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友田とんが勝手に東北を歩く DAY2

「友田とんが勝手に東北を歩く」DAY1 のつづきです。

2018.9.2 (日)

秋田

寝坊してしまった!と目が覚めた。分厚いカーテンの向こう側には高く太陽が登っているのではないかと焦って、iPhoneをひらくとまだ4時だった。少し早いが、起き出して、コップに入れた水を飲む。今朝はドリアの胸焼けはない。

ビジネスホテルを選ぶとき、つい温泉のあるホテル、大浴場のあるホテルを選んでしまう。大きな風呂は気持ちがいい。エレベータで最上階に上がり、風呂に入る。体を洗い、湯船に浸かっていると、変なうめき声のようなものが時折聞えてきた。そちらを見ると、力士のように壁を両手で押しているおじさんが体を動かすたびに、うなっていた。繰り返しうなっていた。私は逃げるように露天風呂へ移動した。露天風呂は気持ちいいなあと体を伸ばしていると、遠くから再びうなり声が近づいてきた。私は室内風呂に戻った。

風呂から上がり、体を拭いて、シャツを着る。また来た道をスリッパで帰る。エレベータを降り、部屋へと向かう。大浴場に行った帰りにはいつも考えることだが、真下の部屋には水が漏れしたりしないのだろうか。水漏れなどしなくても、ちょっと落ち着かなかったりしないのか。というのも、何トンという規模の水が真上にあるからだ。真上に大量の水だぞ、と部屋に向かって廊下を歩きながら考える。大量の水だ。だいたいどの辺りが巨大な湯船だろうか。廊下の角を二度曲がり、自分の部屋の前にたどり着いた。自分の部屋が浴槽の真下だった。昨晩の私は熟睡だった。

荷物をまとめ、チェックアウトしてホテルを出る。秋田駅へとスーツケースを引いて行く。清々しい朝の冷んやりした空気。ああ秋田だなあ、と昨日から何遍も感慨にふけっている。多分、昨日わざわざ本を買いに来てくださった二人や、乃帆書房の大友さんや、瀧の頭で出会ったおじさんたちと触れ合ったためだろう。

一箱古本市のできそうな木の机

駅のコンコースがきれいだ。このテーブルみたいなところに本を詰めたら、古本市ができそうだな、などと考えて、ふっと顔を上げると、「秋田 金足農業高校野球準優勝」の横断幕がここにもあった。ここにもあって、ここでもやはり小さい「準」の字の布が、貼り付けられていた。普段はほとんどのことを見過ごしているのに、一度気になりはじめるとそのことばかりが気になってしまう。またどこかで小さく貼り付けた布を見つけられるだろうか。

祝準優勝 金足農業高校

駅のスタバでコーヒーを買って、新幹線に乗り込む。スタバは7時オープンで、新幹線は7時10分発。なんとか間に合った。ホームに降りると、高橋優ACMF特別専用列車の表示がある。一体これは何なのか、どんな人が乗るのだろうか気になって仕方がないが、新幹線が出発してしまうので、仕方なく新幹線に乗り込む。秋田新幹線が出発した。大曲ではスイッチバックした。車内では、盛岡や仙台の人に向けた告知の画像を作ったり、この文章を書いたりしているうちに、気づけば盛岡だ。今日も本を直接手渡せたらいいなと祈る。

高橋優ACMF特別号とは?

盛岡

9時。盛岡の書店の朝は早い。駅ビルの商業施設・フェザンにはさわや書店が2店舗展開している。フェザン店が9時半、ORIORIが10時半にオープンする。駅から1キロほど離れた市街地にある本店は10時オープンだ。盛岡は地元のさわや書店が一風変わった棚をつくっていることで有名だったから、ぜひともこの目で観てみたいと思っていた。ドトールで休憩して、それからスーツケースをコインロッカーに片付けて、10冊ほどトートバックに移し変えて、書店を目指した。

さわや書店 フェザン店

写真では見たことがあったけれど、目の前で見たあのディスプレイは想像以上だった。ポップと言われて想像する大きさを超えた何かだった。手書きのそれが1箇所ではなく、棚のあちらこちらに存在する様子は、この目で見なければわからない独特の雰囲気を出していた。朝が早くお客さんはまばらだったが、混雑している時だとまたちょっと違ってみえるものかもしれない。

どういう本が並んでいるのかというのが気になっていた。つい文芸書の棚を見に行くが、普段私が読んでいるような純文学系の作家の本はほとんど見当たらず、エンタメ系の作家の本が中心だった。ずーっと棚を見ていき、「あった! 円城塔の新刊が1冊あった!」というような具合であった。海外文学もあるかなと見回すものの、なかなか見当たらない。ただ、棚の隣に金属製の太い針金を編んんだような、マニ車のようなぐるぐるまわすカゴがあって、そこには英語の小説のペーパーバック並んでいたから、どこか近くには海外文学があるのではと考えて、探して見たが、なかった。このあたりには海外文学に興味のある人はいないのだろうかと考えた。いるかもしれないし、いないかもしれない。ただ、ここには私の本の出番はないと思ったのだった。

一度、外に出て、駅のはずれにあるセブンイレブンまで歩く。昨晩用意できなかった資料を印刷するためだ。『代わりに読む』の紹介や書店に取り扱いをお願いする際の取引条件、現在の取り扱い書店の一覧をまとめた資料を用意する。セブンイレブンの前のテーブルと椅子に座って、猛烈に作る。作ったらそれをdropboxにアップして、今度はそれはスマホにダウンロードして、セブンイレブンのプリントをwifi経由で使って印刷する。見本誌もついでだから何部か刷っておく。もし、書店で仕入れの判断をされる方に会えない場合でも、見本と一緒にお渡しできればあとで検討していただくことができるかもしれない。細かなことは伝えそびれたりもするし、何より多忙な書店員さんに時間を取らせたくない。だからこういうのがとても大事だ。と言いつつ、昨晩の私は、あまりにビールと酒の肴がうまかったため、眠ってしまったから、用意できなかったのだった。

ORIORI

駅ビルに戻り、今度はORIORIへ行く。店に入った瞬間に、なぜか好きだなという気持ちになる。こちらはあのさわや書店フェザン店のようなすごいポップ、巨大なポップはあまりない。どちらかと言えば、雑貨や暮らし方の本、限られたスペースに置かれた人文書の選書で違いを出しているような気もする。ひょっとしてここならお客さんに興味を持ってもらえるのではないかと思う。

文芸の棚へ行ってみると、結構揃っている。しかし、海外文学はほとんどない。お願いしてもいいものかどうか、と私は棚を行ったり来たりしながら自問自答する。『百年の孤独』もない。ということは、ここには『代わりに読む』の可能性はないのだろうか?

でも、店の入り口の一番いい場所には人文書、サブカル系の本をコの字にずらっと並べた棚があり、他の棚よりも心なしか狭い通路には、読者をそこへ迷い込ませようという企みすら感じられた。ここには可能性がある。もう一度、棚を見ていくと、詩集や歌集が充実している棚があり、その隣には岩手のリトルプレスがあった。文庫の棚には海外文学も揃っていた。小説が好きだったり、海外文学の文庫を読んでいる人に、うっかり手に取ってもらう機会はないだろうか。

そう言えば、私がまだ地方の中学生や高校生だった時、書店で手にするものと言えば、やはり圧倒的に新潮文庫だった。ちょっと賢くなったような気がして新潮文庫に収められた海外文学の古典を読んだ。読みながら、作品の後に載っている海外文学のタイトルと2行ほどの短い紹介文を舐めるように眺め、そして次はあれにしよう、あるいはこれにしようかと背伸びをして考えたものだ。そして、私が通っていた故郷の駅前のそれほど大きいわけではない書店の海外文学の棚には、新潮社の現代世界の文学シリーズがいつもどっかと並び、そこに『百年の孤独』があった。私は2段組のページを開いて「いつか、これを読まなくてはいけない」と覚悟をしていたような気がする。

あれから二十年以上が過ぎ、私は今、盛岡の駅ビルの書店の棚の前に立っていた。頼めるものだろうか。それとも、個人経営ではない書店では取り扱いは難しいだろうか。私は会計を済ませて、ひどく緊張しながらレジの担当の方にリトルプレスを発行していること、東北を勝手に歩いていること、仕入担当の方とお話したいことなどを手短に伝えた。すぐに棚の前で作業されていたTさんが出てきてくださった。

「『百年の孤独』を代わりに読むを発行しています友田と申します」と一息に伝えると、
「あっ、知ってます。入れます!」と即答だった。

やはり、めちゃくちゃうれしい。誠光社さんがインスタに載せてくださった紹介文でご存知だったようだった。

「入れます! どこの版元ですか?」とTさんがおっしゃったので、
「版元は、私なんですが。。」スタッフTシャツを着た私が答えた。

海外文学の読者は盛岡にもちゃんといて、フェアをやると結構売れます。品揃えは店舗間で棲み分けをしていて、ORIORIは変わったものを置きたい。満遍なく商品は並べられないが、同じビルにフェザン店があるおかげで、そちらに行ってくださいと誘導できる。だからこそやれることがある。とTさんが言う。帰り際のことだった。

「今日はまだ盛岡にいらっしゃいます?」
「えっとお昼過ぎくらいまでいます」
「もし時間があったら、紺屋町というところにBOOKNERDという本屋さんがありますよ。下に降りたらオバちゃんがいますから、どうやって行けばいいか、聞くといいですよ」

私はお店を出ると、本を置いてもらえたうれしさと、誰も知り合いがいない町で本の話ができたことで舞い上がっていた。駅ビルの階段を軽快に下り、キョロキョロと探した。おばちゃんはどこだろうか。

ふと立ち止まる。おばちゃんというのは、どういうことなのか? ロータリーをおばちゃんがうろうろしているのだろうか? もしおばちゃんがいたとして、「あっ! あなたがあのおばちゃんですか!」と気付けるものだろうか。そういう意味だったのだろうか。でも、ニコニコとなんでもないことのようにTさんはおっしゃった。私にもその「おばちゃん」がわかるにちがいない。

しかしどこにもそれらしきおばちゃんは見当たらない。そこでロータリーを歩いていると、バス乗り場の中央に案内所があった。窓口に顔を覗き入れると、私はそこにおばちゃんを見つけた。
「すみません、さわや書店の本店に行きたいんですけれど」

BOOKNERDとは同じ方向だし、まずはさわや書店本店を目指した。

さわや書店 本店

昔ながらの立派な本屋さんだ。手書きで作った売れ筋ランキングの大きなポップはあるものの、それほどポップで訴えるというよりは、並べるべき本を選んでいるという印象だ。ずーっと棚を眺める。海外文学の棚もちゃんとある。いい棚だなあと思う。店長さんともお話した。ちゃんと海外文学の読者はいますよとのことだった。

海外文芸の棚

さわや書店本店を出て、城跡の前を通って歩いて行く。川にかかった大きな橋を渡る。繁華街からしばらく歩いた紺屋町という場所にそれはあった。

川に架かる橋をわたっていくと

BOOKNERDがあった

入ってみると、音楽が流れていて、そして海外文学が綺麗に並べられていた。冊数は決して多くないが、空間が本で満たされているという感じがする。ガランとした感じもしない。何か絵画や写真を、あるいはレコードのジャケットを、顔を並べているようだ。

「この辺りの方ですか?」と店主の早坂さんがおっしゃるので、
「いえ、東京からです」と私は答え、そして「『『百年の孤独』を代わりに読む』という本を出版しているのですが」と言うと、
「あ、前から、ネットで気になっていました」と言ってくださり、もしよろしければと提案したところ、取り扱っていただけることになった。詳細を相談してから、仙台の本屋さんのことを教えてもらっている時に、衝撃的な質問を受けた。

「友田さんは、これで生活されてるんですか?」

これまでにも、出版関係の仕事ですか?というのはたびたび、というよりもむしろ、必ず聞かれる質問だったが、これは新しい質問!と私は思った。

「だといいんですけどね。。」

ギリギリまでBOOKNERDさんにいたので駅まで急いだ。新幹線のホームまでたどり着いたら5分あったので、駅弁を買って、新幹線に乗り込んだ。仙台までの40分ほどの間に、車内で駅弁をかきこんだ。iPhoneを開いたら、なんと仙台の方からDMが届いていた。

仙台

Mさんと駅近くの商業施設のスタバで待ち合わせた。ちょうど午後のいい時間帯だったため、スタバはやはり混雑していた。店内を覗いて、「満席。満席だなあ、ははは」と困っていたら、ペーパーカップを手にした女性と目があった。

「あの、ひょっとして友田さんですか?」

見つけてもらった。『代わりに読む』の行商の格好は、常にMのマークの紺色のキャップ、代わりに読むスタッフTシャツでやってきた。そのことがよかったなと思う。外は少し雨が降っていて、だからビルのデッキではなく、上の方の階のロビーみたいなところにある丸いベンチでお話した。まずはどうぞ手に取ってくださいと本を取り出すと、まずその厚さに驚かれた。

「zineみたいなものかと思ったら、かなり分厚いですね!」とMさんが言い、
「本当は、オリジナルよりも分厚いのを冗談で目指してたんですけれど」と答えた。

パラパラと読みながら、話した。Twitterで見た時から、これは好きな感じの本だと思ってくださっていたらしく、というのも古典だからと言って肩肘張って読むのではなく、「これは、現代で言うところのあれだよね」というようなユルい読み方を彼女もこれまで好んでやってきたからだったらしかった。
「少し前から『カラマーゾフの兄弟』の音読読書会に参加しているんですが」とMさんが話した。私はそれはどのような読書会なのだろうかと気になって、何人ぐらいでやっているのか、一度にどれくらい読み進むものなのか、などと矢継ぎ早に質問をしていると、
「その前にこれ買いますね。あ、でも財布に大きなお札しかないので、ちょっといま崩してきます!」
と言って立ち上がった。私はむしろ、その「カラマーゾフの音読読書会」なるものがどのようなものなのか気が気でならず、
「いえ、お金は最後でいいんで、むしろそのカラマーゾフの音読会のことをもっと教えていただけませんか?」
と引き止めたのだった。

音読読書会はこういうものらしい。一度に数時間で、五十ページから百ページくらい進む。四〜五人くらいで、音読する人を順に回していく。音読しながら、「ここは今で言うところの徹子の部屋だよねぇ」というような思ったことを言い合ったりもする。本当は、一文ずつ、または区切りのよいところで音読権を回していくことになっているのだが、しばしば長男のミーチャのパートでは、音読している人の興がのってきて、譲りたがらないという自体が生じる。
「あっ、もうちょっと、もうちょっと読ませて」
と言う(のか、あるいはアイコンタクトなのかもしれない)。そうすると周りも、反対するのではなく、「じゃあどうぞ」と譲ることになる。ミーチャはやっぱり仕方がない、ミーチャは読んでるとやっぱり盛り上がるからね、それはわかるー、という雰囲気に場全体がなるらしく、その互いにわかりあって、ミーチャを音読しているという話が、ほんとうにいい話だと思った。

それから仙台の本屋さんの話を教わった。独立系の書店、古書店の話、ナショナルチェーンのそれぞれの特徴や特色など、とても参考になった。

やはり仙台は大都市で、大きな書店が何軒もあった。自分自身の事前リサーチも不足していたし、行ってみたらいいですよと早坂さんにも教えてもらった、新しくオープンしたボタンはイベント参加のためお休みのようだった。何軒か本屋さんを見て回って、それで時間がなくなったので仙台駅へ急いだ。仙台はもっと時間を取って訪問したいなと思った。私は町を訪問する際に、もうこれでこの町ではやりたいことはやりきったというふうにしなくても全然いい、むしろやり残したことがあるくらいの方がいいと考えている。次に訪問するまでにはこうしよう、訪問したらここも訪ねてみようというような動機になるからだ。

郡山

夕方、郡山駅に到着すると、GoGoRoundThisWorld! Books & Cafeへと急いだ。路面は濡れていたが、雨はそれほど降っていなかった。駅前から垂直に伸びる道を進むと、なだらかな坂がはじまり、商店街というのとは違う、昔ながらの昭和の香りが残る、レトロな通りに、パッとオレンジ色の灯が外に漏れるガラス張りの店があった。

中に入り、お店の自慢のスコーンとコーヒーを頼むと、本棚に並んだ本を眺めた。Atlantisの準備号がとても魅力的だった。しばらくして、スコーンとコーヒーがやってきた。ナイフで切り口に入れると、外側がサクッと音を立て、口の中にとてもいい香りが広がった。これまで食べたスコーンの中でいちばんおいしいスコーンだと思った。バナナとバニラアイスとチョコレートソースを盛ったスコーンをあっという間に食べた。コーヒーもとてもおいしかった。お会計をする時に、あまりのおいしさにその興奮を伝えずにはいられなかった。どうやってあんなにおいしいスコーンを焼いてるのですか?

スコーンとコーヒー

壁一面の本棚も丁寧に選書されていた。ぜひこちらでも取り扱ってほしいなと思い、お話ししたところ、前から『代わりに読む』のことが気になっていて、頼もうかなと話していたということだった。なんだかほんとに訪問してよかったと思った。

帰りに、郡山駅前の三万石で大量のままどおるとエキソンパイを買った。駅の中で家伝ゆべしも買った。新幹線までの時間で、メールや今日納品した分の書類をNumbersで買いたりして、それからホームへ上がった。

帰りの新幹線では、仙台で買った笹かまぼこと缶ビールで祝杯をあげた。何よりの収穫は、興味をもってくれた人たちに本を届けられたことだろうと思う。そして、興味をもってくれた人や本屋さんたちと直接お話できたことだと思う。

五月に印刷所から初版の300部が届いた時、今の状況を誰が想像できただろうか。出版する資格、重版する資格、行商する資格。私にその資格があるだろうかと常に自問してきた。しかし、今こうして東北を旅しながら、私は本を一人ひとりに届けている。それを可能にしてくれたのは、本を手に取り、買ってくださった人たち、そして読んで面白いと人に薦めてくれた人たち、さらに本を置いてくださった書店の人たちだ。私はその人たちに背中を押してもらい、東北を旅することができたのだった。

東京駅から山手線に乗り、バスに乗り家の近所まで帰ってきた。雨はもう上がっていた。なにかやりきったという感じがした。戻ってきたのではなく、私は以前に住んでいたのとは違う町にやってきたのだった。 (おわり)


友田とん 『百年の孤独』を代わりに読む (自主制作)
A5判 203P(カラー4P)
定価 1,200 + 税

下記の書店で『『百年の孤独』を代わりに読む』を取り扱っていただいています。ぜひ手に取ってお読みいただければうれしいです。お近くにない場合も、一部書店ではネットショップでもお求めいただけます。BOOTHでもお求めいただけます。


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