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学校が辛かったときに、親にして欲しかったこと。

子どもの頃、ぼくは学校が嫌いだった。
ぼくにとって、唯一の居場所は家しかなかった。
でも、だからと言って親がぼくの理解者であったというわけでもなかった。

そんな話をする機会があった。そのときに「親にどうしてもらいたかったですか?」と問われ、はたと考えた。

不登校一歩手前。ぼくが親にして欲しかったこと。

ぼくが学校へ行くのが辛い、という想いは両親には「甘え」と受け取られていたと思う。
「甘い、意志が弱い、決めたことをやり通せない」
これが、当時のぼくへの親や先生からの評価だった。残念ながら否定はできない。実際にそうだったから。

朝起きると、頭やお腹が痛くなり、熱もないのに布団から出られない。体温計の温度がどうやったら上がるかを考えて、摩擦に失敗して布団の中で体温計を割ったこともあった(当時はガラスの体温計だった)。

「学校に行きたくない」とは言ったことはあるけど、行きたくない理由は話したことはない。
理由を話していないのだから、ただのサボりだと思われても仕方がない。

このnoteに書いたけど、理由は言いたくなかった。
子どもだからといって、なんでも大人に言えるわけじゃない。
「言ってくれれば」
と、大人は思うけど、「言うくらいなら死んだほうがマシ」と本気で思う子どももいる。ぼくは、どちらかというとそっちよりだった。

「なにも言ってくれないんだから、理解してあげることなんてできっこない」

って、親は思うだろう。親になった今、娘がなにも言ってくれなかったらぼくだって、その思いを理解してあげることはできないだろうとも思う。

それじゃ、ぼくは親にどうしてもらいたかったのだろう。

理解者になってもらうための材料も与えず、嘘をついて誤魔化して、ただ、駄々をこねていたぼくは、どうしてもらいたかったのだろう。

ぼくは、ただ受け入れて欲しかったのだと思う。

理解するよりも先に受け入れて欲しかった。

人は、頭で理解してから、人を受け入れる。
「そういう理由があったんだね。わかった、それじゃしかたがないね、しばらく学校を休もう」

納得して、理解して、それから受け入れる。
それが普通だろう。

でもぼくは、まずは受け入れて欲しかったのだと思う。それから、ゆっくりと理解していって欲しかったのだ。

受け入れてもらえないことには、理解してもらうための話し合いも、信頼もできなかった。

「理由は聞かない。でも、休みたいならとりあえず休みな。落ち着いて理由を言えるようになったら、話してごらん」

それを、望んでいたのかもしれない。

理由を言葉にするには時間がかかる。

理由もわからぬままに、受け入れるのはとても難しく、怖いことだと思う。
その先、理由を知れるかどうかもわからない。
だけど、理由を知ることは、先に進むための手段のひとつでしかなくて、絶対に必要な条件ではないかもしれない。
でも、受け入れることは、先に進む一歩そのものであり、絶対に必要な条件だ。
優先順位は、受け入れることのほうが高いように、ぼくには思える。

「親にどうしてもらいたかったですか?」
の答えは、
「受け入れて欲しかった」

だと思う。

理解するよりも先に、受け入れて欲しかった。
親になったいまは、それが、たったそれだけのことがどんなに難しいか身にしみている。
難しいからこそ、大切な事なんだろうとも思う。

だけど、子どもがその気持ちを言語化するのはもっと難しい。気持ちを言葉にするのには長い時間がかかる。

聞いても曖昧な答えしか返ってこなくて、子どもを信じられなくなりそうなとき。
そのことだけは、覚えておいて欲しいなと思うのです。

では、また明日。

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