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「ご飯できたよ」と呼ばれてもすぐに食卓へ向かわないのは礼儀の問題なのだ。

母に「ご飯できたよ」と呼ばれても、返事をしなかったり、やっていることがひと段落するまで行かなかったりしていた。

すると、母の機嫌は途端に悪くなった。
できたと言っているのになぜ来ないのか、と。

ぼくにはぼくの言い分もあった。
食べたくなったら行く、いまはやっていることがあるのだ、と。


当時は母の気持ちがよくわからなかった。
なにをそんなにわずか数分のことでイライラするのか。べつに30分食べに来ないわけではないのに。

だけどいま。毎日の食事をつくるようになって、ぼくは母と同じことでイライラして怒っている。

できた、と呼んでいるんだからすぐにテーブルにつきなさいと。


立場が変わって、いまなら母の気持ちがよくわかる。
それは、作り手への礼儀の問題でもあるのだと。

料理をする人は、作っている間、自分のやりたいことをすべて脇に置いて作業をしている。
TVを見たい、漫画を読みたい、スマホを見たい、仕事をしたい。そうした自分の希望は全部後回しになる。

自分の分を作って自分だけが食べるのなら別にいい。だけど、その手間のほとんどが家族のための手間なのだ。

しかも、お腹を空かせた家族たちは「まだー?」「え? いまから作るの?」「なんだー、今夜はこんなんかぁ」と文句も不満もブツブツ言う。こちとら、お金をもらってるシェフじゃないのだ。

それなのに、みんなの好き嫌いまで考慮して、栄養のことだって考えて、大急ぎでつくる。

これをボランタリーでやっているのである。

それなのに、いざできたら「はーい」と空返事だけして食卓には来ない。自分には食卓へ向かう以上に「やりたいこと」があるのだと。

これでは「バカにしてんのか」と言いたくもなる。


押し付けがましいと言えばそれまでかもしれない。でも、ぼくはいま作り手になってはじめて、当時の母の気持ちがわかるようになった。


※※※

今日も見に来てくれてありがとうございました。
家事はどれだけ頑張っても対価はありません。
だったらせめて、感謝の気持ちは大切にしていたいと思うのです。
ぜひ、明日もまた見に来てください。

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”未知なる未来にワクワクできる”を理念とした新しい小学校創設のための資金に活用させて頂きます。

明日もまたがんばります♪
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noteは学びのシェアと雑記を毎日更新。 ■子どもとの対話の物語「親としてできることなんてたかが知れてる」 ■教育と学び「学ぶというのは、世界を変えることだ」 ■子育て家庭のための模様替えのレシピ の3つのマガジンを連載中 NPO起業して8年。現在京都にて小学校創設に向け奮闘中!
コメント (1)
一主婦として、ものすごくしっくりきました☺︎
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