよねーって
一個ずつ丁寧に考えを見つめていくと考えの間隔が空いてきます。
考えの波が落ち着くと、ただそこに存在しているだけになっていきます。
一体感(゚∀゚)
「あれ?何もない」もう考えること何もないでーーーーって
本当はできるだけその状態で毎日を過ごしていきたいけれど、
そうもいかないのが社会生活。だからこそ一旦目を閉じ静かに座り、
自分の考えや感情にまず気付いて、きちんと整理して冷静にそれを扱って行くことは人生の中でとても大切な生きる力だなーと私は思います(^ ^)
頭の中がゴチャゴチャだから、呼吸がうまく整えられないから、私にはヨーガも瞑想も向いていない。っていう客観的気づきに出会えた瞬間からネクストステップに進んでいると思っていただけたらなーと思います^_^
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