子どもに、共感じゃなくて理解を示す。
「〇〇ちゃんは、わるいで」
幼稚園のクラスの中に、すぐに手が出てしまう子がいるらしいことを娘の言葉で知った。
「〇〇ちゃんは、なにが悪いの?」
「あんな、わたしがご飯を食べてたら後ろからドンッて押してきたり、髪のゴムを取ったりするの」
なるほど。たしかに娘にしてみたら面白くはない状況。
だけど、その後に娘になんて言ってあげたらいいか、少し迷った。
「そうだね。〇〇ちゃんは悪い子だね」
なのか。
「〇〇ちゃんも、なにかそうする理由があったのかもしれないよ」
なのか。
社会に出れば色々な人がいる。残念ながら優しい人や気の合う人ばかりではない。うまの合わない人がいるというのも、ある意味では自然なことだと思う。
ただ、娘もそれをぼくにわざわざ言ってくるくらいだから、何かしら思うところはあるのだろう。
共感しない
少し迷った結果、ぼくは”共感しない”ことにしました。
だけど、娘の言っていることはちゃんと理解して、その理解を示してあげようと思ったのです。
共感とは、相手にしてみればほぼイコール「肯定」。
つまり「〇〇ちゃんは悪い子」という娘の言葉に共感を示すというのは、「〇〇ちゃんは悪い子」を肯定し、認定することにもなりかねない。
だけどぼくは、〇〇ちゃんのことを知りません。顔すら出てこない。
娘がその子のことを苦手でも、悪いと思っていても構わないけど、それに太鼓判を押したり、「じゃあ、その子とは距離をおこうね」なんて言葉でコントロールするのは違うと思ったのです。
だから、肯定(共感)も否定もしない。
すると「へー」みたいになってしまいそうですが、娘がせっかく話をしているのだから、ちゃんと聞いてあげる必要はある。
「そうなんだー。それで、その後どうしたの?」
「やめて! って言った」
「やめて! って言ったんだー。それで、君はどう思ったの?」
「〇〇ちゃんは、まだ小さいから、許してあげるの」
話をよく聞いていくと、娘の中で結論はもう出ていた。
もしもぼくが、娘の話の最初だけ聞いて「〇〇ちゃんは悪いね!」と共感を示していたら「許してあげるの」という娘の結論を聞くことはできなかったかもしれない。
共感って、わりと難しいコミュニケーションだなと思います。
共感を示すことで「自分と同じ気持ちなんだ」と思わせてしまう。それは先に述べたように、太鼓判を押すことにも繋がってしまうかもしれない。
共感を示さなくても、話を理解していることは伝えられる。
だから、共感じゃなくて理解を伝える必要があるときも、あるのかもしれないなと思ったのです。
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今日も、見に来てくれてありがとうございました。
理解だけじゃなくて、共感を示してあげることが大切なシーンもきっとあるでしょう。細かなことかもしれないけれど、子どもとのコミュニケーションって本当に色々考えさせられるなと思うのです。
ぜひ、明日もまた見に来てください。
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