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友田とんが勝手に東北を歩く DAY1 (東京-秋田)

2018.9.1 (土)

東京

目が覚めたら5時だった。今日は午後に秋田へ向かう。昨晩食べた、近所のサイゼリアのミラノ風ドリアで胃がもたれている。ベッドから起き上がり、コップの水を飲む。おもむろに玄関に積み上げられた在庫の段ボールの前に立つ。包みを破いて、『『百年の孤独』を代わりに読む』を20冊くらい検品する。そして、一冊ずつにスリップを挿していく。スリップは自分で印刷してあらかじめ短冊状にカットしておいたものだ。なるだけ、ドリフや田村正和や、そしてがまくんとかえるくんの写真の位置にスリップを挿す。パラパラとページをめくっていくと、スリップの位置で止まる。すると、読者の目に、ドリフが、田村正和が、そしてがまくんとかえるくんがきっと止まるはずだ、と私は思う。『百年の孤独』とドリフや、田村正和や、そしてがまくんとかえるくんにどんな関係があるというのか? そう手にした人が思ってくれれば、しめたものだ。だが、そんなにうまくいくものだろうか。でも、しんとした早朝の玄関先でそうやって読者を思い浮かべながら、スっと、スっと、本にスリップを挿していくのはたいそう楽しい。楽しいからやる。

スリップを挿した『代わりに読む』を今度は5冊ずつクラフト紙で包む。スーツケースの片側は5冊ずつを束ねた包みが4つで20冊。さすがにこんなにいらないのではという気持ちと、ひょっとして現地で足りなくなったら困るのではという心配とが折衝し、20冊に落ち着く。もちろん、20冊でも多いと私は思う。けれどせめて20冊持っていきたいという心配の気持ちも私にはよくわかる。だから20冊をスーツケースに詰めた。

荷造りを済ませると、スーツケースを引きずり、駅へ向かう。秋田へ向かう前に、月に一度の整体をしてもらう。もうかれこれ同じ先生に診てもらうようになってから、15年だ。背術中、うつ伏せになった時、先生が急に笑い声をあげた。先日読書会の時に2枚だけ作った『『百年の孤独』を代わりに読む』スタッフTシャツを私が着ていたからだった。『代わりに読む』の行商をする日には、いつも着るようにしている。背の首元には、「『百年の孤独』を代わりに読む」とプリントされている。準備は万端だ。

私は軽やかな足取りで羽田空港に向かう。電車の中で、今回の東北行きで背負っている本を順番に取り出して眺めてみる。

内田洋子『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(方丈社)

春ぐらいから書店で見かけるたびに気になってはいて、はてなんの本かなと思っていた。夏に手にとってみたら、装幀がとてもきれいで、本文用紙にところどころ挿入されたカラー写真がよくて、それで読んでみたら、本の行商で生計を立てているトスカーナ州の山奥の村の人々の話だという。まさに、これは私のことではないか! そう思いはじめたら、他人事とは思えず、読まずにはいられなくなったのだ。

リチャード・フラナガン『奥のほそ道』(白水社)

こちらは『奥のほそ道』はいいぞー、読むべきだぞー、という声があちこちから聞こえていたので、買ったまましばらく積ん読になっていた。第二次世界大戦中、日本軍が連合国軍の捕虜を強制労働させていた泰緬鉄道の壮絶な建設工事の物語だ。そのような事実があったことを知っているけれど、詳しくは何も知らない。そして、日本軍がとても酷いことをしてきたのだろうというふうに考えているが、おそらくそれだけではない。それだけではないことに私は予想を裏切られ、度肝を抜かれることになるのではないかと思っている。これも他人事ではない。読まねばならない。

そして、もちろんこれも持っている。

友田とん『『百年の孤独』を代わりに読む』(自主制作)

ガルシア=マルケスの『百年の孤独』をいつか読もうと思いつつも、読まないでいるあなたの代わりに、『百年の孤独』を代わりに読んでくれるという触れ込みの一冊。しかし、代わりに読む「私」は、読み進めているかと思えば、すぐに一見無関係と思われる日本のドラマや映画、ドリフなどに脱線してしまう。ところが、この脱線が読書の登坂車線なるものをつくりだし、読者が『百年の孤独』を体験することの助けになる。と書いてしまうと、まるで『百年の孤独』を読まずに済ますための本のようだが、むしろ真逆で、読まずにはいられなくなる。だから、読者が『百年の孤独』を買いましたよ、読みましたよと言うのを聞くのが一番著者としてはうれしい。

空港について、スーツケースを預けて、大量の在庫から束の間解放され、搭乗口から飛行機に乗る。程なくして飛行機が離陸する。機内では、別の原稿を直していた。はじめて書く文章も好きだが、文章を直すのが好きだ。文章を整理しながら、書いていた時伝えたかった面白さはなんだったんだろうかと自分に問い、そしてもっとこうしたら面白くなるんじゃないかと考える。文章の順番を入れ替えたり、削ったり、書き足したりする。東北には資料を持ってこなかったので、つづきは東京に戻ってからとなったところで、ちょっと疲れたので、機内誌を開いた。ちょうど紙特集というのが掲載されていて、竹尾見本帖本店が載っていた。東京に戻ったら今度行ってみようと思った。竹尾見本帖本店って、どこにあるんだろうか。揺れがひどくなって、少し目を瞑っていたら、うとうとしていたらしい。程なくして、着陸態勢に入った。秋田に着いた。

秋田

秋田に行きたい。乃帆書房さんを訪ねたい。それはもうこの本の行商をはじめたころから考えていたことだった。というのも、私が『『百年の孤独』を代わりに読む』を書店に置いてもらいはじめたころ、すぐにメールをくださったのが乃帆書房店主の大友さんだったからだ。

空港で荷物を受け取ると、空港リムジンバスへと急ぐ。空港の玄関には「祝「準」優勝 金足農 高校」の横断幕。写真を見るまで気づかなかったが、「準」は後から貼り付けてあった。外に出ると、空気がひんやりしていて、素敵だなと思った。リムジンバスに乗り込み、走り出したバスでiPhoneを開くと、知らない方からメールが2通も届いていた。しかも、数分の間に立て続けに2通も届いていた。バスの中で声をあげそうになった。というのも、これまでも中部、関西、中国、四国と『代わりに読む』の行商をつづけて来て、その度ごとに「もし手にとってみたい方は連絡ください!」と告知して来ていたが、もともとの知り合い以外の方から連絡をいただいたことは実はなかったのである。空港リムジンバスに乗り、30分ほどで秋田駅前に到着した。

町を歩きながら、秋田を訪ねるのはいつ以来だろうかと考えていた。たしか、2000年代の最初の方だった。トポロジーシンポジウムでのことではなかったか。それは私がはじめて参加した学会だった。当時大学院生になりたてだった私は正直なところ講演の内容はよくわからなかった。しかし、恩師が位相的不変量と解析的不変量の関係を、なぜか親鸞の悪人正機、「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」をもじった文章を枕に講演されたことだけは鮮明に覚えている。と書いているうちに次第に、トポロジーシンポジウムの内容を思い出し始めた。他の講演の中には、「幽霊写像」というものもあった。城跡公園近くのホテルに泊まり、毎朝県庁の方にあるシンポジウムの会場へと歩いて通った。最初の日は到着したのも夜で、お盆休みに入りかけていたのか、街の灯りも少なく、夕飯を食べるところに先輩と苦労した記憶が蘇る。先に到着していた別の大学の先輩たちとその後、合流して、城跡公園で花火をした。最終日は結び目の講演が多かった。シンポジウムの後、トポロジー新人セミナーで田沢湖へ向かう同年代の院生の人たちと別れて東京へ帰った。新人セミナーに行けばよかったかなと十五年近く経った今ごろになって思ったりする。

実に不思議なもので、どうして一つの記憶をきっかけにして、これほど沢山の、忘れてしまったはずのものごとを私たちは思い出してしまうのだろうか。

駅前のスターバックスでスコーンを食べながら、コーヒーを飲み、いただいたメールに返信する。18時半ごろにまた駅前でお会いすることになる。どんな方が興味を持ってくださったのか、とても気になる。

秋田駅から歩いて乃帆書房さんを目指す。途中で宿泊するホテルにスーツケースだけを預け、そしてまた歩いていく。城跡公園が懐かしい。記憶にある秋田駅前の町よりも、発展している。15分くらい歩くと乃帆書房さんに到着した。書店の向かい側の駐車場では音楽のフェスティバルが開かれていて、時折演奏する音が聞こえてきた。音楽の棚が充実していたので、楽器、何かやられてたんですか? と聴くと、そうなんです。とおっしゃったが、私がそう思ったその棚は、向かいで開かれている音楽のフェスに合わせて選書されたものなのだそうだ。

想像していたよりも本がかなり多かった。以前にいただいた写真は棚にもっと隙間がある感じだったし、棚も増えているような印象を受けた。毎月、震災やバケーション、読書などのテーマを決めて選書し、そうやって少しずつ本を増やしていらっしゃるそうだった。特に、本屋と読書に関する本はとても充実しており、本屋本って多いとは思ってましたけれど、こんなにあるんですねと大友さんとお話していた。気づいたらあっという間に1時間半ほど話し込んでいた。

連絡をいただいた方とは、駅前のスタバで6時半にという約束をしていたが、気づいたら6時半だった。それでちょっと遅れますという連絡をして、急いで駅前に向かった。暑かったので、年にほんの数回しか飲まないアイスコーヒーを買い、席に着いた。メールで「アイアンマンの黄色いTシャツ姿です」と書かれていたので、私が先に見つけて、声を掛けた。

前からtwitterでは気になっていたけれど、偶然秋田に来るというのを見かけたので連絡くださったのだそうだ。普段読まれている本を聞き、みなさん私なんかよりいろんなものを読まれているんだなと思った。何か、全然知らない土地に来て、周りには知っている人は誰もいないが、それでも外国文学を熱心に読む仲間がこの町に何人もいて、こうして会話しているのだと思うと、胸が熱くなった。一人目の方とたっぷりお話して見送った後、しばらく、この日記のようなものを書いていたら、もう一人の方がいらっしゃった。こちらはまだ学生さんだった。

まずは『『百年の孤独』を代わりに読む』の見本を手渡して、それでスタバの席で向かい側に座っているが、別にそちらを気にしていませんよという体で、原稿を見直したりしていた。手に取ってみたいというだけでもいいですよと私は告知していて、もちろん買ってもらえるのはうれしいけれど、むしろ連絡を取ったから買わなくちゃ、みたいなことは思ってほしくない。しばらく彼も冒頭部分を読んだり、中をパラパラとみたりして、そして、「えっと」と声がかかったので顔を上げると、彼は「ドリンク飲んでいいですか?」と言い、「ああ、もちろんもちろん。どうぞ。ゆっくりしてください」みたいなことを私が言い、そしてぐっとドリンクを飲むと、「まずこれは書います」と宣言して、買ってくれた。吟味したりしてから買ってもらえたのはよかった。

すると、彼は「なんか他にも本を背負ってるって読んだんですけれど、何があるんですか?」というので、ひょっとしたら他の本も行商していると思われているのかなと思って、「あの、これは実は背負ってるだけで売ってはいないんですけれど」と言って、『モンテレッジォ』と『奥のほそ道』を上に書いたような感じで紹介した。

ここでハッと気がついた。自分の本だけじゃなく、『百年の孤独』や自分がいいなと思う本を、背負って、そして紹介して、そして気に入ってもらったら、お買い上げいただけるようにすればいいのではないか。というのも、地方都市の本屋さんを回ってみて、必ずしも『百年の孤独』が置いてあるわけではないし(実際、お会いした方は拙著の購入した足で近くの本屋さんで『百年の孤独』を「客注」してくださったようだった)。他にもおすすめ本を私が持ち歩いていたとして、その場で購入できるのが一番ベストなのではないか。

「今は、別の本を代わりに読んでるんですか? 代わりに読むとしたらボラーニョの『2666』とtwitterに書かれてましたけど」と彼が言い、私は確かに半分以上冗談でそう書いたような記憶があったが、もちろん代わりには読んでいないので、迂闊に物事は書くものではないんだなと反省しながら、「代わりに読む」はオープンソース的に、各自が誰かの代わりに読んだり、誰かに代わりに読んでほしいと頼んだりしたらいいですよと言った。それで他にオススメの本はありますかと尋ねられたので、私はいくつか大好きな本を言ったが、最後に後藤明生の『挟み撃ち』を強く推した。

時間にすれば30分くらいだっただろうか。お話をして、そして、別れ、私は再び原稿を書いた。朝も早かったし、整体をしてもらった関係で眠たくもあったし、もうこれくらいでいいだろうというところで、乃帆書房の大友さんが教えてくださった瀧の頭という土地の居酒屋へ行った。

ちょうどぐるっと囲うなカウンターのある店で、オススメの黒板がよく見えないので奥の方の席に移ると、そこでは何十年かぶりに再会した同窓生のおじさんたちが、楽しそうに飲んでいた。ビールを飲みながら、大友さんが勧めてくださったホルモンの煮込みを頼むと、店員さんが「ホルモンの煮込みに豆腐は入れますか?」とまるでラーメン二郎の「ニンニクを入れますか?」みたいに聞くので、入れてもらった。それで食べていたら美味しかったので、「こっちだと煮込みに豆腐入れるもんなんですか?」と尋ねると、店員さんは、え? 入れません?というような顔をして、となりのおじさんが「豆腐嫌い?」というので、「いえ、これおいしいんですけど」「そうでしょ。味が染みてて」「そう。おいしいから、こっちだとこれが普通なのかなと思っ」と、いうと、店員さんもなんだかホッとしたような顔をして、おじさんが「あんたこの辺の人じゃないの? どこから来た人?」というので、「東京です」と答えたら、隣のおじさんも東京の人で「あんた、仕事できたの?」「いえ、趣味で。趣味で本の行商に」というようなよくわからない答え方をした。そうすると、「どんな本を売ってるの?」というので、見本を見せて、それで、「代わりに読む」とはどういうことか説明していると向かい側から「買わないけどね」と笑うから、「いえいえ、買わなくていいですから、買わなくていいんですけれど、「代わりに読む」って変な話でしょ?」というような話をして、「じゃあまあがんばって!」というような会話をして、その間、おじさんたちのところには頼んだものが届いたのに、おじさんは怪訝そうな表情をして店員さんに
「これなに?」
と聞き、
「ああ、ニラ玉です」
と店員さんが答えると、「ああ、そう」と興味なさそうに言ったわりには、ああ、これだこれだ、と懐かしみ、数十年ぶりかのニラ玉を食べていて、私は隣でおいしそうに頬張る様子を横目で眺めながら、「後でおじさんたちが忘れた頃に私もニラ玉を頼もっ」と決心していた。
「秋田でも置いてもらってるの?」「ええ、大町の」「ああ、大町って言ったら、飲み屋があってね」
この噛み合うようで噛み合わない会話が、噛み合っていてたのしい。

これを書いていて、日記というのは覚えていることを書くのではなく、覚えていることを書いていくうちに、もはや覚えていないことも思い出し、思い出したことを書くうちに、またすっかり忘れていたことを思い出して、また書く、きりがないけれど、その際限なさというのが、日記を書いていくことの、喜びではないかという気がしている。誰が読むわけでもない、自分のためだ。もはや忘れてしまったことを思い出せる仕掛けというは、錬金術の類のものである。

それで、「そいじゃ私はこの辺で」とおじさんたちに挨拶して、明日も早いから、帰った。それにしてもうまかったから、ビール1、2杯のつもりが、だいぶ飲んじゃったなあ。秋田に来てよかったなあと上機嫌でコンビニに寄って、水とアイスを買って、それで本当はホテルの温泉に入って寝ようと思っていたのに、アイスを食べたことろで力尽きて、眠っていた。 (2日目につづく)

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友田とん
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